このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

韓国ソウルオリンピックをめざして躍進中
★三浪津
  初めて韓国へ渡ったのは昭和57年の10月でした。船が大の苦手なくせに、関釜航路 で一晩かけて渡りました。安かったからです。で、釜山から汽車に乗り降り立ったのが三浪津。鉄道 が分岐する交通の要衝ですが、駅前から少し歩くと長閑な田舎でした。ここで撮ってると、踏切番の 職員と仲良くなってしまい、なんと、踏切小屋に泊めてもらいました。
「ありがとう」は「かむ さはむにだ」
韓国を代表する超特急、20 系もどき?セマウル号
アメリカ型の機関車が引っぱ っていました
★水仁線
  昭和59年には廃止が噂されていた水仁線へ行きました。水原の機関区でSLを発見、 撮らせてもらいました。日本語が達者な年輩の駅員が出てきて、他の職員に「日本の人は鉄道の写真 を撮るんだ」とか説明していました(多分)。沿線では線路沿いに穴が掘られていて、中には兵隊が 隠れていました。鉄橋を見張っていたみたいです。写真は快く撮らせてくれました。
水原でも、 「ありがとう」=>「かむさはむにだ」
762mmの水仁線。キハ1 7もどき。
水原で見つけた日本時代のS L
★京義線
  ソウルから北の新義州へ向かう京義線。板門店を挟んで分断されていることはあまりに も有名です。当時は日本製の気動車が走っていました。沿線も車中も兵隊が多かったです。線路の両 側には有事に北側の侵入路を塞ぐために築堤が造られていて、登ってみると、俯瞰撮影に最適でした 。やっぱり警笛を鳴らされました。^^;
・・こんなとこに登ってはいけませんね。「ごめんなさい 」は「みあなむにだ」
韓国のキハ20は高運転台
築堤を落として、線路を塞ぐ ようになっています。
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(写真や記事はご自由にお使い下さい)

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