このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 草河。(2000.3.18)
 秋田県の母なる川、雄物川の海岸寄りに架かる秋田大橋。国道七号線を繋ぐこの大橋を酒田側から秋田市街方向へ渡ってすぐ、秋田小橋という古惚けた石の橋がある。今この橋の上から下を見下ろすと、夏は風にそよいで若い緑色に光る雑草の河、冬は凍てつく寒さに動きを閉ざした白銀の河が流れる。

 かつてこの橋がある茨島(ばらじま)の三菱金属や東北肥料に、秋田駅から鉄道貨物でもって工場操業に必要な原材料を運搬していた引込線があった。茨島引込線と言ったりする。貨物車両は荷物を積んで秋田駅を出発し最初雄物川に向って進み、続いて少し平行して走ってから間もなくこの秋田小橋の下をくぐり抜けて工場へと到着していたのだ。今はもう材料の運搬手段が多種多様に発達してきたし東北肥料もなくなってしまったから、引込線のレールは取り払われ、跡地には雑草が生茂っている。

 ところで私は今、秋田小橋の袂から人目を忍んでこっそりとこの引込線跡地に下り立ってみた。誰かに見つかれば叱られるに違いないが、なに、列車は来ないのだから多分危険はない。それに市街地へ買物に出掛けるバスの車窓から、いつもこの石橋とその下の草河を見つめていてずうっと前からあの橋の下に下り立ちたい、そして国道からは見ることのできない流れの向う側に行ってみたいという底知れぬ願望というものが、私の胸の中に満ち満ちていた。だからこうして降りてみる気になったのだ。

 雑草の流れは思ったよりも深く、私の脚を膝の位置よりも高い所まで隠した。一瞬どちらの流れに向って進むか迷ったが、考えてみれば工場側に進んだとしてもおそらく三菱マテリアルの直前で流れが塞がってしまっているであろうことは、行かずしてなかば明白のような気がした。私は向きを変え工場とは逆の方向に歩を進めた。

 絡み付く雑草に脚を取られそうになりながらも私は小橋から丁度茨島市営住宅の当たりまで歩いてきた。視野の右側にまばらな家並があるほかは、あたりは一面見渡す限り緑の大海となった。ところがさっきまで晴れ渡っていたはずの空が曇天となり、いつの間にか靄がかかってきて視界はそれほど広くはなかった。それでもしばらく歩いていると徐々に緑の波々は高さを落とし、数十歩も歩いているとそれまで草の中に隠れていた私の靴が再び草の上に現れだした。この辺りから草地は視野の左側つまり北の方角に拡がってゆき、正面の方向はやはり家並で行手を塞がれる。私は草地の流れに合わせて歩の方向を左へ傾けた。

 しばらく歩き私の足元の草を見下ろすと、ちょうど私の両脇の草地が踏み固められたように凹んでいる。それは二本の平行な直線をなし、はるか彼方の草地にまで続いていた。まるでさっきまで敷かれていたレールが今取り払われたかのように。

 さらに歩いてゆくと今まで草地の凹みにすぎなかった二本の平行線が知らない間に鉄のレールに変わっていた。しかしそれでも私はあまり驚かなかった。廃線になったとはいえレールが完全に取り払われずに残っていることだって充分に考えられたからである。

 しかし。またさらにそのレールを辿って歩くうちに、今度は停車している貨物列車にぶちあたった。廃車になったものを置き去りにしていったのであろうか。それにしては少し車両が新しいような気もしたが、それ以上考える余裕もなしに突然人の気配がした。

 私は反射的に扉の開いている貨物車両に飛び乗り扉を閉ざした。後になって考えれば何もそこまでして隠れなくとも良かったと思うのだが、なにしろとっさのことだったからそこまで考えが廻らなかった。中は暗い。目が慣れてくると車内には丁度ウォッカを詰めるような木箱が私の周りに数個置かれていた。もうそろそろ外に出ても大丈夫だろう。私は扉のところへ行き外に出ようとする。扉は開かない。

 ……気が付くと貨物列車は走り出していた。途中で数回停車はしたが時間的に考えて秋田駅は通過してしまったようだった。どこまで進むのだろう。なにか考えようとしても頭が働かず私は空腹を忘れるために睡魔に身を任せることにした。

 目が覚めたのは列車が音をたてて急停車をして再びどこかの駅に到着したときだった。列車が完全に停止するとまもなく外から私の乗っている車両の扉の錠を外す音がした。私は慌てて何故か蓋が開いて空だった大きめの木箱に身を隠し内側から蓋を閉じた。しばらくして外から扉が開き、中の積荷が外に運ばれ出した。私も箱ごと外へ運ばれた……

* * *

 そんな訳で私のちょっとした好奇心から話は随分とんでもない方向にいってしまった。私は箱から抜け出し見知らぬ駅を出、今は駅のすぐそばにある廃映画館にこっそり棲み付いている。最初の頃は一応人に見つからないように居着いていたつもりだが、この映画館を管理している男は私の存在にうすうす感付いているらしく時々ポップコーンや新聞を入口にこっそり置いてくれていたりするので、最近では私も堂々としたものである。まあ今更家に戻っても別にすることがないし帰ろうにもここがどこなのかも未だにわからないのでこのまま居座るのも悪くはないと思っている。あなたがもしどこかの廃映画館の座席でポップコーンを喰ったり新聞を読んだりしている男を見つけたら、それはなにを隠そうこの私なのだ、きっと。


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