このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

急  心裂かれる思い

 

 

■釣掛音との再会

 私が船橋市に移住して既に5年になる。船橋駅からJR総武快速線で乗車する際、東武野田線の釣掛音を耳にし、形容しがたいなつかしさを覚えた。おまえまだ生きていたか、そう言って肩を叩きたくなるような感情である。「カステラ」電車の生き残りが未だ健在というだけで、無性にうれしかった。

 そのような感情は、しかし、一度乗車しただけで吹き飛んでしまった。所用で野田線に乗車した際のことである。偶然ながら、5070系に当たった。これはラッキーな、と思えたのは出発するまでのこと。動き出してからは辟易せざるをえなかった。うるさい、揺れる、びびる。現在のサービス水準には、まったく到達していない。釣掛駆動を云々する以前に、そもそも台車が旧すぎるのである。私は、深い失望を感じた。

 初恋の女性に再会したものの、相手は醜く老いていた、という話に似た気分を覚えた。7300・7800系は、確かにまだ生きていた。5070系となって、容姿は若返っていた。ところが、鉄道車両の最も本質的な部分は老いていた。それも、ごく醜く。

写真−6 5070系(馬込沢)

 なつかしいとか、好きだとか、そういう感情で鉄道車両を見てはいけないと痛感した。鉄道車両は所詮道具にすぎない。道具は愛情を持って丁寧に使いこなすべきであり、心をとられて引きずられるようではいけない。

 5070系は、私にとってなつかしい車両である。しかしその性能は、世間一般の要求水準を明らかに満たしていない。かような車両は一刻も早く淘汰されなければならない、一人の鉄道屋としての私は、そう考えざるをえないのである。

 

■野田線ではもうすぐ終焉

 野田線には、8000系の転属が続いている。それも初期車が多い。8000系の若番車は更新工事を受け、前面形状に大きな変化が認められるが、それでも車体の痛みそのものは隠せない。この車両も、充分に旧くなってきた。

写真−7 8000系更新車(馬込沢)

 8000系は東武鉄道の顔とでも呼ぶべき車両であるが、登場以来既に37年が経ち、痛みが目立つようになってきた。そのため、初期車を中心に更新工事が行われている。更新車は 10030系と相似のブラック・フェイスとなり、小田急9000系にも似通う趣の車両となった。もっとも、更新工事が行われても、車体の根幹部分は従前のままである。若番車などは、たとえ更新工事が施されていても、外板の痛みが目立つものも見受けられる。

 

   

写真−8  10000系(西新井)          写真−9  10030系(西新井)

 東武鉄道では新系列車が続々と投入されている。写真−7の 10000系は、8000系の後継形式と位置づけられているが、若干野暮ったい感じがする。写真−8の 10030系はこれをマイナーチェンジしたもので、洗練された外観となっている。この流れは、営団半蔵門線直通用の 30000系まで継がれている。これらの新系列車の投入が、8000系の転属を招き、5000系一統の居場所を狭めている。

 

 5070系の出番は明らかに減ってきた。ラッシュ時はともかくとして、日中にその姿を見かける機会は少なくなった。8000系の転配はこの先もさらに続く。8000系に追いつめられ、5070系の終焉は間近いと、噂に聞く。おそらく、それは事実であろう。

 関東北部の支線では、5000・5050系があと数年のオーダーで残存できるかもしれない。あるいは、5070系から2両を抜いての転属・置換もありえるかもしれない。しかしこれらは、私にとっての「7300・7800系」ではない。地方支線に転じた旧型国電が私にとっての「旧型国電」ではないように。あるいは、4両編成になった新幹線 100系が私にとっての「新幹線 100系」ではないように。

 5070系が引退する時には、私は乗りに行くだろう。過ぎし日と時代の変転を思い、痛惜の情を感じるであろう。しかし、利用者のことを思えば、引退を慶賀しなければならないだろう。悲しむべきか、喜ぶべきか。私の心は、両方の極から引っ張られ、裂けてしまいそうだ。

写真−10 5070系(塚田)

 駅南方の踏切上から撮影。撮影日の日中の運用に就いていた5070系は、わずか1編成。数枚の写真を撮るのに、2時間近くを要した。野田線から釣掛の音が消える日は近い。

 

 

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