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ドッガー・バンク海戦に見る機関部の実相

5. 付記

機関部に直接関係する事柄ではありませんが、ド海戦にまつわる問題を取り上げてみましょう。

5-1. ドイツ装甲巡洋艦ブリュッヒャーの性格分析



SMS Bluecher, as built.


ブリュッヒャーに関しては「インヴィンシブルの武装を見誤って21cm砲を積んだため、結果的に存在価値を著しく減じてしまった」との説が今なお有力のようです。
この場合、存在価値(=戦術的価値)は相対的なもので、何を対抗艦とするかで著しく変わるでしょう。
小生としては、
 ブリュッヒャー(装甲巡洋艦)の対抗艦はインヴィンシブル(巡洋戦艦)ではなく、その前のマイノーター級(装甲巡洋艦)
 インヴィンシブル(巡洋戦艦)の対抗艦はフォン・デア・タン(同)
と考えています。
 装甲巡洋艦とは、前ド級(二巨砲混載またはそれ以下)の装甲巡洋艦
 巡洋戦艦とは、ド級(単一口径全巨砲、11in/28cm以上)の装甲巡洋艦
ですから、両者の戦術的価値は大差が有り、同じ土俵に上げるのはどだい無理な話です。

周知のように、帝政ドイツの巡洋戦艦(名称は装甲巡洋艦と同じく大型巡洋艦Grosse Kreuzer)は、コレスポンドの戦艦(英国に追随するも先行せず)にやや遅れて建造されています。
 戦艦(主兵装、建造期間)/巡洋戦艦(同)
 ナッサウ級(12×28cm, 1907〜10) ⇒ フォン・デア・タン(8×28cm, 1908〜10)
 ヘルゴラント級(12×30.5cm, 1908〜12) ⇒ モルトケ級(10×28cm, 1909〜12)
 ケーニヒ級(10×30.5cm, 1909〜13) ⇒ ザイドリッツ(10×28cm, 1911〜13)
 カイザー級(10×30.5cm, 1911〜14) ⇒ デアフリンガー級(8×30.5cm, 1912〜17)
 バイエルン級(8×38.1cm, 1913〜16) ⇒ マッケンゼン級(8×35.6cm, 1914〜∞)
 −−−(相当艦無し) / ヨルク代艦級(8×38.1cm, 1916〜∞)

一方、英国の巡洋戦艦は、一部を除きコレスポンドの戦艦とほぼ同期して建造されています。リーダーとフォロワーの違いでしょう。
 戦艦(主兵装、建造期間)/巡洋戦艦(同)
 ドレッドノート(10×12in, 1905〜06) ⇒ インヴィンシブル級(8×12in, 1906〜09)
 ネプチューン(10×12in, 1909〜11) ⇒ インデファティガブル級(8×12in, 1909〜13)
 オライオン級(10×13.5in, 1909〜12) ⇒ ライオン級(8×13.5in, 1909〜12)
 アイアン・デューク級(10×13.5in, 1912〜14) ⇒ タイガー(8×13.5in, 1912〜14)
 クイーン・エリザベス級(8×15in, 1912〜16) ⇒ リナウン級(6×15in, 1915〜16)
 −−−(相当艦無し) / アドミラル級(8×15in, 1916〜∞)、フッドのみ1920年竣工

興味深いのは、両国とも第1次大戦の後半から巡洋戦艦の建造数が戦艦を上回ることです。これはやはり、ジャットランド海戦その他の戦訓より、艦隊戦闘において鈍足の戦艦が活躍する場が無く、また巡洋戦艦の脆弱性が露呈したことより、防御力をやや強化(リナウン級を除く)したスーパー巡洋戦艦に主流が移ったことを示しています。この流れは間もなく戦艦の本流と合流し、高速戦艦に進化します。

本題に戻り、ブリュッヒャーに至る歩みを振り返ってみましょう。
帝政ドイツの装甲巡洋艦は、やはりコレスポンドの戦艦にやや遅れて建造されています。
 戦艦(主兵装、建造期間)/装甲巡洋艦(同)
 カイザー・フリートリッヒⅢ級(4×24cm, 1895〜1902) ⇒ フュルスト・ビスマルク(4×24cm, 1896〜1900)
 ヴィッテルスバッハ級(4×24cm, 1899〜1904) ⇒ プリンツ・アダルベルト級(4×21cm, 1900〜04)
 ブラウンシュヴァイク級(4×28cm, 1901〜06) ⇒ ローン級(4×21cm, 1902〜06)
 ドイッチュラント級(4×28cm, 1903〜08) ⇒ シャルンホルスト級(8×21cm, 1905〜08)
 −−−(相当艦無し) / ブリュッヒャー(12×21cm, 1907〜09)

ブリュッヒャーの計画は1905年、シャルンホルスト級と同一の12,700トン、8×21cm砲搭載でスタートし、8×21cm → 12×21cm → 10×21cm → 8×21cm → 10×21cm → 12×21cm → 6×24cm → 8×24cm → 12×21cm と目まぐるしく変わり、12×21cmに落ち着いたのは1906年3月から1907年6月の間で、理由は建造費節減のようです(Grosse Kreuzer der Kaiserlichen Marine 1906-1918参照)。

繰り返しますが、帝政ドイツの装甲巡洋艦、および巡洋戦艦は、常にコレスポンドの戦艦にやや遅れて建造されていることより、ブリュッヒャーが例えば6×28cm砲搭載の巡洋戦艦(ド級の装甲巡洋艦)として、同国最初のド級戦艦ナッサウ級に「先行して」建造されることは有り得ないと考えられます。
この点からも、ブリュッヒャーの対抗艦はインヴィンシブルとする見解は、妥当性を欠いたものと思われます。

ちなみに、英国の装甲巡洋艦は、一部を除き戦艦とコレスポンドの関係がはっきりしませんが、前ド級末期の二巨砲混載艦においては下記の関係が明らかです。
 戦艦(主兵装、建造期間)/装甲巡洋艦(同)
 キング・エドワードⅦ級(4×12in + 4×9.2in, 1902〜07) ⇒ ウォーリア級(6×9.2in + 4×7.5in, 1903〜07)
 ロード・ネルソン級(4×12in + 10×9.2in, 1905〜06) ⇒ マイノーター級(4×9.2in + 10×7.5in, 1905〜09)
ここに突然フィッシャーの肝いりで戦艦ドレッドノート、巡洋戦艦インヴィンシブルが割り込んで来て、発達系譜上の不連続点を作り出したわけです。

ところで、冒頭の「インヴィンシブルの武装を見誤って21cm砲を積んだため、結果的に存在価値を著しく減じてしまった」との説は、「ドレッドノートの登場によって二巨砲混載艦を含む全ての前ド級戦艦が一夜にして旧式艦となった」という説と同様、ジェーン年鑑などメディアをフル活用した、英国のプロパガンダであったと小生は見ています。(英国人はこういうのが実に上手です)

<Q&A>
Q1.プロパガンダって言っても、一番困るのは英国自身だった訳だし。(赤影/ガバンダ氏)
A1.遠距離砲戦を必然と見れば、どこの国でも単一巨砲艦に走るわけで、機先を制するとともに、国力に物言わせてコスト高のド級艦(新しいデ・ファクト・スタンダードde facto standard)を急速建造し、引き離しを図るのが英国の戦略です。つまり自分の好むところを他国に強いるための奥深いプロパガンダです。一番困るのは英国ではなく、資金の無い国々でしょう。


5-2. 英国巡洋戦艦の用法変化

ド海戦を契機として、英国における巡洋戦艦の用法が、それまでの戦闘巡洋艦的用法から、高速戦艦的用法に変わっていますので、参考までにご紹介します。

ジェリコー著「英国大艦隊」(P204〜205) によれば、
「(筆注、ド海戦直後の1915年)二月中海軍省ハ巡戦々隊及軽巡戦隊ノ編成ヲ変更シ新タニ巡戦艦隊(Battle Fleet)ヲ置キビーチー中将ヲ其首席司令官トシテ之ヲ指揮セシム其新編成左ノ如シ。
 艦隊旗艦「ライオン」。
 第一巡戦々隊「プリンセス、ローヤル」(ブロック少将旗艦)「クヰンメリー」、「タイガー」。
 第二巡戦々隊「オーストレーリア」(ペッケナム少将旗艦)「ニウジーランド」、「インヂファチガブル」。
 第三巡戦々隊「インヰ゛ンシブル」(予定旗艦)「インフレキシブル」(二月末迄不加入)「インドミタブル」。
 第一軽巡戦隊「ガラチア」(シンクレイア代将旗艦)「コルデーリア」、「カロライン」、「インコンスタント」。
 第二軽巡戦隊「サウザムプトン」(グードイナッフ代将旗艦)「ノッチンガム」、「バーミンガム」、「ローストフト」。
 第三軽巡戦隊「フアルマス」(ネーピーア少将旗艦)「ヤーマス」、「グロースター」、「リワ゛プール」。
となっていて、これが高速戦艦的用法の始まりのようです。
しかし、同書は続けて、
「右ノ如クナレドモ巡戦艦隊ハ其実大艦隊固有建制ノ一部ナルコト尚旧ノ如シ故ニ之ヲ艦隊(Fleet)ト称スルハ恰モ之ヲ独立部隊ト見ルノ恐レアリ其命名適切ナラザルノ憾ミアリシヲ以テ余ハ一九一六年ノ末第一軍事委員(筆注、軍令部総長相当職)ニ就職スルヤ之ヲ改称シテ巡戦部隊(Battle Cruiser Force)トシ其関係ヲ明カニセリ。」
としており、前進部隊と主力部隊との離間によってジャットランド海戦で苦杯をなめたジェリコーは、名実ともに巡戦部隊の格下げを行いました。

ちなみに、ド海戦約1ヶ月前(1914.12.14)のヨークシャー・レイド(ヒッパー隊によるスカーボロ、ハートルプール艦砲射撃)の時は、先任のワーレンダー中将が総指揮で、
 第2戦艦戦隊(キング・ジョージ5世、オライオン、エイジャックス、コンクァラー、センチュリオン、モナーク)を本隊とし、
 その5浬前方にビーティの第1巡戦戦隊(ライオン、タイガー、クィーン・メリー、ニュー・ジーランド)、
 ビーティ隊の右舷斜前方5浬に麾下の第1軽巡戦隊(サザンプトン、バーミンガム、ノッティンガム、ファルマウス)、
 反対側の左舷斜前方5浬にワーレンダー麾下の第3巡洋戦隊(アントリム、アーガイル、デヴォンシャー、ロックスバラ)
というように、巡洋戦艦部隊は軽巡洋艦部隊よりは一段上位とはいうものの、あくまでも戦艦隊の前衛の一部に過ぎませんでした。
対するヒッパー隊は、
 巡洋戦艦4隻・装甲巡洋艦1隻(先頭からザイドリッツ、モルトケ、ブリュッヒャー、フォン・デア・タン、デアフリンガー)を基幹とし、
 前路警戒にシュトラスブルク、第9水雷戦隊嚮導駆逐艦V28、第17駆逐隊(V25, V26, V27, S31)、第18駆逐隊(V29, S33)、
 左舷前方にシュトラールズント、第2駆逐隊(V191, G196, G193, G195, G192, G194)、
 右舷前方にグラウデンツ、第1駆逐隊(V186, V190, V188, G197, V189)、
 主隊後尾にコルベルク(機雷搭載)
という、既にこの頃から高速戦艦的用法の編成であったようです。


結びに

ドッガー・バンク海戦は、いわゆる「ポスト・ジャットランド型戦艦」を生むきっかけとなった翌年のジャットランド海戦と違って、世界的にあまり注目されることが無く、戦訓の抽出も不十分なようですが、ここで論じた機関部以外についても、仔細に見てゆくと、それなりに得るところが多かったはずと考えられます。
(完)


主要参考文献

All The World Fighting Ships 1906-1921, Conway, 1997
Battleships and Battlecruisers 1905-1970, Breyer, Macdonald, 1973
Battle Cruisers, Campbell, Conway, 1978
Battlecruisers, Roberts, Chatham, 1997
British Battleships 1860-1950, Parkes, Seeley, 1970
British Destroyers 1892-1953, March, Seeley, 1966
Naval Operations Vol.2, Corbett, Longmans, 1921
Die deutschen Kreigsschiffe 1815-1945, Groener, Lehmanns, 1966
Grosse Kreuzer der Kaiserlichen Marine 1906-1918, Greissmer, Bernard und Graefe, 1996
Die Grossen Kreuzer Kaiserin Augusta bis Bluecher, Koop & Scmolke, Bernard und Graefe, 2002
Die Kleine Kreuzer 1903-1918 Bremen bis Coeln-klasse, Koop & Scmolke, Bernard und Graefe, 2004
Gli Incrociatori Italiani 1861-1970, Giogerini & Nani, Marina Militare, 1971
英国大艦隊 ジェリコー 水交社 1920
北海海戦史 第三巻 ドイツ海軍本部編纂 海軍軍令部
艦船動員史 ドイツ海軍本部編纂 海軍軍令部 1931
大戦中に於ける独逸主力部隊の行動 マンタイ 海軍省教育局 1936
軍艦機関計画一班 増補三版巻之弐 海軍機関学会 1919
機関実験参考書 海軍工機学校 1933
蒸気タービン 改訂第七版 内丸最一郎 丸善 1916
艦船 実用機関術 訂正第八版 二瓶壽松 丸善 1922


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