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 秋田へ(2000/02/27)
秋田は秋田市下浜、海、とにかく海だけのまちである。是非日本地図を見られたい。秋田県。隣県の青森の海岸線の変化の激しさに比べて、なんとのっぺらぼうでつまらない…いやいや、美しいことか。日本海に横たわる滑らかな海岸線に、ひょっこりたん瘤のように突き出している男鹿半島、そこからすこし南下したところは県内でも有数の海水浴場地帯だ。なかでも市内下浜海水浴場は、国道七号線沿い、そのうえJR羽越線下浜駅が海水浴場の真ん前にあるという、最高の立地条件のため、海水浴シーズンは県内のあちこちから集まった大勢の人でごった返す。

父方の実家はその海岸から内に入り、車で十五分程の奥地にある。父が母と結婚する前、父は母に対して、「うち(実家)は海が近くて潮の音が聞こえる」というので結婚後に行ってみると、実際には海岸からはずっと離れ、四方が山に囲まれていて潮の音なんかちっとも聞こえない。騙された、とこのことは今でも両親の笑い話として我が家に受け継がれている。

先程も言った通りここは父方の実家で、つまり私の祖父母が住んでいたのだが、祖父は三年前に他界し、今では祖母の一人暮らしである。祖母の家はとにかく広い。広いと言っても、普段都会の狭苦しいところに住んでいる私にとっては、この屋敷と家は公園の敷地みたいなものであり、広さの次元が異なる。小さい頃は子供心に驚いたのを覚えている。家は昔は茅葺き屋根に牛小屋鶏小屋といかにも農家らしかったそうだが、現在は幾度かの改築を重ね、その面影はほとんど見られない。しかし唯一、座敷だけは何も手を加えずそのままの姿を残している。座敷は??畳敷の部屋が二つ、中央の襖に隔てられており、その襖を取っ払うとだだっ広い大広間として使える。部屋の隅には仏壇と神棚があり、さらにこの広さ、私はつい最近までこの座敷に独りで寝ることができなかった。そして小さい頃はよくこの座敷を走り回った。都会に住んでいる私にとって、部屋の中を思いっきり走りまわれるというのがまず新鮮だった。そして走り回っても誰にも怒られない。

庭は家の玄関から、畑へ行く小径、家の前の道路へ出る小径、裏口へ行く小径、蔵へ行く小径、農機具小屋へ行く小径、隣家へ行く小径といくつもの径が走り、それらの径に囲まれるように、パンジーベゴニアハイビスカス柿の木栗の木茄子西瓜南瓜などさまざまなものが植えられている。家の周りには無数の水田が広がり、夏は青田の青、秋は稲穂の黄金色が美しい。しかし最近では米を造る若者が激減し、持て余している田もあるという。

食べ物は美味しい。というより、農家なので米や野菜は豊富にある。祖母は自分が食べる分のみの野菜を育て、米は田を貸しているかわりに毎年もらっているので、ほぼ自給自足、素材は新鮮かつ健康的である。採れたての捩くれ曲がったキュウリを見ていると、スーパーの規則正しく真直ぐなキュウリが薄気味悪く思えてくる。しかし私はといえば本来あまり野菜好きなほうではなく、最初のうちはいいが、すぐに肉や魚が恋しくなる。それなのに都会に戻ると今度は野菜の不新鮮さにがっかりし、必ずといっていいほどもっと田舎の野菜を食べてくればよかったと後悔する。

ともかくここはのどかである。のんびりしている。時間がゆっくり流れる。ほっとする。しかしいざやってくるとやることがない。近所にお店は一軒もなく、あるのは田畑と山と小川と橋と、それだけである。同じ市内でありながら、市の中心部に出るためにはバスと電車を乗り継いで一時間はゆうにかかるし、バスも一時間に一本もやって来ない。

テレビは一日中ついている。一人暮らしの祖母にとって、テレビは唯一の話し相手であるからだ。一日中NHKのニュースと天気予報と連続テレビ小説をやっている。民放は山が電波を邪魔してとても映りが悪い。私はテレビのチャンネルをそっと、NHK総合からNHK教育にかえてみる。午後五時四十一分。おお、やっている。こんな辺境の地にも砂嵐のない健全で逞しい電波が山を越え林を越え、田舎のとある一農家の居間の隅に置かれているテレビに画像を送ってくれている。恐るべしNHK、恐るべし放送法第二章第九条第五項、

「(日本放送)協会は、中波放送と超短波放送とのいずれか及びテレビジョン放送がそれぞれあまねく全国において受信できるように措置をしなければならない。」

* * *

昼食後の昼寝を済ませ、夕暮れの早い居間へやって来て今日もNHK総合のチャンネルをNHK教育にかえる。

ああ。のんびりしているなあ。


 [参考文献]…川喜田『 青森へ 』( k-燃えないごみ
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