このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

第2章  生まれ変わる悩み

 

■日生線の費用負担

 能勢電鉄において特筆すべきは、日生線の開業である。日生線は、新規の利用者を大量にもたらしたという面においても意義が大きいが、建設費の負担に関してはさらに意義が大きい。日本の鉄道史上に残る、と形容しても過言ではない。

 

写真−4  日生中央駅に憩う列車

 日生中央の利用者数は川西能勢口に次いで多い。最も歴史の新しい駅ながら、能勢電鉄の需要の太宗を担う主要な駅といえる。

 

 日生線の建設費は約60億円とされている。この費用は能勢電鉄ではなく、沿線の開発者である日本生命が拠出している。鉄道新線建設費の開発者負担じたいはニュータウン鉄道では珍しくなく、北総開発・泉北高速など多数の例が見られる。しかし、建設費の全額を純然たる民間セクターが負担したとの事例は稀有である。日生線がおそらく唯一、さらには絶後の例になるのではなかろうか。

 もっとも、鉄道においては稀な事例であっても、川西市では当たり前の手法であるかもしれない。いわゆる「川西方式」は、道路・電気・水道・学校など社会基盤の整備に必要な資金負担を開発者に求めている。この手法を採る限り、自治体の負担は軽く、開発者の負担は重い。経済が急成長している局面においては、多少の負担などインフレーションが覆いつくしたものだが、今となっては川西市に新規参入しようという奇特な開発者は出てくるまい。しかしともあれ、「川西方式」があったからこそ、日生線建設費の開発者負担が受容されたとはいえそうだ。

 日本生命は、宅地分譲価格に日生線建設費を上乗せしたとされている。資金の流れからいえば、広義の受益者負担と見ることもできる。あるいは開発利益還元の先取りとみなすこともできるだろう。とはいえ、能勢電鉄にしてみればまぎれもなく第三者負担である。そして、この第三者負担がなければ、日生線は実現しなかったに違いない。

 

写真−5  日生中央駅付近から展望した日生ニュータウン

 日生ニュータウンの計画人口は約3万人。しかし定住人口はその半分に満ちていない。この事実は、能勢電鉄の経営に微妙な影響を与えているかもしれない。
 明るくはあるが、どこか空虚さも伴う風景である。これは新しい開発地に共通する現象といえるが、様々な不成功事例をも連想させる点が気になるところだ。

 

 

■重くのしかかる近代化投資

 なぜなら、能勢電鉄はただでさえ近代化投資負担に苦しんでいたからである。複線化や線形改良は、事実上の新線建設を意味する。能勢電鉄は、妙見線全線に渡って新しい線路をつくりなおしたに等しい。その努力たるや並大抵のものではなく、費用負担に至ってはさらに重くのしかかる。

 そのためか、能勢電鉄には「開発者に日生線をつくってもらった」といった類の意識はないように見受けられる。むしろ、「輸送力増強投資への応分の負担を開発者に求めた」というところだろうか。

 日生中央の利用者数は川西能勢口に次ぐ。川西能勢口のロケーションを考えれば、日生中央は沿線最大の需要の根源地とみなすことができる。日生ニュータウンそのものは計画人口を大幅に割りこんでいるが、日生線は既に能勢電鉄の需要の太宗を担っている。

 路線の最奥に最大の需要根源地があることは、恵まれた状況といえる。しかしこれは、逆から見れば、全線に渡り輸送力増強投資を行わなければならないことを意味する。需要を獲得するのはいいとしても、莫大な初期投資という大前提が隠れている。

 これは、鉄道事業に伴うジレンマの典型例ともいえる。利用者の増加がありがたいことは確かだ。とはいえ、利用者増に対応するためには少なからぬ投資が必要で、しかもその償還には永い年月を要する。投資物件に対する保守・更新も行わなければならない。鉄道事業者の負担は、いつまで経っても軽減されない。

 能勢電鉄の営業外費用(※1)は昭和54(1979)年以来ほぼ同水準を保っている。総資本に対する固定負債(※2)の比率こそ平成 9(1997)年度に大きく減少したが、その分流動負債(※3)に切り替えられており、同年度の経営は厳しい状況に置かれていたものと推察される。なお、翌平成10(1998)年度に固定負債・流動負債は従前の水準に復しており、厳しい状況からは脱している。
   ※1:この大部分が借入金償還に充てられているのが普通
   ※2:償還期限が1年以上先の負債
   ※3:償還期限が1年未満の負債

 それにしても、日生線の建設費を全て開発者に負担してもらってもなおこの状況とは、投資の重さをどのように理解すればよいのだろうか。日生線の建設費は約60億円と確かに大きい。しかし、これを仮に能勢電鉄が負担したとしても、固定負債額はおよそ15%程度しか増えない。日生線の建設を除外してさえ、能勢電鉄は巨大な投資を行ってきたことがよくわかる。

 近代化投資は不可避だったとはいえ、能勢電鉄の負担はあまりにも大きすぎる。しかも、平成 7(1995)年度を頂点として利用者数は減少に転じてしまった。今までの近代化投資の償還を終えるのはいつの日になるだろうか。現状では利払いが精一杯というところで、明るい展望は残念ながらしばらく見出せそうにない。

 親会社からの支援は、ほとんど期待できない。個別の関係というよりも一般論として、かような状況では子会社の努力に委ねた方が、収益最大化を期待できるからだ。能勢電鉄は、あくまでも独力でもがき続けなければならない。孤独なる努力は、負債を完済する日まで延々と続く。果てはあるのか、苦しみから解放される日はくるのか。確たる答を知る者は誰ひとりとしていない。

 旧き鉄道から新しき鉄道へ。近代化投資に伴う苦しみは、さしずめ「生まれ変わる悩み」と形容できるかもしれない。

 

 

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