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補遺   小川高校下新設の意義





 小川高校下が新設されたのは昭和63(1988)年で、玉里の駅昇格(昭和46(1971)年に信号所として新設)と同時期であった。小川高校下はその名のとおり、小川高の最寄駅である。ところが、鹿島鉄道の運賃設定からすれば、何故この駅を新設したのか意義が見えにくくなってくる。以下に榎本起点の運賃表(廃止直前時点)を掲げてみよう。

駅名距離片道普通運賃通勤定期1月通学定期1月通学定期6月
常陸小川12.4km590円23,060円18,100円97,740円
小川高校下11.7km520円20,280円15,920円85,970円
0.7km70円2,780円2,180円11,770円


 鹿島鉄道の運賃設定は14km以下では 1km刻みで設定されているようで、たとえ短い駅間でも、一駅進む毎に運賃が上がっていく場合が多い。小川高校下新設により常陸小川最寄と比べ、石岡側から見れば値上げとなるケースも出るが、逆に鉾田側から見れば値下げになるケースが多くなるわけである。

 この運賃設定により、石岡側からの利用者には小川高校下を最寄とするインセンティブが働きにくくなる。運行本数は常陸小川で段落ちするし、常陸小川からでも充分に歩ける距離であることに加えて、小川高校下周辺は田圃の真ん中で、喫茶歓談の場所がまったくないのである。これに対し鉾田側からの利用者は、運賃が下がるというただ一点をもって、小川高校下を最寄とする強い動機づけが働くのである。よって、小川高校下の新設は全体として減収要因になるとみなすことができる。

小川高校下駅
小川高校下駅(奥が鉾田方面)

 ただし、交通総合フォーラムでの議論のなかで、旧小川町と旧玉造町の間には学区境があった、という指摘がなされた。一体に見える地域に学区境があるという事実はたいへん意外に思えたものの、本編に登場して頂いた榎本出身の方によれば、榎本からでも小川・石岡の高校に通うことは可能だったそうだ(約15年前時点)。よって通学流動は存在したはずだが、やはり学区境を超えるとなると、太い流動があったとは想定しにくい、とするのが妥当な線と思われる。

 そもそも小川高の規模が小さく、生徒数からすれば各学年 2クラス程度、鹿島鉄道利用者は全体でも高々80名程度というところか。うち鉾田側からの利用は30名と仮定しよう。一人あたり平均減収幅を年間 2万円とすれば、年間60万円程度の減収ということになる。これは決して大きい金額といえないかもしれない。しかし、鹿島鉄道の経営規模からすれば、無視できるほどの減収ともいえないだろう。

 なによりも、一面一線の簡素なつくりとはいえ、ひとつの駅を新設するには相応の初期投資を要した点に留意しなければならない。全列車を停車させるというのも、一回一回は少額ではあるが、やはりコスト増要因である。標識を一本立てるだけ、利用者がなければ通過もできる、バスとは話が違うのである。

 勿論、小川高生の交通安全確保という意味あいもあるだろうし、病院への利用者を期待した面もあるだろう。それにしても、鹿島鉄道の他の施策にちぐはぐさが目立つ現状では、本当に最善策であったのか、どうしても疑問が残ってしまうのである。

東田中駅
通学輸送が鹿島鉄道の太宗を占めるが……(東田中にて)





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