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 円環ポートフォリオ(2000.05.06)
 

うらのはたけで ポチがなく(ワン!)

正直じいさん掘ったれば

大判 小判が

ザック ザック ザックザク

「花咲かじいさん」の歌詞より

 

トランクが突然、「宝物の匂いがする」と言いだし(鳴きだし?)てグッチさんたちが「徳川家の埋蔵金かもしれないぞお」と喜び勇んで掘り出してみたら、実はグッチさんたちがさっき埋めたばかりのタイムカプセルだった、トランクはその中に入れた自分の好物の骨の匂いを嗅ぎつけていたのだった、という話のくだり、「確かにトランクにしてみれば宝物の骨だ」というオチ、これはとても楽しいものがあります。

おそらく「花咲かじいさん」をモチーフに創られたであろうこのストーリー、再放送を観ていて私は突然あれ? と不思議な感覚に襲われたようになりました。おかしいのはむしろこの放送より元ネタの「花咲かじいさん」の方だぞ、と。

正直者のじいさんは、ポチに連れられて荒れた畑にやって来ます。ポチの「ここ掘れワンワン」の合図とともに鍬で地面を掘ったれば、掘り出した壷の中から大判小判がザックザク……これが「花咲かじいさん」の忠犬ポチ公でかした!の有名なワンシーンです。

しかし疑問はここから湧いて来ます。
「犬にどうして大判・小判の価値が判るのだろう?」

確かにポチは飼い主・正直じいさんに忠実な犬でした。だからといって自分の価値ならともかく、飼い主である人間の価値観まで認識できる能力が犬に存在するとは到底思えません。仮に飼い主の価値を認識できる力があるにしても、例えば正直じいさんは大の金好きでいつでも金の勘定をする場面をポチが見ていた、だから飼い主の好きな金の在り処を教えた、というのなら話は別ですが、正直じいさんが金好きであることは「花咲かじいさん」のどこにも書いていませんし、それどころか正直じいさんは生れてこのかた小判なんか見たことがないような貧乏人として描かれているように思います。果たしてそんな飼い主を見て、どうしてポチが大判小判を掘り当てれば正直じいさんが喜ぶぞ、などということがわかったのでしょうか。むしろ強欲な嘘つきじいさんに宝の在り処を教えてやった方がまだストーリーとしては不自然でないように思うのです。

とにかく、いくら飼い主に忠誠な実直な犬であるとはいえ、犬に人間にとって価値があるものを認識させ、それの在り処を飼い主に教えてやるなどというストーリーには無理があるのです。とすれば、人間にとっての宝物ではなく、自分にとっての宝物の在り処を探し出し、好物の骨を掘り当てさせたトランクの方がよっぽど自然で、ストーリー的にも全くおかしいところがないというものです。

昔から語り伝えられて来た「花咲かじいさん」よりも、それを一種のパロディとして扱った「ハッチポッチステーション」の方が極々自然であるというのは、何とも奇妙で可笑しいものです。

とりあえず私は「花咲かじいさん」のあのポチ公のシーンを、現行のものから以下のものに書き換えることをおすすめしたいと思います。

「正直じいさんは、ポチに連れられて裏のはたけにやってきました。
『ここ掘れワンワン』
ポチの合図とともに、正直じいさんはポチが示すところの地面を掘ってみました。
しばらく掘っていますと、穴の中からポチの大好物の骨がザックザク出てきました。ポチは大喜びではねまわっています。
しかし正直じいさんは不満でした。『この犬公。おまえはこんなものを掘り出させるためにわしに無駄な労力を使わせたのか』正直じいさんは怒りだして、ポチを滅茶苦茶にぶんなぐりました。
ポチは命からがら、正直じいさんの虐待から免れると、助けを求めてとなりの嘘つきじいさんの家に飛び込みました。傷だらけのポチを見て、強欲な嘘つきじいさんは言いました。
『ようし。おまえはおれが助けてやろう。しかしひとつだけ条件がある。これからおれのはたけへ出て、宝物の在り処を教えろ。』
ポチは絶望的な気分になりました。今度こそ宝物の在り処を教えなければ間違いなくポチは殺されてしまうに決まっています。しかしもうどうしようもありません。ポチは仕方なく頷いて、嘘つきじいさんを連れてはたけへ出ました。
もうこうなったらヤケクソです。ポチは
『ど・こ・に・し・よ・う・か・な・て・ん・の・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り』
嘘つきじいさんに畑のある一ケ所を指し示しました。
嘘つきじいさんは、喜び勇んでその場所を掘りました。
しばらく掘っていると、穴の中からひとつの古ぼけた壷が取り出されました。
中にはたくさんの大判小判がザックザクと……」


[付録]…ついでに言うと、「花咲かじいさん」の主人公、「正直じいさん」というのは何をもって「正直」と規定しているのでしょう? 普段から正直だから渾名みたいなものだ、と言ってしまえばそれまででしょうが、それでは「嘘つきじいさん」というのは何なんですか? それを考えると「正直じいさん」の「正直」というのは単なる渾名ではなく、「嘘つき」の対極概念として用いられていることになります。しかし、しかしですよ。「花咲かじいさん」を読む限り、主人公のじいさんをわざわざ「正直じいさん」と書く必要に迫られるシーンは全くないのです。もちろん彼が正直であるという証拠も何処にもなく、ただ単に「じいさん」としても、ストーリーは滞りなく進みます。全く謎だ。あ。そうか。「正直(しょうじき)じいさん」じゃないんだ。きっと「正直(まさなお)じいさん」なんだ。(笑)
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