このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

名馬・あの瞬間

平成11年「フェブラリーステークス」
優勝馬メイセイオペラ

 地方競馬を見てる人と見ていない人では、予想の段階で馬に対する 評価が全く変わってくる。そう感じたのが、メイセイオペラが勝った年の 「フェブラリーステークス」でした。

 当時のダート界は、船橋のアブクマポーロが王者で、それに次ぐのが 水沢のメイセイオペラという地方競馬所属の2頭がナンバー1、ナンバー2 な時代でした。

 で、中央競馬では、「フェブラリーステークス」が、まだ唯一のダートの G1だったこの年、王者のアブクマポーロは、全く同じ時期に行われた 川崎のG1「川崎記念」に出走を表明。

 そんなわけで、この馬には敵わないと考えた他のダートの有力馬の ほとんどがこっちの「フェブラリーステークス」に回ってきました。

 しかし、地方での一連の重賞戦線を見ている限り、アブクマポーロのいない ここでは、メイセイオペラが断然強いのではというのが、私の見解でしたが、何分オペラもポーロも中央ではほとんど走ったこと がないので、中央しか見ていないファンから見ると、メイセイオペラが そんなに強いとは思っていなかったみたいで、意外にも人気がなく、 単勝のオッズが4倍を超えていました。

 正直、ポーロがいなければ、ここでは絶対に負けないと思っていた私には、 この単勝の人気は意外以外の何物でもなく、「えっ?」って感じでした。 逆に、中央の競馬しか見ていない奴らに、お前の強さを見せてやってくれ! そんな願いでこのレースを見つめていました。

 レースは、桜花賞馬のキョウエイマーチが引っ張る展開。もし このメンバーでオペラを負かす馬がいるとしたら、キョウエイマーチの 逃げ切りだけだと思っていたので、マーチのこの逃げは自分的には ワクワク感が増して凄い楽しかったです。

 しかし、最後の直線に向くと、満を持して追い出したオペラがあっさりと キョウエイマーチを捕らえて先頭に立ち、後は激しくなった2着争いを 尻目に悠々の独走。前年の「マイルCS南部杯」に続くG1・2勝目を 果たすとともに、初めて中央のG1を勝った地方馬にもなりました。

 まあ、そんな感じでこのレースを見ていたわけなので、自分の中では メイセイオペラの勝利は本当に順当だったのですが、中央のファンには 衝撃的だったみたいで、この勝利の後、ダートの王者はあくまでアブクマポーロ であったにも拘わらず、オペラの方が人気が出てしまいました。ポーロを 差し置いてダートの王者みたいな感じの扱い方で、その辺にちょっと違和感を 感じたのも覚えています。

 メイセイオペラは、デビューしてすぐに頭角を現し、地元岩手だけでなく、 新潟で行われた「東北優駿」も圧勝して、東北に怪物現る、と3歳の春の 時点でかなり噂の馬になりました。

 しかし、その後目の奥の骨を骨折するというアクシデントで、3歳時に 最大目標としていた地元開催のG1「ダービーグランプリ」で大惨敗・・・。

 それでも、4歳になると、「川崎記念」でアブクマポーロの4着と健闘して、 やっぱり強いんだというのをアピールすると、夏の地元水沢での重賞 「マーキュリーカップ」を圧勝して、遂に統一重賞も制覇。さらに秋には、 「マイルCS南部杯」で、とうとう王者アブクマポーロを負かしてG1ホースに。

 暮れの「東京大賞典」は、アブクマポーロにリベンジされてしまい2着も、 アブクマポーロがいなかったこの「フェブラリーS」を圧勝。もう、アブクマポーロ に勝てるのはこの馬しかいないのではって感じだった矢先に、アブクマポーロが 突然の引退。完全に王者の座をポーロから奪い取ることはできませんでしたが、 それでもポーロの引退後のダート界は俺が引っ張るとばかりに、夏の「帝王賞」 も圧勝。

 ところが、その後は意外なまでの不振で、なかなか大きいレースを勝つことが できず、ベストの条件ともいえるマイルのG1の翌年の「フェブラリーS」 も、一旦は先頭に立ったものの、後続に次々とかわされてしまい4着・・・。

 結局、ホクトベガやアブクマポーロのように完全に時代を築くまではいきません でしたが、それでも地方所属馬、岩手所属馬ってことを考えると、この馬の 活躍っぷりは本当に凄かったと思います。

 たぶん、ずっと中央で走っていたならば、この「フェブラリーS」も 単勝1倍台の断然人気で、人気に応えての快勝だったんじゃないかなって 思うんですけど、やっぱりダートの重賞は、大きなレースの大半が地方での 開催なんで、地方のレースをマメにチェックしておくと、絶対に得をするぞって いうのを実感できたレースでした。ちなみに、私は馬券は買わなかったです。 買っていたら凄い美味しかったのになぁ・・・。

 あと、今でも残念なのが、この時のメイセイオペラの勝負服が、地方競馬 所属馬でオーナーが中央に馬主登録のない馬が着る「枠番服」(って言うのか?) だったことです・・・。中央の馬が地方に来たときは中央の勝負服で走れるの だから、地方の馬が中央に出るときにも同様に地方の勝負服(騎手服)で 出れるようになると、地方の馬が走っているぞって思えて、いいと思うのですが、 どうなんでしょう?単なる黄色の枠番服よりも、菅原勲騎手の青と白の勝負服の方が、絶対カッコ良かったと 思うのですが・・・。    

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