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賊退治





 目が覚めた時にはまだ陽は登っていない。起き出すには早すぎる時刻だ。とはいえ、たっぷりと眠ったせいか、目が冴えてしかたない。いつまでも布団にくるまっているのもばかばかしいし、服を着替えて部屋を出る。

 服はきれいに洗濯されていた。なんだかんだで、ナトラは気を遣ってくれている。

 階下の部屋にナトラの寝姿が見える。聞こえてくるのはくうくうというひそやかな寝息。この烈しい娘のことだから山姥のような高いびきかと思っていたが、どうしてどうして、おしとやかなものだ。

 通りに出てみる。さすがに朝は空気がいい。今、ようやく太陽が顔を出そうとしている。

 向かいの家の扉が開く。出てきたのは惣菜屋の女将だ。

「おはようございます」

 おれに気づいた女将は、物の怪でも見るような目でおれを見つめてくる。

「あんた、ナトラに泊めてもらったのかい」

「ええ、そうですよ」

「信じられないわ。ナトラがここに住んで四年になるけど、男を泊めたなんて初めてのことよ」

「へえ、そうなんですか」

 女将は急に声をひそめ、つかぬことを訊いてくる。

「時に、あんた、ナトラを手籠めにはしなかったろうね」

「とんでもない」

 そんなこと誰がするものか。だいいち、強力な魔法を駆使するナトラを手籠めにできる男などこの世にいるとは思えない。

「それならいいんだけど。あの子、ああ見えてもまだ十六歳なんだからね」

「じゅ、十六ぅ」

 一瞬聞き間違えたかと思う。けれど、おれの耳は確かに十六歳と聞いている。信じられない。おれはてっきり同じ年頃か、へたをすれば年上かもしれないとすら思っていた。それがおれより五つも年下とは、想像をはるかに超えている。

「そ。十六なのよ、ナトラは」

 女将は涼しい顔をしている。女将にとってはなにもかもが日常ということなのだろう。

「おとなびては見えるけどね。でも、まだまだあの子はこどもよ。ところで、あんたはいくつになるの」

「二十一です」

「ナトラより五つ上ね。いいこと。泊めてあげたというからには、ナトラはあんたを好いているに違いないわ。言っとくけど、それは途方もないことなのよ。ナトラは今までに言い寄ってきた男どもをことごとくはねつけているんだから」

「はあ」

 十六の小娘に男どもが言い寄ってくるとは、ただごとではない。それだけナトラにはおとなの魅力があるということだ。

「勝気で強情っ張りなあの子だけど、年相応にもろいところがあるわ。あんたの方が五つも年上なんだから、あの子を優しくいたわってあげなきゃだめよ」

 これには素直にうなずけない。優しくできるものならそうしたい。だが、実のところ、おれはナトラの力を借りにきただけにすぎない。頼みごとをしにきたおれが優しくしたところで、滑稽というものではないか。

 曖昧な顔をしているおれに、女将は怒鳴りつける。

「こらっ、返事はどうした」

「はいっ」

 勢いよく叫ばざるをえない。



 おれは台所で腕をふるっている。ついつい鼻歌まで出てしまう。習慣とはおそろしいものだ。家での日常通りに、おれは朝食の膳をととのえている。

 女将はナトラを優しくいたわれと言った。これが優しさなのかどうかはわからない。わかっているのは、今のおれになしえるナトラへの好意の表現は朝食を用意するぐらいだということだ。気に入ってくれるといいのだが。

「おはよ」

 ナトラが台所に入ってくる。

「おはよう」

 炒めものをしているおれは振り向けない。

「ハリヤって、早起きね」

「いつものことさ」

「これ、全部あんたがつくったの」

「ああ」

「おいしそう。でも、わたし、こんなには食べられないわよ」

「あ」

 抜かった。ついつい、村長一族あわせて二十二人のつもりで料理してしまった。おれはおそるおそる後ろを振り返る。

「どうするつもり、この料理」

 ナトラには怒っている様子はない。とびきりの笑顔でおれを見つめている。

「どうしよう。前のお惣菜屋さんに引き取ってもらおうか」

「いい考えね。話をつけてくるわ」

 寝間着のままでナトラは表に出る。ことの意外に女将は驚いたような顔をしている。ようやく経緯をのみこめると、女将もまた、福々しい笑顔を見せておれに言う。

「それでいいのよ」

 いいのだろうか。おれには自信がない。だが、それは杞憂だったようだ。おいしい、と心の底からにじみ出てくるようなまあるい顔で、ナトラは朝食を口に運んでいる。

 食べ終えると、ナトラは魔法を口にする。

「小人どもよ。集いて器を片付けん」

 いったいどこから現われたものか。五十人ばかりの小人が食卓の上にわらわらと集まり、整然と器を片付けていく。ある小人は器を運び、ある小人は器を洗い、ある小人は器を棚にしまっている。残る小人はおれとナトラの前に食後の茶を用意する。みんな働き者だ。なにもしていない小人などいない。

 おれのびっくりしている様を見て、ナトラはくすくすと笑っている。

「これでわかったよ。なんでナトラがお茶も入れられないほど不器用なのか」

 全て小人任せとあれば、家事を器用にこなせるわけがない。

「まあね。いつもはあの小人たちに食事の用意もさせてるんだけど。今日はあんたが朝食を用意してくれたから、小人たちも楽できたって喜んでるわ」

「へえ」

 魔法を使えぬ身とあれば感嘆するしかない。待てよ。いつもはなにもかも小人に任せているということは。

「ナトラ。ナトラは昨日、おれにお茶を入れてくれたね。いつも小人の力に頼っているナトラが、どうしてまた」

「あら」

 ナトラの目が大きく見開かれる。

「あんたって、野暮ね。でも、そこがいいわ」

「えっ」

 なにがなんだかわからない。

「さ、賊退治のことを考えましょ。はい、手を出してみて」

 当惑するおれの気持ちにお構いなく、ナトラはおれの右手を掴む。

「ハリヤのうちに潜む記憶よ。出でてわれにイナダオク村までの道を示せ」

 右のてのひらから光が湧いてくる。光はしばらく揺れ動いていたかと思うと、結晶し、おれの村からイェドゥア城までの大鳥瞰図となる。素晴らしい魔法だ。

「百里ちょいといったところね。これなら半刻もかからずに村に行けそうだわ」

「そんな」

 ばかなと言いかけて、ようやく気づく。ナトラには魔法があるのだ。

「ちょっと待っててね。用意してくるから」

 再び目の前に現われたナトラはもの凄い格好をしている。さすがに魔法使いらしく黒を土台にしてはいるものの、とんがり帽子には巨大な三叉の羽根飾り、そのうえ全身に極彩色の装身具をまとっている。厚化粧とあいまって、異風極まりない。

「その格好で村に行くのか」

 村の水商売の女だってこれほど派手な格好はしない。村人たちはナトラを見てどんな顔をするだろう。

「そうだよ。どこかおかしいところでもあるの」

 ナトラにとってはこれがあたりまえの服装らしい。のびやかな笑顔を示してくる。

「おかしいところはないんだけどね。でも、やっぱりおかしいような気がする」

 おれの顔色を見て、ナトラはきょとんとした表情をつくる。



 おれとナトラは連れだって歩く。ナトラの家から城門まで、どんな人混みであっても必ず道は開かれる。威風堂々としたものだ。衆目には尊敬と畏怖の色が宿っている。ナトラが城内の人にどう見られているかがよくわかる。

 城門まで来てナトラは立ち止まる。

「ハトウ様、おはようございます」

 ナトラに挨拶された老衛士は好々爺然とした笑みで応える。

「おはよう、ナトラ。お出かけかな」

「はい。しばらく城を留守にいたします。その間、城のことをお頼み申し上げます」

「承知した。心おきなく出かけてくるがよい」

「ありがとうございます」

「ところで、後ろの男は何者かな」

「ハリヤと申します。わが祖母の村に居る者で、この者に助力せんがため、一時城を離れるのでございます」

「そうか。佳き男に出会えたものよ。さ、そなたも先を急ぐであろう。疾く行け」

「はい」

 一礼してナトラは城を出る。

「今のお方は。凡なひとには見えなかったけど」

 おれの疑問にナトラは簡潔に答える。

「ハトウ様よ。かつての猛将軍にしてイェドゥア城一番の功労者。つまらぬ者に讒言されて爵位を剥がされ、今でこそ城門の衛士を務めているけれど、この城で最も勇猛果敢な方なのよ。城内で男と呼べるのはハトウ様しかいないわ」

「そうだったのか」

 ナトラが礼賛するほどなのだ。人にすぐれし大人物に違いない。礼を尽くしてこなかったことが悔やまれてならない。

「それにしても、あんたも凄いひとよね」

「なんで」

「ばば様から見込まれたうえに、ハトウ様からも佳き男と言われたわ。ばば様もハトウ様も人を見る目は厳しいのにね」

「へえ」

 おれは自分を客観する術を知らない。佳き男、と言われたところで実感が持てない。

「このあたりでいいかしら。まわりに人がいないかどうか、見てちょうだい」

 おれとナトラは一面の野原に立っている。振り返ればイェドゥア城が霞んで見える。人の気配はしない。

「誰もいないようだよ」

「よかった。この魔法は危ないから、人がいるところではできないのよね」

 おいおい、おれだって人だ。だが、ナトラは気にもしていない。

 地を踏みしめ、両手を天にかざし、ナトラは澄んだ声を張り上げる。

「鳳よ。来たりてわれらを天に導け」

 一刹那、晦冥に包まれる。次なる瞬間には暴風が襲ってくる。周囲の木々が薙ぎ倒されていく。目を開けてもいられない。

「ハリヤ、目を開けて。迎えが来たわよ」

 瞼を開けば巨大な鳥が羽根を広げて鎮座している。

「なんだ、これは」

 危うく腰を抜かすところだ。おそろしく威圧感がある鳥を前にして、心の臓が踊るような脈を打っている。

「心配しないで。見かけはごついけど、この子、おとなしいのよ」

「この子、ね」

 ナトラから見ればおとなしいのかもしれないが、おれにとっては充分恐怖の対象だ。ナトラに手を取られて、こわごわと鳥の背中に乗る。

「鳳よ。飛べ。そして、ハリヤの故郷を目指せ」

 鳳はその巨大な翼を翻し、軽々と空に舞い上がる。

 大展望だ。イェドゥア城が豆粒よりも小さくなっていく。眼下に広がるのはひと月の道のり。山賊から逃げまどった山、嵐で増水した川、詐欺に乗せられかかった街。苦くもまたなつかしい思い出だ。

 四半刻も経ぬうちにイナダ山が見えてくる。その麓にはおれの村の家々が並んでいる。ナトラの魔法はほんとうにたいしたものだ。おれが味わってきたひと月の苦労をほんの一瞬に短縮してみせたのだから。

 鳳は湿原に舞い降りる。その背から飛び降りるや否や、ナトラは丸太小屋に飛び込んでいる。

「ばば様」

「おお、ナトラかい」

 ナトラはアルジュばあさんに頬ずりしている。いくら勝気な娘でも、肉親との再会はうれしいのだろう。

「ばば様、お会いしとうございました」

「わしもじゃよ。おまえも随分大きくなった」

「わたし、いつまでもこどもじゃありません」

「どうかな。おまえの魔法にはまだ磨く余地があるぞえ」

 ばあさんはくっくと笑っている。亀の甲より年の功とはよくいったもので、ナトラはすっかりこども扱いされている。

「さて、いつまでも喜びに浸っておるわけにはいかぬ。村は大変なことになっておる」

 水晶玉を取り出してばあさんは言う。

「ハリヤよ、おまえが村を出てから事態は急速に悪化した。村の要のおまえがおらぬものだから、賊どもは気ままに悪行三昧をはたらいておるぞよ。三日に一度は現れ、米を奪い取っては去っていく。米だけならまだよかった。十日ほど前からは女を求めるようになったのじゃ。最初はハヤが自ら志願して賊の中に飛び込んでいった。知っての通りハヤは気が強い。なにか賊どもの気にさわることでも言ったのだろう。二日後にハヤは殺され、一本松に吊るされた。次に拉致されたのはアシナじゃ。アシナは健気であったぞよ。よく耐えたものだと思う。そのアシナもたった今殺され、一本松に吊るされておる。見よ」

 水晶玉の中にアシナの姿が浮かぶ。服を剥がされ、全身傷だらけの無惨な死体となって。おれは怒りに震えている。おれのいない間に跳梁しやがって。なんということをしてくれる。

「村人たちの忍耐も、もはやかなわぬ。これ以上の犠牲が出るようだと、暴発する者も出てくるだろう。そうなる前に、おまえが片をつけよ」

「おう」

 全身の血がたぎる。許せない。奴らを許せない。待っていろ。今、目にもの見せてくれる。

「ナトラ、おれに力を」

 傍らを振り向くと、炎をまとった姿でナトラは身を震わせている。錯覚などではない。確かにナトラは炎を帯びている。

「ハリヤ、行くわよ」

「おう」

 おれとナトラは気負い込んで外に出る。ナトラは右手で天を、左手で地を指し、通る声で叫ぶ。

「馬よ、火の馬よ。来たりて我らを一本松へと導け」

 総身を朱に染めた馬が現われる。まさに火の馬だ。ナトラはおれが跨るのももどかしそうに、馬の尻に鞭をくれる。

「行けっ」

 火の馬は素晴らしい快速を見せ、一本松へと疾駆する。



 一本松には村人たちが総出で集まっている。その向こうにはダケマを初めとする賊が十五騎。ダケマの前には村長が膝まずき、なにごとか懇願している。ダケマが村長を足蹴にする。あ奴、いい年をした村長にまで狼藉をはたらくとは。絶対に許せん。

「ダケマ、やめろ。今、おれが懲らしめてくれん」

 馬から飛び降りるおれを見て、村人たちの顔色がよみがえる。

「ハリヤだ、ハリヤだ」

「ハリヤが帰ってきたぞ」

 涙を流している者さえある。すまん。待たせてしまった。見ていてくれ。おれはやる。

 ダケマをきつく見据えておれは叫ぶ。

「ダケマ。おれがいない間に随分と悪さをしてくれたようだな。のさばるのももはやこれまで、このおれが貴様に誅を下してくれよう」

「わっはっは。小僧、しばらく姿を見ぬからてっきり逃げたものとばかり思っていたぞ。今度は俺も手加減はせぬ。俺を相手にしたことを後悔させてくれるわ」

 相変わらずの余裕だ。その化けの皮、きっと剥がしてみせる。

「ほらを吹くのは、もうよせ。貴様の強さの種は露見しているぞ」

「なんだと」

「ナトラ、頼む」

 おれの横にナトラは立つ。全身を炎にした忿怒の形相で。

「く、魔法使いか」

 ダケマは明らかに狼狽している。こわくなるほどの静けさでナトラは言う。

「あなた、今までに数多くの人を殺しているわね。辺境の村ばかりを襲っていたのは魔法使いを避けるため。辺境なら魔法使いもいるまいと思ったんでしょうけど、ここでわたしに会ったのが運の尽きよ」

「むむむ。者ども、引き揚げだ」

 大慌てに慌ててダケマは背中を見せる。

「雷よ。悪しき者どもを焼き払え」

 どこまでも冷徹にナトラは言う。上空は黒雲に覆われる。黒雲は不気味な渦を巻くと、不意に光を発し、雷が十四本の矢となって地上に降り注ぐ。ひとたまりもあろうか。ダケマの手下どもは瞬時に黒焦げになっている。

「う、うう」

 かつての余裕は今いずこ、脂汗を浮かべてダケマはうろたえている。

「ダケマの身に宿りしガガエラの魔法よ。その力を失わん」

 ナトラには容赦がない。ダケマにかけられていた魔法の力を消してしまう。心なしか、ダケマの体が小さくなったように見える。

「わが怒りよ。鋼の棒と化してハリヤに力を与えん」

 ナトラのてのひらから一条の光が伸び、鋼の棒となって実体となる。

「ハリヤ。これを使って奴を打ちのめしてあげなさい。あいつは樫の棒と鉈しか持っていないわ。あんたの腕なら、この鋼の棒で対等以上に渡り合えるはずよ」

「よしっ」

 棒をひとしきりしごいて感触を確かめ、ダケマにその切っ先を向ける。

「さあ、ダケマ。今こそ貴様を退治してくれん。覚悟せい」

「しゃっ」

 観念したらしい。ダケマは眦を裂いて立ち向かってくる。一合、二合。三合目にしてダケマの棒は粉々になる。おれの鋼の棒はナトラの怒りが凝縮したもの。ナトラの怒りのほどが知れる。

 ダケマは鉈を持とうとする。その瞬間、おれの突きはダケマの右手を痛打している。鈍い音がして鉈が落ちる。もう勝負はついた。というより、まるで勝負にならない。魔法の効力が失せたダケマはとんだへなちょこだ。こんな男にひと月に渡って村が隷従していたとは、涙が出るほど情けない。

「ちくしょう、ちくしょう」

 おれは力の限りダケマを殴り続ける。見る間にダケマは血にまみれていく。とうとうダケマは力つき、地に倒れる。おれは肩で息をついている。

「とどめえーっ」

 おれはダケマの喉笛を突こうとする。が、その狙いは外れる。力が入りすぎたようだ。鋼の棒は深々と大地に刺さっている。幸運なダケマは顔中を青黒く膨らして失神している。

 全身の力が抜けていく。自分の重みさえ支えることができない。おれはがっくりと膝を着く。村人たちが集まってくる。みんな、心配そうな顔だ。肩で息をしながら、おれは言う。

「みんな。ダケマはこの通り、もはや無力ぞ。このひと月の恨みを晴らせ」

「おお」

「おお」

 鳴咽まじりの勝鬨があがる。続くは袋叩きだ。村人たちの恨みは深い。ダケマは全ての村人に踏みにじられることになるだろう。

 おれは大の字になって空を見ている。痛ましくもまた浅ましい村人たちの叫びを聞いていると、自分のしてきたことが報われたのかどうかわからなくなってくる。

 ナトラがやってきてちょこんと枕許に腰を下ろす。

「ありがとう、ナトラのおかげだよ」

 なにはともあれ、おれはこの魔法使いに助けられた。感謝の気持ちを伝えなければ。

「礼には及ばないわ」

 美しき魔法使いのとろけるような笑みに触れ、ようやくおれは報われたような心地になる。





次章に続く

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