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茨城交通湊線第三セクター化へ





■茨城新聞平成19(2007)年 9月28日付記事より


湊線存続で合意
3セク、来春設立
市と茨交 出資比率は1対1

 別会社は茨城交通から鉄道事業を分離し、基本的に市と同社が出資して来年四月に設立。……市と同社の出資比率はほぼ一対一になる見込みで、県は市の出資額の三分の一を補助する。市民の出資希望については市への寄付として受け付け、市出資に含める方針。同社は鉄道資産を現物出資する方向だ。
 来年度から五カ年間で発生する約五億四千万円の設備投資費については国・県・市が三分の一ずつ補助し、約一億一千万円と見込まれる赤字については県と市で補助する。……
 ……
 だが、本間源基(引用者注:ひたちなか)市長は当初から「公共交通を維持するには行政の支援が欠かせない時代になった」との認識を示し、湊線存続に強いリーダーシップを発揮。……
 ……
 存続が決まったとはいえ、湊線を取り巻く環境の厳しさに変わりはない。利用状況に改善の兆しは見えつつあるものの、地域に必要な鉄道として存続し続けるには、恒常的な利用者数の確保が不可欠。……
 ……
 高齢化の進展や環境問題を考えれば、公共交通、とりわけ定時大量輸送が特徴である鉄道の価値が将来、再評価される可能性は小さくない。だが、民間企業の経営にとって「時代の変化」を悠長に待っていられる余裕がなくなってきているのも事実だ。
 公共交通網を維持するには、住民・利用者の視点から、民間と行政がそれぞれ責任を明確にした協力関係の構築が求められる。透明性が高い新会社の運営と利用促進のたゆまぬ取り組みを継続できるかどうかに、今後の正否がかかる。





■コメント

 コメントの必要性があまりない、簡にして要を得た記事。ひたちなか市の行政としての姿勢が鮮明にうかがえる。さらに特筆すべきは茨城交通の姿勢で、ほぼ対等の出資、及び鉄道資産の現物出資(事実上の無償譲渡に近い)をするとは、かなり手厚い措置である。

 別の視点に立ってみれば、そこまでしてでも経営を分離したいという危機感のあらわれともいえ、事態は相当に切迫していると解釈することも可能である。実際のところ、筆者らが試乗した際には、利用者の数が多くはなかった。所詮は単行気動車でまかなえる程度の細い需要にすぎず、特に那珂湊以北ではさびしい状況ではあった。

 鉄道としての存続が決まったことをうれしく思いつつも、結論を先延ばしにしただけに終わる可能性もまた決して否定できない。国鉄特定地方交通線転換線には既に廃止された事例がいくつか出ているし、栗原電鉄→くりはら田園鉄道という先例もある。諸々含めて今後の展開は注目に値する。

キハ3710ほか
那珂湊の車庫で憩うキハ3710(右)ほか


 とりわけ注目したいのは、経営姿勢の適正化である。 廃止された鹿島鉄道 にも同じことがいえるのだが、茨城交通においても実は、需要に対し保有車両数が多すぎる傾向が認められる。新型車両を車庫に寝かせておく一方で、老朽車両を運用に就かせるという状況は理解に苦しむ。ラッシュ時の増結と予備車の必要を考慮してもなお、多いのである。

 趣味的観点を有さない普通の利用者にしてみれば、老朽車両の就役はむしろ迷惑な話に違いない。その老朽車両、いくら由緒があろうとも、旧国鉄色を三両(青・赤・準急)も揃える意義は理解できない。保存車両による集客は、蒸気機関車以外では事業として成立しないことが数々の先例によってほぼ立証済みである(実は蒸気機関車でもかなり苦しいほど)。キハ222 など全国放送のCMに何度も登場しているから、無形の宣伝効果がある可能性も指摘できるが、実益がなければ意味があるとはいいにくい。

キハ2004ほか
旧国鉄色(左:準急 右:赤)


 現状では、道産子車両を廃車に追いこまないための措置、という程度の配慮があるようにしか読めない。北海道の私鉄に起源を発する車両は、今日において確かに稀少ではある。しかしながら、所詮は国鉄制式車のコピーであって、鉄道史や車両技術史的観点から貴重な車両とまではいえない。さらにいえば、北海道時代から茨城交通に移籍した長い期間を通じまったく縁がない塗色をまとってまでレトロさを強調するのは不自然でもある。

※念のためにいえば、茨城交通においてキハ11を稼働可能な状態で維持し続けたことは、車両技術史的観点から相応に大きな功績と評価できる。車両保存の意義を適切に評価するのは、実は難しい。

 新生湊線が車両をどのように取り扱うのか。利用者の要望を満たしながら、世の人心の琴線に触れる策を打てるのか。どちらかといえばミクロな話題ではあるが、「神は細部に宿る」ともいうし、注目したい部分である。





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