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都城





 三が日を過ぎ、松飾りがとれてもなお、都はまだ正月の祝賀気分が抜けていなかった。なんと脳天気なものよと、甲四郎は苦々しく思いながら登城した。

 城主はこの国の主であり、また甲四郎の父でもあった。名を豊志郎といった。親子の情を措くとして、国主豊志郎に対して報告すべきことが、山のように積み重なっていた。

 父豊志郎はすぐに時間をつくってくれた。甲四郎に会いたくてしかたないという風情だった。

「久しいな、甲四郎」

「父上もお元気そうでなによりです」

「わしは年をとりすぎた。早く隠居させて貰いたいものだが」

「兄上がおられます。隠居せずとも、政務は兄上にまかせ、楽をすればよいではないですか」

「文一郎は、病気がちだ。療養すると申して、滅多に登城せぬ」

 甲四郎は、兄文一郎の心もちを痛々しく思っていた。病気がちといっても、風邪を引きやすいという程度のもので、国主の座に就いてもなんら支障ないはずだった。文一郎は凡庸な人物で、文武両道の盛名高き弟甲四郎に嫉妬し、かつ恐怖心を抱いているのであった。甲四郎にとって、それは心外な状態だった。甲四郎には弟として兄を敬愛しており、謙譲に支える意志こそあっても、争うつもりなど毛頭なかった。

 ところが、臣下の中には、ほんらい国主になれぬはずの甲四郎を押し出すことで、自らの栄進を図る者がいるのであった。このままでは臣下が分裂しかねない、そう危惧した甲四郎は敢えて城を出て、諸国を巡遊しながら見聞を広めていたのであった。

 一方の文一郎は、甲四郎がいずれ帰城して国主の座を襲うことを恐れていた。資質を比較されれば、文一郎が甲四郎に遠く及ばないことは明確だった。焦って国主の座に就いても、甲四郎に追い落とされてはたまらないという恐怖が、文一郎を自宅に籠もらせていた。

「このままでは文一郎は頼れぬ。甲四郎、そなたが国主にならぬか」

「父上、それは絶対になりませぬ。我が国は遠大な謀略を仕掛けられているのです。もはや今、我が国は白蟻に食われ傾きかけた家のようなもの。どのような形であれ、この甲四郎が城の序列に戻ることで、事態をより複雑かつ困難にするのは拙いです」

「なんと」

 断れるだろうと思っていたが、思いも及ばぬ話ではないか。

「詳しく話せ」

「無論、そのために帰ってきたのです」



 甲四郎の国は富んでいた。地味が肥え実りは豊か、名産の品も多く、近隣諸国のなかで農工商の中心にあった。

 この国富は近隣諸国の羨望の的であり、そのために昔から、繰り返し侵略を受けてきた歴史があった。もっとも、国力の懸絶は天地雲泥の差ほどもあり、侵略は常に撥ね返されてきた。

 侵略を受けて立つのは鬱陶しいことではあったが、逆に攻め出て侵略の意図を挫こうとした例はなかった。富める国が貧しい国を併せたところで、重荷になるのは明々白々であり、泰然自若としているのが大国の襟度であった。

 ここ数十年、近隣諸国はおとなしくなっていた。しかしそれは、侵略の意図を諦めたからではなかった。ある一国において、暗黒の知恵を持つ者が宰相となり、しきりに策謀をめぐらせた。曰く、外から攻めるは下策、内から攻めるは上策。

 もっとも、単純な反間策ならば、粉砕するのは容易であった。甲四郎を国主に推す動きがあるというのも、その国の策謀の結果であったが、策謀の存在が全くわからない時点で既に、甲四郎が自ら国を出ることによって潰される程度のものにすぎなかった。

 ところが、反間策は主要な力点ではなかった。もっと深いところで、策謀は進んでいた。その国は連年、多くの女間者を送りこんでいた。その狙いは臣下の家、それも男児が得られていない家に集中していた。女間者は表向き女中としてもぐりこんでいた。

 第一陣の女間者は、その家の正妻を殺害する役目を果たした。大抵の場合、病死を偽装できる薬を使っていたので、疑いを受けることはなかった。

 第二陣の女間者は、独身となったその家の主人を誘惑して交わり、男児を産むのが務めだった。そして、男児さえ得られれば主人はもはや用なし、毒を盛って世から消した。

 あとは長い時間をかけ、家を継ぐ者として男児を育てればよかった。女間者が教育する以上、男児の忠誠がどちらを向くかは明らかであった。

 十年単位の長期に渡る、遠大な策謀の網に、甲四郎の国は搦められかけていた。即効ある策謀ではないにせよ、将来必ず効くという恐ろしさがあった。男児らが成人し、国の枢要を担うようになれば、この国は丸ごと乗っ取られたも同然である。そうなる前に、未然に防がなければならなかった。

「そんな策略が、ありうるのか」

 豊志郎は戦慄していた。老いて気力体力が傾きつつあっても、国主としての気概を失ったわけではなかった。戦わねばならなかった。

「さすがに大臣家にまでは魔の手は伸びておらぬが、奉行家の中には十以上、この手でやられた家がある。父上、思い返してほしい。ここ数年、奉行家の当主が続けて若死にしていることを」

 甲四郎が指摘するとおりであった。確かに、奉行家当主の急逝は頻発していた。哀れな者たちとまでは思っても、まさか策略によるとは想像もできなかった。

「なるほど、そなたは引き続く当主急逝を怪しいと思い、調べてみたのだな」

 豊志郎は話を先取りした。幼少の頃から甲四郎は知略に富んだ男だった。

「御意。どの家も同じような履歴なので奇妙に感じたのです。まだ男児が得られないうちに正妻が早死にし、当主が下女に手をつけて、男児が生まれた直後に当主も早死にしている。全て同じ流れだったので、尋常に非ずと思って調べたら、よその国から下女を登用しているとの共通項があったのです」

「つまり、証拠はないのだな」

「残念ながら」

「どのように対応するつもりだ」

「歴史に例のないことですが、こちらから戦を仕掛けましょう。その国を先に滅ぼし、策略の根を絶てば、自然に立ち枯れになろうかと」

「そなたはどうする」

「将軍に任じて頂ければ、常に急先鋒となり、敵と刃を交わし、断じて退かず、常に前進前進、敵の都を落とし、策謀の根元を滅ぼしてみせます」

「その意気やよし。だが、その時には文一郎が国主でないと、釣り合いがとれぬぞ」

「承知しております。父上からも兄上を御説得くださいませ」

 弟を警戒する兄の小心、甲四郎はむしょうに悲しかった。

「やってみよう。そなたが城を出てもまだ家に籠もっているあたり、意固地になってきっかけをつかめぬだけかもしれぬ」

 豊志郎は酒膳を運ばせた。政務の話はここまで、あとは親子としての対話である。

「甲四郎よ、そなたは外で、だいぶ派手にやっておるそうだな」

「おそれいります」

「毎夜女に耽溺している、という噂も耳に入ってくるが、もし本当ならば控えておけ。酒と女は身の毒だ。若いうちはまだ良いが、寿命を縮めるもとになる」

「兄上に疎まれ、城を出た身としては、女の肌のぬくもりが懐かしくてたまりませぬ」

「このたわけ」

 豊志郎は苦笑した。この種の話を神妙な顔で語られては、おかしくてたまらない。

「ですが父上、御安心ください。この甲四郎、伴侶とすべき素晴らしい女に出会いました。まだこちらが見初めただけで、断られてしまうかもしれませんが、成就した暁には是非とも御祝賀を賜りたく」

 甲四郎の態度を、豊志郎はいじましく思った。高格の家から妻を娶れば、閨閥をつくることになり、文一郎が警戒する材料をさらに増やしてしまう。敢えて市井に伴侶を求め、あらぬ疑いを招かぬようにするとは、配慮と呼ぶには行き届きすぎているではないか。

「甲四郎、そこまでせずとも良かろう。国を支えるためにも、婚姻は重要ぞ」

「父上がなにを仰りたいか、承知しているつもりですが……」

 強い決意を秘めて、甲四郎は言い切った。

「これだけは譲れませぬ。この甲四郎が国を支えていくためにも、かの女は必ず重要な役を担うことになるでしょう。かくも素晴らしき女、かつて見たこともありません」

 なんと大袈裟なと思いつつ、豊志郎は甲四郎に説き伏せられていた。まだ遠い先のこととしても、甲四郎が絶賛する女に会って見たいものだと思い始めていた。





次章に続く

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