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氷川丸 船内キャプテンズ・ツァー 参加記
●2006年11月12日、
三脚檣
オフ会にて、首記に参加する機会を得ましたので、概略を紹介します。コンパクトカメラ使用のため、画質が不十分なのはお許しください。
横浜港内・水上バス船上から望んだ「氷川丸」と「マリンタワー」。
オフ会メンバーの集合場所(マリタイム・ミュージアム)近く、道路脇に展示されている空気圧縮機。以前この地にあった横浜ドック㈱で、リベット打ちなどの空圧源として使用されていたものです。
来歴はこのようなもの。本体上部には「シカゴ・ニューマチック・ツール」と書いてあります。ちなみに横浜ドック㈱には、筆者の父も昭和21年まで勤めていました。
同型のものが動く歩道の下にもう1台あります。右側の電動機でクランクシャフトを回し、シリンダーの中のピストンで空気を圧縮します。シリンダーは2基で、手前側の低圧シリンダーで圧縮した空気をさらに奥側の高圧シリンダーで圧縮する、複式空気圧縮機です。両者をつなぐ上側の円筒は、インタークーラー(中間冷却器)でしょうか。
みなとみらい21地区のシンボルは、「ランドマーク・タワー」とこの「日本丸」でしょう。前日の雨も上がって晴天には恵まれましたが、イヤハヤ北風の冷たいこと。
こちらは港内をJR桜木町駅から赤煉瓦倉庫へと延びる、通称「汽車道」。以前は8620形やC58形に牽かれた船車連絡列車(ボート・トレイン)や、6760形やC56形に牽かれた貨物列車が実際に行き来していましたが、今では人が沢山行き来しています。
さて水上バスに乗り込み、ベイブリッジやら何やら眺めながら港内を半周すると、目指す「氷川丸」が見えてきます。船上の若いカップルは、何を思っているのでしょうね。
下船して山下公園から望む「氷川丸」。遠目には現役当時を思わせます。それにしても北風が冷たい。
「氷川丸」の船尾。同船はコンクリートなどで固定されてはおらず、実際に海に浮かんでいます。
乗船口の桟橋突端には、灯台が鎮座しています。防波堤から移設されたものでしょうかね。
「氷川丸」の船首甲板。一時は「タイタニック」ごっこをするカップルでたいそう賑わったとか。揚錨機はメンテナンスし易い横軸型で、甲板上の突起物を嫌う軍艦の竪軸型とは違うところです。
「氷川丸」のブリッジは、ビルで言うと6階に当ります。中央背面には、武蔵国一之宮である、大宮の氷川神社が分祀されています。1930年の竣工以来、先次大戦では海軍病院船として徴用され、数度の被雷にもかわらず生き延びた強運は、このおかげとか。
ブリッジの水密扉開閉器。船内下部は大きく言って船首、中央(機械室)、船尾の三つの水密区間に別れ、非常時には前部2基、後部1基の水密扉がブリッジからの遠隔操作で閉ざされます。画面上方の額の中の三つの丸が、その作動表示灯です。
船内には他にも要所要所に頑丈な水密扉があります。これは3等船室から船首船倉エリアに出るあたり。
さて、ツァーのお呼びがかかり、案内の方に付き従って船内を一巡します。ここは吹き抜けの階段ホール。船内は建造当時に流行したアール・デコ様式で統一されています。上方の時計のようなのは気圧計(水銀柱in表示)です。海上での要注意事項は、まず低気圧の接近ですから。
階段ホール上階の手摺中央には、氷川神社のシンボルマークが飾られていました。
ブリッジ直下の1等ロンジ(ラウンジ)の天井。壁は熱帯材の銘木仕上、床は絨毯敷き、ソファーはふっかふかです。
1等船室。ツインルームです。
1等船室。こちらはシングルルームです。ちなみに3等船室はカイコ棚の4人部屋で、当時の階級社会が偲ばれます。
ツァーはだんだんと下層に降りてゆきます。こちらは船の心臓部の機関室。主機はデンマークのバーマイスター・アンド・ウェイン社製8気筒複動4衝程ディーゼル機関×2基、合計11,000馬力で、航海速力15ノットです。この主機は高さが甲板3層にも及ぶ巨大なもので、筆者が居るのは下から2層目、ビルで言うと地下1階に当ります。
主機は1気筒に対して吸気弁、燃料噴射弁、排気弁、始動弁の四つのプッシュロッドとロッカーアームを有しています。下方の黒い部分がシリンダー・ヘッドです。
機関室の最下層に降りてきました。写真の丸い表示機はエンジン・テレグラフです。これは機関の回転方向(前後進)と回転速度に関する、艦橋からの指示を伝えるもので、両舷機に対して別々に付いています。
機関室後方の水密扉をくぐり、いよいよ船底の細長い軸路に降ります。なかなか見る機会の無いエリアです。推進軸は左舷最前部の1本のみが残っています。フランジ継手はトルクと推力はしっかり伝え、多少の芯ずれは許容するタイプと思われます。画面奥側に2ヶ所の軸箱(平軸受)も見えます。主機直後の推力軸受を人に説明するのにかまけて、写真を撮り損ねたのは心残りです。
左舷軸路の船尾近く、画面左手が船尾で、丸い孔の中を推進軸が通ります。この部分だけ船体外販が舷側に張り出しているのが判ります。
こちらは右舷軸路の船尾近くです。前方の丸い蓋の向こうは冷たい海水です。
1時間あまりのツァー(当日が最終回でした)を終えて後甲板に登ると、すでにつるべ落としの秋の日は西に傾き、海岸のビルの陰が船上に迫っていました。
下船後は「マリンタワー」に登り、展望台から夕景の富士山や横浜港を楽しみ、中華街でお土産を買い、夕食会ののち帰途に就きました。
「氷川丸」と「マリンタワー」は、運営会社の経営悪化のため本年12月25日をもって閉館となり、「マリンタワー」は横浜市に譲渡の上、バリアフリー化工事のあと営業再開の予定ですが、「氷川丸」は日本郵船が引き取るものの、その先は未定とのことです。戦前から残る本邦唯一の外国航路汽船であるだけに、今後の彼女の多幸を祈りたいものです。
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