このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 エクスとプレスを記述する試み(2001.06.21)
 僕の住んでいる街にある駅は、無人駅だ。
 駅舎の前は海岸だから、夏は総天然色。
 空の青と銀色の太陽と蒼緑の海と小麦色の日焼けの肌と白い砂浜。
 赤い浮き輪に黄色い歓声をあげている子どもたち。
 日没はオレンジ色の眩しい夕陽。

 短い夏は過ぎ淋しげな秋色が徐々に街を染めはじめる。
 砂浜には置き忘れたよれよれのビーチサンダルと錆ついた缶ビールの空き缶と雑種の野良犬。
 駅舎脇の樹々の枯葉色と手入れを忘れた花壇の雑草の枯草色。
 風は琥珀色。
 日暮れの空の暁闇色。
 季節の色相環は、急速にその色あいを乏しくさせてゆく。

 冬。
 街全体に重くのしかかる鉛色の空と無人駅舎を深く埋める雪の白。
 灰白色の凩と燻し銀の雪の降りかかるプラットホオムに、
 黒い外套の襟を立て僕は独り佇む。
 足元の鈍色の鉄路を見下ろしながら、
 ポケットから白い箱の白い紙巻き煙草を取出し白いマッチの白いほのおで火をつける。
 冷たい空気をフィルター越しに吸い込み吐き出す呼気は煙色。
 残りの一本を吸い尽しかわりに白い息を吐きながら、
 薄汚れた待合の埃色の時刻表を見上げる。
 時計。
 あともう少し。
 時刻表にない列車を待っている。
 鉛色に吹雪く向うの鉄路を見つめる。
 来た。
 見通しの悪い視界の向うにひとつの白い光を見つける。
 光はゆっくりとこちらに近づきカーブの死角の途切れから黒い車体をのぞかせる。
 瞬く間に眼前にあらわれるミスタア・エクスプレスの真っ黒な巨体。
 僕はプラットホオムを通過する、ミスタア・エクスプレスの透明色の風と吹雪とを身体一杯に浴びる。
 長い、黒々とした車体がびゅるびゅる、びゅるびゅる、と僕の前を通過していく。
 最後尾。乗務員室の窓から、小さい車掌が小さい顔に冷たい風をまともに受け、
 ほんの一瞬、プラットホオムの僕に一瞥をくれながらあっという間に過ぎてゆく。
 首を向ける間もなくあのミスタア・エクスプレスは鉄路の彼方に消えてなくなる。

  汽笛一声(いっせい)新橋を

  はや我(わが)汽車は離れたり

  愛宕(あたご)の山に入りのこる

  月を旅路の友として

 どこかで鉄道唱歌がきこえる。
 春はもうすぐ。


 【引用文献】…『鉄道唱歌(東海道篇)・新橋』
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