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 m. & k.〜京終版『ポケットに 名=m./迷=k. 言を』(2000.06.04)
ハッチポッチ

総じて言うと、なんなんですかねー。一種のやけくそですかね。
ジャーニーなんか、たまにやけくそなって、わめきちらしてるですね。あれ好きですねー。
(m. 1999.11.11)

僕は27歳。独身男性。この歳にいたっても自己の基盤を確立できず、あやふやで、ろくでもない
人生をおくっていますが、なんにしろ、これだけはまちがいなく、HPSが好きです。
(m. 1999.11.26 →いや、mさん。おれも同じです。何か最近(学生時代よりも)だらだらしてるなあ、と。
掲示板の名前じゃないよ。でもやっぱりHPSは大好きです。)

ふぁいやーだんすううー!!ぱっぱーーーーー。
いやあ、じゃあにー。いい男だぜ。親父以上だ。
(m. 1999.11.26)

だいたい、HPS自体、そんなまっとうな応援ページじゃきかないよ。
だからこそこういうページ。(笑^2)
そういうわけで、まともな応援をしたい人はウチに来ないで。(核爆)
(k. 1999.11.26)

原田大二郎とかサンコンとか天地真理(スゲー濃いひとばかりじゃねーか)がでたりして、
あげくのはてに、なにかがあってスマイリー高田がうまれたと、、、。
濃いものからさらに濃いものが生まれた。うーん、、歴史グレイト。
(m. 2000.01.04)

(前略)日本って、密度が異常にたかいから。
密度が異常にたかいとこからは、いろんなもんが生まれる法則が適用される。なんじゃそりゃ。
コギャルなんざー、ありゃすでに。ひとつの民族と化している。
ぼくはあの連中を、原住民、あるいはネイティブジャパニーズと言っている。
HPSもこの、混迷のなかから生まれたひとつの宝石なわけで。
(m. 2000.01.09)

見事に「オトナの固定観念」を突き崩してくれる。
HPSって、そういう意味で「真の子供番組」に近いものなのかもしれないです。
(k. 2000.02.13)

ちなみに私のHPS師匠「きま」さんと私との合意では、HPSは
「変態音楽番組」
という位置づけがなされました。(笑)
(k. 2000.02.16)

表面上は「HPSのどこが子ども番組なんだ」とか言っておきながら、
心のどこかで、「やっぱりHPSは子ども番組なんだ」と
思っていたわけがやっとわかった。

あのときどき垣間見るHPSのブラックさ、スレスレさ、
要するに、HPSの子ども番組らしくなさと、
他の子ども番組をとのギャップを比較して面白がっていたんだ。
HPSが子ども番組じゃなかったら、そんな比較できないからね。
(k. 2000.02.23)

ハッチポッチステーションはエチケットじいさんの悪をもって、ひとつの世界が形成されているな、と。
悪が存在しなければ善も存在しません。善悪のない世界、それは死を意味するのではないでしょうか。
(k. 2000.05.03)

子供番組だから、そりゃ単純化された形での縮図みたいなもんが、いわれてみると
たいていありますね。
HPSの場合それが爺で、それゆえにあくどく、テクニシャンなとこがポイントでしょうか。
(m. 2000.05.10)

若もんは、無気力が一番いかーーん、と、どっかの婆さんが言っていた。
僕はそれを、暮れなずむ赤銅色のみみたぶでききながした。

「今日は、うまいことしてやったでぇぇ。これ、エチケットやでぇぇぇぇ。」
と、かのじじいは呟いた。おわり。
(m. 2000.05.10)

考えてみると他の子ども番組って、キャラがみんな子ども(あるいは子どもっぽい)ですよね。
そこ行くとHPSはジャーニーは子どもっぽいところがあるけど、実は海千山千の元落語家、
そして結婚歴3回のおじさん、駅売店のおばちゃん……子どもはどこ?(爆)
ましてや他の子ども番組に、世の中の酸いも甘いも知りつくした
老人キャラなんざ、論外でしょう。(笑)
(k. 2000.05.11)
 

子ども番組

(前略)僕は、たいがいのいわゆる幼児番組っつーのが、
子供をバカにしてるんではと、思う。
バカにしてるとは、おばかにしてしまっているとの意。
某番組で、おにいさん、オネエサンのまわりを、えひゃらえひゃらと踊ってあるく子供らのさまが、
僕にはなんともたまらないものに、見える事もある。
(m. 2000.02.13)

子供の夢はがっこうにはいったとたん、現実と直面して、うちくだかれる、んじゃないかと。
子供らも、そのギャップにとまどうんではないかと。
現実がかえようのないものなら、幼児番組のありかたがとわれるんではないかと。
(m. 2000.02.13)

(前略)幼児番組って、すごいひねくれた見方をすると、
「こどもってこういうもんだから、こういう内容なら面白がるだろう」
っていう、オトナの都合で作られてる。仕方のないことなのかもしれないけれど。
そこにはどうしてもオトナの手前勝手や固定観念が入ってしまう。
真の子供番組を創りたいと願うなら、まず、
こどもに対する「無知の知」から入らなきゃいけない。ソクラテス。
(k. 2000.02.13)

>って、子供がGUEENの「犬のおまわりさん」の言葉の意をとらえることができたら、
>それはそれで、なんだろね?
やっぱり子供じゃないですか?
少なくとも「子供番組とはこういうものだ」という固定観念の色眼鏡で観ている
オトナたちに比べたら、ずっと純粋な観方だと思うんですが。
(k. 2000.02.13)

根底にアメリカナイズのながれ。随分まえから。(セサミ化)
HPSがそうとはいわないが。
ながれから派生した、オリジナリチィ。
日本のぎゃぐ。密室芸人たち。
(m. 2000.02.15)

Hps、すくなくとも、自然な状態。(濃度はたかい。)
うたう、おにいさん。不自然な存在。少なくとも、あの独自の世界以外に存在しない。
子供にとっての幻の桃幻郷、エルドラド、竜宮上。でもうそっぱち。
(m. 2000.02.15)

「うたうグッチさん」を観てから、「うたうおにいさん」を観るともう、
型にはまっているというか、わざとらしいというか、いかにも演技というか、そんなカンジ。
果たして「演技」や「型」が子どもたちに通用するのかどうか?
(k. 2000.02.15)

少なくとも他の子ども番組との比較と言う意味では、HPSはあまりに次元が違いすぎる。
(k. 2000.02.15)

HPSを子供番組と定義ずけようとした時に、実際HPSという番組の中には<子供>のすがたがみえない
ってとこが、ちょっとひっかかった。
(m. 2000.02.15)
 

教育

先日、久里浜会長と御食事を共にしての会話。

京終「僕のクラスというものに対する経験上ね、
   僕は学校教育における学級(クラス)というものに批判的なんですよ」
きま「そうなんですか…」
京終「とりあえず、教師としては失格だよね」
きま「……(苦笑)」

ていうか、こういう場合は絶句するしかないだろうなあ。
言われるなあ、「おまえは教育学部で4年間何してきたんだ」って(爆笑)
(k. 1999.12.02)

原作のグリム童話が残酷な結末から、子ども達への教訓を説いたように、
世の中にはいろんな人がいたり、悪があったり、人生はいっつもはっぴいえんどで
終わるものばかりじゃないって教える事のどこがいけないのか。
(k. 2000.02.24)

松本人志や寺山修司みたいのが、教師にならないかな。
それはきっと「悪」には違いないが、
少なくとも、
大学出たばっかりのやつがすぐさま教師になるという
「悪」よりはよっぽど増しだと思うのだが。
(k. 2000.05.06)
 

それでは最後に我が愛するs.t.の真の名言をどうぞ。

「ピノキオがポルノだったり、はだかの王さまが形而上学者だったり、赤ずきんがニンフォマニアだったりする、という事実を「実話雑誌」風に暴露し、それらが「大人にとって都合のいい子供をしつけるための教材にすぎない」と言いたかったのだ。(『ぼくが狼だった頃』より)


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