このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 何故ハッチポッチで童謡アレンジをやるのか。(2000.04.19)
ハッチポッチが何故童謡のアレンジ曲を演るのかって、考えたことのある人っているんだろうか?

ぼくは最初、「こども番組だから」と当然のごとく考えていたし、もし何故?ってきかれたら、当然、というような顔をしてそう応える人が多いはずだ。しかし最近ぼくの当初の考えは変わりつつある。

以前、子ども番組が今と昔で変わってないのはおかしい、というようなことを書いた。時代は流れ流れているのだから、子ども番組も変わっていいはず、いや変わるべきなんだと。その考えに合わせて今回の童謡の問題を考えてみると、ぼくの冒頭の質問に対する先の答えに矛盾が生じてくる。

「童謡」って呼ばれてるものって、やっぱり今も昔も変わってない。これもおかしいんじゃないかと。「古くてもいいものはいい」「いいものは時代を越えていい」とか言う人も出てくるだろうけど、残念ながらぼくにとって昔からの童謡はその範疇には当てはまらない。時代錯誤の産物だ、とすら感じている。

となれば、ハッチポッチが、ぼくの望みどおりにこれまでの時代錯誤的子ども番組にいくらかの風穴を空けてくれるものだとするなら、いくらアレンジとはいえ童謡をやるのはおかしい、という関係が成立してしまう。だいたい童謡のアレンジなんかに時間を割かなくても、世界中に良質の音楽は溢れているし、現にハッチポッチでは童謡以外のそういった音楽も演っている。

では何故に童謡に固執するのか。ぼくなりの結論はこうだ。童謡アレンジ曲は、童謡自体の諷刺やパロディの対象なのではないかと。それで言葉がきついようなら、昔の童謡が今の童謡歌集に載っていることに対する婉曲的な批判ではないかと。

GUEENの「いぬのおまわりさん」が面白いのは、迷子のこねこの設定を詳細にしてさらにこねこを窮地に陥っているようにみせているから。ローリングスッテンコロリンの「うさぎとかめ」が面白いのは、馬が一番速いことにして歌のウラに隠されている説教じみた古臭い教訓から目をそらせようとしているから。ベイシティ・ドーナッツの「不思議なポケット」が面白いのは、ポケットを叩いてビスケットが増えるような夢物語ばかりの世界からの脱却を試みようとしているから。正気の沙汰でなあ〜い。

新シリーズが始まって、今度はどんな童謡アレンジが出てくるかほんとに楽しみ。ぼくの雑文のネタもここからわきあがってくれるといいな、と密かな期待を抱いているのだが。


Back

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください