このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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「国鉄型」特急電車いよいよ終焉〜〜583系電車の場合
■一般車に格下げされた特急電車
拙志学館を開設した翌年の平成13(2001)年、筆者は
「『国鉄型』特急電車の暮れゆく前途」
という記事を興している。この記事からちょうど十年が経って、九州新幹線開業を契機とするJR各社のダイヤ改正により、しぶとく生き残っていた「国鉄型」特急電車のかなりの数が、ようやく引退に追いこまれた。
その代表例がJR九州「にちりん」「きりしま」等用及びJR西日本「雷鳥」用 485系である。これら車両は、一線級とはいえないにせよ、最後まで特急列車に充てられていたという意味での華々しさがある。これに対し一般車に格下げされて、しかも一般車として運用された期間のほうが長くなった車両も存在する。寝台電車 583系を改造した車両群がそれで、JR西日本においては 419系電車が相当する。その 419系、今ダイヤ改正直前の平成23(2011)年 3月11日を最後に運用を離れた。
糸魚川に留置中の419系(平成13(2001)年撮影)
筆者においては何故か、この 419系電車の写真ストックがいくつかあるので、時系列を追ってみたい。最初の記事として採り上げたのは上の写真で、糸魚川で留置中のところを遠望して撮影した。記事には「JR西日本管内ではしぶとく生き残っているが、先はそう長くあるまい」と書いたものの、まさかその後10年にも渡って営業運転に充てられるとは、まったくの想定外であった。当時既にくたびれ果てたポンコツ車両に見えたというのに、驚嘆すべき生命力ではないか。
■列車じたいが過去のものになった事例も
次は岐阜から大阪に移動中の間に撮影した写真を。
米原に停車中の419系(平成16(2004)年撮影)
米原で出発を待つ、近江塩津経由湖西線近江今津行列車を撮影した。これは琵琶湖周回列車とも通称されており、このような列車が存在したからこそ北陸本線・湖西線の直流化が推進されたという経緯がある(※)。現在では琵琶湖沿岸を走る列車は直流電車が主体となり、交直両用電車の出番は限定的である(※)。また、近江塩津で系統分割されてしまい、琵琶湖周回列車そのものが解消されてしまった。
※:湖西−近江塩津−湖東をより多くの直通列車で結ぼう、という点が滋賀県計画の主眼だったとされている。ところが現実には、湖西−敦賀(以北)及び湖東−敦賀という列車系統設定になっている。交直両用電車は現在、近江今津−福井間の列車などに充てられている。
■車歴
寝台電車 583系として製造されたのは昭和45(1970)年前後のことになる。その後山陽新幹線・東北新幹線が開業し、昼夜兼行する寝台電車の需要じたいが少なくなった。昼夜とも居住性に難があることも災いして、国鉄改革末期には電化されながら普通列車に客車・気動車が充てられている線区向けとして、一般車への格下げ改造が行われた。
その一環として 419系が登場したのは昭和60(1985)年のこと。車歴はおおよそ15年というところで、特急用車両としては曲がり角を曲がった時期にあたることは間違いない。
鯖江に停車中の419系(平成20(2008)年撮影)
異形と形容すべき切妻先頭形状、原型を活かした座席配置、窓開閉化の十字架のような醜い造作など、簡略にすぎる格下げ改造形態からして、短期の「つなぎ」で終わる徒花の如き車両、と予測した向きは少なくなかったと思われる。ところが 419系の場合、格下げされてからの期間の方が長くなってしまい、実に改造後25年も使われ続けた。JR東日本・九州 715系がまさしく「つなぎ」車両であった事実と比べ(それでも10年以上使われたのだが)、大きく異なる道を歩んだことになる。
延々と 419系が使われ続けた理由は、必ずしも明らかではない。筆者自身が何度か乗車した経験からいうと、「北陸本線では 419系ていどの車両でも充分に間に合った」からだ、という発想に辿りつかざるをえない。例えば東北本線の 715系は求められる輸送需給には不向き、容量不足は明白であり、新車投入で調整を図るのは当然の成り行きであった。
福井に入線する419系(平成20(2008)年撮影)
北陸本線では、富山・金沢周辺ではともかくとして、県境区間では需要がかなり少ない。混雑する輸送にはまったく適合しない車内レイアウトの 419系でも、そこそこ対応できてしまう状況があった。さらに、JR西日本はJR他社と比べ、より旧い車両を使いこなす社是があるらしく、全般に車両の経年が進んでいる。JR東日本では既に絶滅した 103系や 201系がJR西日本には相当数残存している事実からすれば、 419系が長年生き残ったのはむしろ当然なのかもしれない。ともあれ、 419系を使いこなし尽くしたJR西日本の見識には感じ入らざるをえない。
その 419系がようやく引退した。筆者においては、もともと酷使を重ねてきた特急電車の改造であるうえに、あまりにも簡略な改造のままで運用されていたので、引退は遅きに失したのではないか、と受け止めている。報道されているような懐古・惜別の思いなど、全くないに等しい。それどころか、今までかような車両を使い続けたのは如何なものか、とすら思っているほどだ。
■まだまだ頑張る583系
ところがところが、本家本元の 583系が未だほんらいの用途で現役だったりする。夜行急行「きたぐに」に充てられているから、特急時代から比べれば格下げ運用になるとしても、寝台機能が活用されている以上、やはり本来用途で現役とみなすべきなのであろう。
筆者の感覚では、このように本来用途で使いこなした方が車両にとっても幸福だ、とは思う。ただし、優等列車として使うには、いくらなんでも経年劣化が進みすぎである。
新大阪で出発を待つ583系「きたぐに」(平成20(2008)年撮影)
車歴はおよそ40年前後。優等列車として運用するにはかなり旧い。平成26(2014)年度に予定されている北陸新幹線金沢延伸を待つまでもなく、昨今の夜行列車見直しの荒波に揉まれ消え去る可能性もある。現に寝台特急「北陸」と急行「能登」は廃止されており、廃止に至った主たる理由は、需要低迷に加え、車両老朽化が進んだからともいわれているから、「きたぐに」のみ安泰とは到底いえまい。
既に 715系はなく、 419系が引退となった今、 583系は「逆縁」に遭ったようなものである。その余生が如何なる推移になっていくのか、最後の輝きを発することができるのか。残された僅かな時のなか、 583系はなお走り続けていく。
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執筆備忘録
撮影:平成13・16・20(2001・2004・2008)年
執筆:平成23(2011)年春
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