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ハッチポッチ総じて言うと、なんなんですかねー。一種のやけくそですかね。
ジャーニーなんか、たまにやけくそなって、わめきちらしてるですね。あれ好きですねー。
(m. 1999.11.11)僕は27歳。独身男性。この歳にいたっても自己の基盤を確立できず、あやふやで、ろくでもない
人生をおくっていますが、なんにしろ、これだけはまちがいなく、HPSが好きです。
(m. 1999.11.26 →いや、mさん。おれも同じです。何か最近(学生時代よりも)だらだらしてるなあ、と。
掲示板の名前じゃないよ。でもやっぱりHPSは大好きです。)ふぁいやーだんすううー!!ぱっぱーーーーー。
いやあ、じゃあにー。いい男だぜ。親父以上だ。
(m. 1999.11.26)だいたい、HPS自体、そんなまっとうな応援ページじゃきかないよ。
だからこそこういうページ。(笑^2)
そういうわけで、まともな応援をしたい人はウチに来ないで。(核爆)
(k. 1999.11.26)原田大二郎とかサンコンとか天地真理(スゲー濃いひとばかりじゃねーか)がでたりして、
あげくのはてに、なにかがあってスマイリー高田がうまれたと、、、。
濃いものからさらに濃いものが生まれた。うーん、、歴史グレイト。
(m. 2000.01.04)(前略)日本って、密度が異常にたかいから。
密度が異常にたかいとこからは、いろんなもんが生まれる法則が適用される。なんじゃそりゃ。
コギャルなんざー、ありゃすでに。ひとつの民族と化している。
ぼくはあの連中を、原住民、あるいはネイティブジャパニーズと言っている。
HPSもこの、混迷のなかから生まれたひとつの宝石なわけで。
(m. 2000.01.09)見事に「オトナの固定観念」を突き崩してくれる。
HPSって、そういう意味で「真の子供番組」に近いものなのかもしれないです。
(k. 2000.02.13)ちなみに私のHPS師匠「きま」さんと私との合意では、HPSは
「変態音楽番組」
という位置づけがなされました。(笑)
(k. 2000.02.16)表面上は「HPSのどこが子ども番組なんだ」とか言っておきながら、
心のどこかで、「やっぱりHPSは子ども番組なんだ」と
思っていたわけがやっとわかった。あのときどき垣間見るHPSのブラックさ、スレスレさ、
要するに、HPSの子ども番組らしくなさと、
他の子ども番組をとのギャップを比較して面白がっていたんだ。
HPSが子ども番組じゃなかったら、そんな比較できないからね。
(k. 2000.02.23)ハッチポッチステーションはエチケットじいさんの悪をもって、ひとつの世界が形成されているな、と。
悪が存在しなければ善も存在しません。善悪のない世界、それは死を意味するのではないでしょうか。
(k. 2000.05.03)子供番組だから、そりゃ単純化された形での縮図みたいなもんが、いわれてみると
たいていありますね。
HPSの場合それが爺で、それゆえにあくどく、テクニシャンなとこがポイントでしょうか。
(m. 2000.05.10)若もんは、無気力が一番いかーーん、と、どっかの婆さんが言っていた。
僕はそれを、暮れなずむ赤銅色のみみたぶでききながした。「今日は、うまいことしてやったでぇぇ。これ、エチケットやでぇぇぇぇ。」
と、かのじじいは呟いた。おわり。
(m. 2000.05.10)考えてみると他の子ども番組って、キャラがみんな子ども(あるいは子どもっぽい)ですよね。
そこ行くとHPSはジャーニーは子どもっぽいところがあるけど、実は海千山千の元落語家、
そして結婚歴3回のおじさん、駅売店のおばちゃん……子どもはどこ?(爆)
ましてや他の子ども番組に、世の中の酸いも甘いも知りつくした
老人キャラなんざ、論外でしょう。(笑)
(k. 2000.05.11)
子ども番組
(前略)僕は、たいがいのいわゆる幼児番組っつーのが、
子供をバカにしてるんではと、思う。
バカにしてるとは、おばかにしてしまっているとの意。
某番組で、おにいさん、オネエサンのまわりを、えひゃらえひゃらと踊ってあるく子供らのさまが、
僕にはなんともたまらないものに、見える事もある。
(m. 2000.02.13)子供の夢はがっこうにはいったとたん、現実と直面して、うちくだかれる、んじゃないかと。
子供らも、そのギャップにとまどうんではないかと。
現実がかえようのないものなら、幼児番組のありかたがとわれるんではないかと。
(m. 2000.02.13)(前略)幼児番組って、すごいひねくれた見方をすると、
「こどもってこういうもんだから、こういう内容なら面白がるだろう」
っていう、オトナの都合で作られてる。仕方のないことなのかもしれないけれど。
そこにはどうしてもオトナの手前勝手や固定観念が入ってしまう。
真の子供番組を創りたいと願うなら、まず、
こどもに対する「無知の知」から入らなきゃいけない。ソクラテス。
(k. 2000.02.13)>って、子供がGUEENの「犬のおまわりさん」の言葉の意をとらえることができたら、
>それはそれで、なんだろね?
やっぱり子供じゃないですか?
少なくとも「子供番組とはこういうものだ」という固定観念の色眼鏡で観ている
オトナたちに比べたら、ずっと純粋な観方だと思うんですが。
(k. 2000.02.13)根底にアメリカナイズのながれ。随分まえから。(セサミ化)
HPSがそうとはいわないが。
ながれから派生した、オリジナリチィ。
日本のぎゃぐ。密室芸人たち。
(m. 2000.02.15)Hps、すくなくとも、自然な状態。(濃度はたかい。)
うたう、おにいさん。不自然な存在。少なくとも、あの独自の世界以外に存在しない。
子供にとっての幻の桃幻郷、エルドラド、竜宮上。でもうそっぱち。
(m. 2000.02.15)「うたうグッチさん」を観てから、「うたうおにいさん」を観るともう、
型にはまっているというか、わざとらしいというか、いかにも演技というか、そんなカンジ。
果たして「演技」や「型」が子どもたちに通用するのかどうか?
(k. 2000.02.15)少なくとも他の子ども番組との比較と言う意味では、HPSはあまりに次元が違いすぎる。
(k. 2000.02.15)HPSを子供番組と定義ずけようとした時に、実際HPSという番組の中には<子供>のすがたがみえない、
ってとこが、ちょっとひっかかった。
(m. 2000.02.15)
教育
先日、久里浜会長と御食事を共にしての会話。
京終「僕のクラスというものに対する経験上ね、
僕は学校教育における学級(クラス)というものに批判的なんですよ」
きま「そうなんですか…」
京終「とりあえず、教師としては失格だよね」
きま「……(苦笑)」ていうか、こういう場合は絶句するしかないだろうなあ。
言われるなあ、「おまえは教育学部で4年間何してきたんだ」って(爆笑)
(k. 1999.12.02)原作のグリム童話が残酷な結末から、子ども達への教訓を説いたように、
世の中にはいろんな人がいたり、悪があったり、人生はいっつもはっぴいえんどで
終わるものばかりじゃないって教える事のどこがいけないのか。
(k. 2000.02.24)松本人志や寺山修司みたいのが、教師にならないかな。
それはきっと「悪」には違いないが、
少なくとも、
大学出たばっかりのやつがすぐさま教師になるという
「悪」よりはよっぽど増しだと思うのだが。
(k. 2000.05.06)
それでは最後に我が愛するs.t.の真の名言をどうぞ。
「ピノキオがポルノだったり、はだかの王さまが形而上学者だったり、赤ずきんがニンフォマニアだったりする、という事実を「実話雑誌」風に暴露し、それらが「大人にとって都合のいい子供をしつけるための教材にすぎない」と言いたかったのだ。(『ぼくが狼だった頃』より)」
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