趣味の部屋②(My Room)
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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趣味の部屋②(My Room)




ここからは個人的思想が含まれます。お付き合いいただける方のみ読んで頂けると嬉しいです。




戦艦「大和」に興味を持ったのは小学生になってからだったと思います。TVで終戦記念として「戦艦大和」という
映画を放送したのをじっと見ていていたのを覚えています。確か俳優の中井貴一さんが出演していたような・・・

あとは模型の戦艦大和を目にしたときです。確か初めはモーター付きの模型で、水面に浮かべて遊ぶものを作った覚えが
あります。そのころから大和と聞けば「強い」「大きい」「かっこいい」というイメージを思い浮かべました。

そんななか、小学校の図書館にいった時に「戦艦大和の最後」という本を見つけました。
迷うことなく本を手にとって借りました。文面は難しく小学生の私には読むのに時間がかかりましたが、
元々本を読むのが好きだったので夢中になって読みました。本を読み終わったあと
・・・「悲劇」というイメージが新しくインプットされました。

そして4つのイメージが大きく覆されたのが昨年に公開された「男たちの大和」という映画を見たときでした。
今まで大和には多くの悲劇があり、多くのエピソードがあったことが語り継がれていました。

沖縄特攻の際、燃料が片道分しか積まれず、帰ることを許されなかったという話や、
出撃の際に、「今後の日本のために若い命を大事に・・」と若い兵を降ろしたという話・・・

エピソードは真実を美化するものでしかありません。エピソードは戦後60年語り継がれる間、真実より大きく
目立ったものになったに違いありません。だから4つのイメージが世間についたのだと思います。

真実はどうだったのか?ということになりますが、真実を知るのは「大和」に関わった人々のみです。
しかし、「大和」に関わった人々は戦争で大きな傷を負い、戦後ずっとその傷が癒えることなく現在に至ります。

というよりも傷を癒す方法がないほど大きな傷・・・それが真実です。戦闘中に亡くなった戦友、自分だけ生き残って
内地に生還した思い、遺族に戦友の戦死を伝える辛さ、それを聞いた遺族の表情・・・いろんな思いが大きな傷となり
生存者の戦後を辛いものにしました。真実を他の人々に語ろうと思っても思い出すのが辛く、生存者の方々は口を閉じた
ままだったそうです。終戦から60年、自分の生きる意味を探し続けながら戦友のもとに逝かれた方もいます。

一つ・・・今、この年齢になって思うことがあります。それは祖父から戦争体験の話を聞くことができなかったということです。
小学校のころに戦艦・伊勢か日向の模型を作っていると「おじいさんはその船に乗ってたことがあるんだよ・・・」
と話してくれました。それ以上の話は聞くことはその時はなく、そして今もありません。

祖父は高齢になり老後を気ままに過ごしています。今さら戦時中の話を聞き出すのもどうかと思いためらっています。
父や叔母に「おじいさんから戦争中何をしていたか聞いたことがない?」と聞いたこともありましたが・・・
答えははっきりとせず、戦時中に祖父が何を体験したかは分からないままです。身近に「真実」を知る人がいるのに
と思うことが時折あります。

教科書で歴史的事件を見るとき、それにはそのことが起こった政治的要因や原因、関わった人々のことのみが
簡潔に書いてあるのみです。私達はそれ以上のものを知ることなく生きてきました。それ以上を知るには
自分で動くことしか出来ないのが現代の現状です。そうこうしている間に戦争体験者の人々は大半が亡くなり
貴重な「真実」が失われ続けています。

「大和」には「歴史的背景や政治的な背景にとらわれることなく、実体験をした人々の「真実」を知ること」
それが私たちの世代に課せられた課題だと知らされました。

大げさなことばかりを言いましたが、これが私の「大和」に捧げる想いです。
想いを知っていただけたらと思い長々と文章を書きました。
これで戦後60年、戦争という「真実」を考えていただくきっかけになったらと思います。

長々と私事に付き合っていただきありがとうございました。
考えがうまくまとめられず読みにくい文面になったことと思いますが読んで頂きありがとうございました。



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