このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





天塩炭礦鉄道を歩く

そのⅢ〜〜第一トンネル−第二トンネル





■第一トンネル−桜山間

 第一トンネルを離れ、線路跡は急勾配で下っていく。木陰に囲まれて、いい雰囲気だ。ただし、それは太陽の光を浴びているから。曇天や雨天になると、たちどころに陰々滅々とした景色になってしまう。16年前にこの地を訪れた経験からすれば、信じがたいほどの様相の変化だ。陽光は、あらゆるものを浄化する。

第一トンネル−桜山間
第一トンネル−桜山間(奥が達布方面)


 このあたりは拡幅されており、将来の二車線道路が確保されていることがわかる。線路跡の単線規格と比べれば、やはり広い。

第一トンネル−桜山間
第一トンネル−桜山間(奥が達布方面)


 ここで、興味深い造作を発見した。右手の法面下を拡大してみよう。

第一トンネル−桜山間
第一トンネル−桜山間(奥が達布方面)


 なかなか厳重な布団籠工である。沢筋の屈曲部における、浸食を防止するための措置と見受ける。そして、この沢筋は天塩炭礦鉄道の営業時代から存在していた事実に留意しなければなるまい。第一トンネル達布側坑口は尾根からの水が集まる谷地にあり、線路跡は細い沢筋とほとんど重なっている。つまり、この付近の線路跡は水害を受けやすい地形にあるわけだ。実際のところ16年前には、第一トンネル内部から達布側にかけ沼地と化していた記憶がある。

 天塩炭礦鉄道は水害が原因で運休→廃止という展開があっても決して不思議でなかった。日常の保守にも苦労したはずだ。また、留萠川における連年の水害を想起すれば、線路跡が保全され続けたのは僥倖にすぎない。

 この地形的状況は第二トンネルも変わらない。逆にいえば、地形的な不利を冒して二本のトンネルを穿ったわけで、敢えて留萠を目指した天塩炭礦鉄道の真意がどこにあったのか、おおいに疑問に思えてくる。

第一トンネル−桜山間
第一トンネル−桜山間(奥が留萠方面)


 桜山に下っていくと、拡幅のうえ法面工を施しているため、線路跡が残っていると断定できる箇所が少なくなってくる。上の写真は、数少ないそれらしい場所。

第一トンネル−桜山間
第一トンネル−桜山間(奥が達布方面)


 上の写真になると、それらしくはあるけれど、ほんとうに線路跡だったかどうか、実はかなり怪しい。





■桜山−第二トンネル間

 このカーブを曲がった先の築堤に、桜山駅があったはずである。このカーブのなめらかさには、鉄道独特の匂いがひそんでいる。

桜山
桜山駅跡付近(奥が達布方面)


 林道との交点付近には立派な築堤が残されていたと記憶するが、おそらく作業用道路のアプローチとするためであろう、切り崩されてしまい、鉄道時代の雰囲気は失われていた。

桜山
桜山駅跡付近(奥が留萠方面)


 天塩炭礦鉄道の線路跡を道道に転用する区間は、ここまで。道道は林道に合流して沢の上流を目指し、別の場所から尾根筋を越える計画となっている。では、第二トンネルへと向かう線路跡がどうなっているかというと……。

桜山
桜山駅跡付近(奥が達布方面)


 こんなトンデモナイありさまである(苦笑)。いくら夏真っ盛りとはいえ、この草木のはびこりようは強烈である。人間の力はまったく偉大ではないか。一時期のこととはいえ、偉大なる自然を征服して、ここに鉄道を走らせたのだから。

 さて、自動車の轍がついていることを頼りにして、第二トンネルにどれほど近づけるか試してみる。

桜山
桜山駅跡付近(奥が達布方面)


 轍はすぐに消えた。正直なところ、まったく勝負にならない(苦笑)。どうやらここには、道道工事の法面工から発生した切土が置かれたらしいのだが、原野と変わるところがないように見える。草だけでなく、低木も育ちつつあるから、とてもではないが切り抜けられない。左手の森との隙間に活路を見出そうとするも、こちらは足許がぬかるんでいる。草木に絡まれたうえ、足を取られては、二進も三進もいかない。挑戦数分にして、あっけなく撤退。





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