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「千葉の鉄道と龍彦」特別企画
Epilogue
—さよならサロ183—
—ありきたりの別れは したくなかったの 涙で幕を降ろすような
赤い口紅で鏡に書くけど 文字にならないエピローグ
CHAGE&ASKA「終章(エピローグ)」
2000年12月1日 19時15分
僕は大原駅の改札口脇で、「ホームタウンわかしお」の到着を待っていた。外房線サロ183の最後の営業運転になるこの列車を、僕はどうしてもこの場所で見たかったのだ。
彼方から鳴り響く踏み切りの警報音。そして183系の聞きなれたモーターのうなりが、だんだんと近付いてくる。そして跨線橋の影から光が漏れたかと思う刹那、出場直後で美しく化粧直しされたマリ7編成が僕の目の前に姿を現した。
減速する列車の動きが止まった時、僕の目の前にはサロ183−1001の姿があった。
外房線を走る183系の中でも、特に思い出深い1両だ。
いつもと同じようにドアが開き、乗客がこちらに向かって歩いてくる。
再塗装されて美しい車体が、ホームの蛍光灯に照らし出される。房総での18年の活躍の前に、この車輛は上越線特急「とき」で使用されてきた。長い年月を走り抜けたその車体には、細かな歪みがたくさん見える。
まばゆい光のヴェールに包まれ、静かになった大原駅に佇むサロ183の思い出が僕の脳裏に蘇る。26年間の旅路の終章がもうすぐそこに迫っていることも知らぬサロを前に、僕の心は追憶の彼方のあの日へと飛翔する。
賑わう駅に、房総のクイーンとしての気品を漂わせながら入線してくる183系を見る為に、僕は幼い頃毎日のように駅に通った。その幼少期の記憶こそが、今の僕の趣味の基礎を築いたと言っても過言ではない。
両親が東京に買い物に出かけた時には、最終の「わかしお」で帰る二人を迎えるために大原駅の3番線ホームまでよく出掛けた。両親を出迎えた時、お土産をねだりながらもその視線は183系へと向けられていた。幼かった僕は、走り去る電車の窓に向けて手を振った。暖かい光の漏れる車内から振り返される誰かの手。今から思えば夢のような日々だった。
中学校の修学旅行の時、サロ183に乗った。子供の頃、両親と「わかしお」を利用した時、いつかは乗ってみたいと思った憧れの車輛。そう言えば小学生の頃、車掌さんにねだって、その座り心地を堪能させて頂いた事もあった。絨毯の敷かれた豪華な車内で思う存分旅行のはじまりを楽しんだあの日。
やがて僕は大学生になった。毎日の通学で使用した「おはようわかしお」、東京で遊んだ帰りにはいつも「ホームライナー」の開放サロに乗ったものだった。愛する人のぬくもりを抱き締めたのは、確か冬の館山へと向かうサロ183−1001のデッキだった。そう、その時のサロが、いま僕の目の前に止まっている・・・。
20年ちかくに渡る僕の中の183系の思い出が、走馬灯のように駆け巡る。
先行列車の遅延の為に、足止めを食らう「ホームタウンわかしお」。ホームへ出た僕は、暖かい光の漏れる車内を見詰めた。今日はたくさんの客が乗っている。窓辺に並べられたビールの缶が、その車内の楽しさを僕に伝えてくれる。
やがて、大原の駅でこのサロが最後に聞く事になる発車ベルが鳴り始めた。
僕は心の中でそっと呟く。
「さよなら、ありがとう・・・」
他に言いたいことはたくさんあったような気がする。でも、何故か僕の心に浮かんだのは、その言葉だけだった。
鳴り終わるベル。車掌の吹くホイッスルの響きがホームを切り裂く。
19時23分、ドアが閉まった。
僕はゆっくりと動き出したサロの姿を目で追いながら心に焼き付ける。暖かい光が、そして勝浦行きの方向幕が僕の前を加速しながら通り過ぎていく。
独りホームに残った僕は、そっとポケットから取り出したジタンに火を点けた。紫煙の向こうに消えて行くテールマークと2つの赤い尾灯が、とてもきれいだった。
僕の鉄道趣味の中心にあった「サロ入り9連」の幕張183系は、この日を最後に外房線を、そして房総から去っていった。それでも、僕は183系をいつも見ていた幼い頃の記憶を、そしてこの日僕自身が目にした情景を忘れる事はないだろう。
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