このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

東北小旅行記〜〜出会いに感動し再会を約す

 

 

 平成 9(1997)年の5月連休をもって、南部縦貫鉄道が廃止(実際にはしばらく休止)されると聞いたとき、最後の様子をぜひ見たいと思ったものだ。かの地には二度も行っておきながら、写真は一葉もなく、自ら撮った写真がほしかったという事情もある。

 ここで難問だったのは、妻をどう説得するかだった。妻には鉄道趣味など微塵もなく、どうせ行くなら海外志向、ブランドものなど買物を楽しむタイプで、おんぼろレールバスを面白がるとはとても思えない。そのため、一般的な観光周遊ルートを組み、その一部に南部縦貫鉄道をはめこんでみた。

 当時の東北新幹線は盛岡が終点、レンタカーを借り恐山まで駆けとおし、その晩は古牧温泉に泊まった。風景はどこも美しかったけれど、あまりにも遠道だったかもしれない。立ち寄った先で楽しむ時間が短く、ホテルでも食事時間一杯でぎりぎりに駆けこんだ次第。時間に余裕がないと、旅はどうも楽しめない。

十和田観光電鉄(三沢付近)

 ホテルの窓から撮った写真がこれ。本当はもっと近い場所から撮りたかったが、全般にスケジュールがタイトで、時間節約のためハイ・アングル撮影となった。

 この日の午前中は、南部縦貫鉄道撮影に充てた。坪から天間林まで、妻をレールバスに乗せてみたところ、「本当にバスがレールの上を走ったから驚いた」と面白がっていた。楽しめてなによりである。私自身も乗ってみたい気はあったが、既に昭和63(1988)年に乗っていたから、未練は感じなかった。廃止直前とあって車内は超満員、日頃と違う姿を見ても、面白くもなんともないというのが本音である。

南部縦貫鉄道(天間林)

 午後からは奥入瀬渓谷で散策し、夕方には十和田湖に至り、夜も遅くなってから弘前に投宿した。ビジネスホテルのため、設備は小綺麗であっても味も素っ気もなく、外出して居酒屋で夕食となった。

 翌朝は弘前城にのぼり、散りかけの桜を楽しんだ。さらに欲張って三内円山遺跡まで足を伸ばし、縄文時代の面影に触れてみた。その途上、敢えて寄り道して、弘南鉄道黒石線の前田屋敷駅を写真におさめたりしている。さすがに、くすんだ色に塗られたキハ22列車に出会うほど運は良くなかったが。

弘南鉄道黒石線(前田屋敷)

 三内円山遺跡を出て、遅い昼食をとると、さて次はどこに行くべきか、迷いが生じた。今日の泊地は比立内、あまり遠回りすると、到着が遅くなりすぎる。観光案内を見ると、芦野公園の桜が佳いという。ここならば道筋から遠くないので、行ってみる。

 津軽鉄道(金木)

津軽鉄道(芦野公園)

 芦野公園手前の金木は、太宰治の生地としてよく知られている。敢えて寄ってみたのだが、駅舎も車両も貧相でくたびれており、痛々しい思いを抱いた。それは芦野公園の造作も同様で、設備の旧くささは覆えず、外からの観光客を呼べる体制とは到底いえなかった。地元の方々さえ楽しめればよいのかもしれないにしても、豊かさを実感させるためには、いま少し整頓してさっぱりさせたいところだ。

芦野公園にて

 芦野公園のなかでは、保存車両に出会った。かつてストーブ列車として運行されていた、旧い旧い客車だ。雨ざらしでこの先大丈夫だろうかと懸念も覚えたが、桜に囲まれた姿は美しく、ためいきが出るほどだった。

 この旧い客車は、交通博物館の移転・拡張に伴い、博物館に収蔵されるという。まことに慶賀すべき出来事である。また会える日が、楽しみだ。どのように復元整備されているのか、そして鉄道史のなかでどのように位置づけられているのか。

 当時の小旅行はなお一日半続くのだが、比立内あたりのことは既に別の記事にまとめてある。津軽鉄道の旧い客車に出会えた感動を書きとめ、次なる再会を約し、ひとまず本稿を了えることにしたい。

 

 

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執筆備忘録

本稿の執筆:平成17(2005)年初夏

写真の撮影:平成 9(1997)年春

 

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