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ドッガー・バンク海戦に見る機関部の実相
3-2.軽快部隊
この間の、主力艦に随伴する軽快部隊の動きを見てみましょう。
3-2-1.英国軽快部隊
「北海海戦史」第3巻には、
「主力艦が高速力を出せる為軽快部隊を巡洋戦艦の先頭に占位せしめ今や目睫の間に迫れる戦闘に之を使用せざるに至れりM級の快速駆逐艦すらミーテオアの誘導下にドイツの艦列に4浬の距離迄接近したるもブリューヒャーの砲火を受けて退却し劣速駆逐隊を率いたるアレスーサに合せざるべからざるに至れり」(P288)
「ターウィット代将は麾下駆逐隊の煤煙に依り射撃観測を妨害せざらんが為戦闘中益遠く後方に後れ此時既に英巡洋戦艦の左舷艦尾に位置せり10時20分(筆注、9時20分GMT頃)代将は最大速力を以て先頭に就くべき命を受けたるも巡洋戦艦の高速なる為麾下駆逐艦の最快速艦たるM級の4艦すら此時迄目的を達する能わざりき故に予期せられたる魚雷攻撃の防禦には巡洋戦艦自ら当らざるべからざるに至り此理由よりビーチーは非敵側に2点回頭せり」(P291〜292)
ここで言う「M級の4艦」とは、既述のようにミルン、メンター、ミーティア、ミランダですが、公試では33ノット出したミランダも、実戦では15%前後の排水量増大のため、28ノットがせいぜいでした。
一方、ジェリコー「英国大艦隊」にも、
「我軽巡洋艦ハ終始敵ノ左舷斜後ニ占位シ以テ敵ノ行動ヲ監視シテ能ク之ト触接ヲ保チ且敵ノ落伍艦ヲ攻撃スルニ最適当ナル位置ヲ保持セリ。」(P529)
と有って、緒戦から川の字、つまり
南寄りにビーティー隊(ムーア隊含む)の巡洋戦艦5隻、
中央にヒッパー隊と、それを追跡するティリット隊の軽巡洋艦3隻・3個水雷戦隊、
北寄りにグーデナフ隊の軽巡洋艦4隻(冒頭 合戦図中の破線)、
で、敵を三方から挟むように航進するしか有りませんでした。
結局、主力艦(巡洋戦艦)が大速力で突進したため、味方軽快部隊はこれに追従するのが精一杯で、軽巡洋艦の任務とされた主隊(巡洋戦艦隊)の前路警戒や敵駆逐艦の撃退、ならびに信号伝達の補助は、全く実施できなかったわけです。
3-2-2.ドイツ軽快部隊
対するドイツ軽快部隊も、主力部隊に追従するには難儀していたようです。
これも「北海海戦史」第3巻からですが、
「思ふに此(筆注、10時00分GMT頃、ドイツ主力艦が駆逐艦の煙幕と魚雷攻撃に掩護されて非敵側に退避しつつあるという、ビーティの)感想の起りたる所以は若干のドイツ駆逐艦が速力を維持する能わざるに至り両艦列間の後方に落後したるに依れり他の駆逐艦は同様の理由に依り先頭艦の前方より再徐々に左舷の方へ向へり長涛及波浪の為且寧ろ前続駆逐艦の艦尾水に妨げられて大多数の駆逐艦は24節時として26節に対する回転をなさざるべからざりき」(P296)
既述のように、ヒッパー隊の最大速力は23ノット止まりで、軽快部隊もほぼこれとシンクロしていましたが、長涛(波長の長いうねり)と波浪(波長の短い波)もさることながら、前続艦の艦尾波によって実質速力が1〜3ノット低下したため、その分回転数を上げる必要が有ったようです。つまり、単艦行動の公試と違って、密集隊形を組んだときは、後続艦は速力低下の可能性が有るわけです。
一方、ビーティはドイツ駆逐艦の落後しつつあるのを自隊に対する襲撃と見て、これを自らの主砲をもって撃退しようとしたり、09:52非敵側に2点回頭するとともに24ノットに減速して陣形の緊縮を図ったりしています。面白いと言っては語弊が有りますが、いわゆる戦場心理というものです。
「此際敵ノ駆逐隊ハ盛ニ煙幕ヲ漲ラシテ其主隊ヲ遮蔽シ主隊ハ其掩護ノ下ニ北方ニ変針シ以テ離脱ヲ企テシモノノ如ク(中略)茲ニ於テ本職亦巡戦々隊ヲシテ列線方向北々西ノ梯陣ヲ制ラシメ最大速力ヲ以テ進撃セシム此時敵ノ駆逐隊ハ将ニ来襲セントスルノ企画明ナリシヲ以テ「ライオン」及「タイガー」ハ之ヲ砲撃シテ退却旧位ニ復スルノ止ムナキニ至ラシメタリ。」
「北海海戦史」第3巻の附録第7 (P405〜409)「1915年1月24日ドガー・バンク海戦砲術記録」中の、駆逐艦V5の報告は、上記を一部裏付けています。
「午前10時58分より11時15分迄(筆注、09:58〜10:15 GMT)V5は多分3番艦たる英国装甲巡洋艦(筆注、巡洋戦艦)の重砲より射撃せられ直近に落下する弾丸の水柱は100mの高さに達せりV5は之字航路を以て落下弾を免れ油缶の煤煙に依りて砲火を免れたり」
とあり、水柱はさぞかし実際より巨大に見えたことでしょう。これも戦場心理です。
再び「北海海戦史」第3巻の本文に戻りますと、
「第15及第18駆逐隊(筆注、第8水雷戦隊)の各艦は第5水雷戦隊(筆注、第9・第10駆逐隊)に比して能く此速力を保持するを得たり第5水雷戦隊の内第9駆逐隊は前夜中煙を出さぬ様高度の火力を保てとの要求は余り受けざりしに拘らず今や何程の燃料を消費しても後方に後れ平均僅かに23節の速力にて航走する嚮導巡洋艦にすら追随する能わざりき」
第5水雷戦隊 G12 フォン・デム・クネーゼベック少佐
第9駆逐隊 ホッファート大尉 V1, V4, V5
第10駆逐隊 ハイネッケ少佐 G11, G9, G7, G8, V2
第15駆逐隊 ワイセンボルン少佐 V181, V182, V185
第18駆逐隊 チルレッセン大尉 V30, V33, S34, S29, S35
S178 第8水雷戦隊 嚮導駆逐艦 フンダートマルク少佐 (P296)
既述のように、小さい缶を無理焚きし、燃焼率を相当上げたため、灰の蓄積とあいまって缶効率が低下し、蒸発量の伸びが飽和したわけです。ちなみに、当日の「嚮導巡洋艦」はロストック、コルベルクの2隻で、グラウデンツ、シュトラールズントの2隻は主力部隊の前路警戒に当っていました。それにしても、V1〜6級の実戦速力が計画または公試速力より10ノット近く遅いとは、ちょっと情けないものが有ります。
「水雷戦隊は既に戦闘の初めに当りヒッパー提督より要すれば断然駆逐隊を賭すべしと命ぜられたるも此時迄ドイツ巡洋戦艦及駆逐艦の煤煙は英国戦隊の前方に濃密なる媒煙を掛けたるを以て水雷戦隊第1指揮官の旗艦ロストックよりは殆ど敵巡洋戦艦の一をも認識するを得ずして唯煤煙を通して砲の閃光を見るのみなりき」(P297)
この結果、ハルトック代将(筆注、ジャットランド海戦時のデアフリンガー艦長)は、駆逐艦の襲撃時期を偵察部隊指揮官(筆注、ヒッパー)にやむなく一任、駆逐艦を一層緊密に嚮導駆逐艦付近に集結し、
敵主力があまりに遠距離のため射点到達に長時間を要す
その間敵の砲火にさらされ、かつ敵は早期に回避可能
両軍とも高速で疾駆中のため襲撃後の味方との再合同が困難
などを思慮して敢えて襲撃を下令せず、ヒッパーもまた駆逐艦の襲撃に不賛成で、ひたすら敵のドイツ湾内への誘致を図ったとされています。これが、ドイツ水雷戦隊の不活発の理由でしょう。
何はともあれ、ドイツ側にとっては、自隊の煤煙が海戦の態様をほぼ決定した感が有ります。
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