このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

千葉の鉄道と龍彦

Last Runner

Type 165 “Nanohana”

西千葉駅を通過する165系「なのはな」

 かつて、房総各線には「急行列車」が運転されていました。1969年、津田沼電車区に新製配置された165系44両によって、房総西線千倉電化と同時に始まる房総地区の電車急行運転は、1972年の房総一周電化完成により、外房・内房両線をスルー運転する「循環急行」へと発展します。そして1975年春の北総各線電化に際し、山陽方面から転入した153系とともに、房総急行全盛期を迎えます。

 しかし、1982年、当時の国鉄の方針だった列車種別の整理、また合理化により、これら急行列車は全て廃止され、幕張電車区の165系は12両を残し、上沼垂・大垣などへ転属していきます。そして、老朽化の著しい153系は廃車となりました。残された165系は首都圏の波動輸送用として利用され続けますが、折からのお座敷列車ブームに、ジョイフルトレインを保有していなかった千葉鉄道管理局の方針で、このうちの6両がお座敷電車「なのはな」に改造されたのは、1986年のことでした。

 以来12年間、房総各線はもとより、全国の直流電化区間へ足を延ばし、活躍を続けた165系「なのはな号」でしたが、寄る年波には勝てず、1998年8月、ついにさよなら運転を実施しました。この列車は津田沼を発車した後、内房線から外房線へと半島を一周するかつての循環急行を思い出させるルートで運転される事になりました。

 千葉駅にて発車待ちの「さようならなのはな号」

 さよなら運転の実施を知った私は、撮影場所をいろいろ考え、結局朝の下りを緩行線の駅で撮影した後、夕方の外房線でもう一度撮影してみようと計画し、運転前夜東京で朝まで遊んだ後、総武快速に品川から乗車します。緩行線各駅には、カメラを持ったファンで一杯です。ざっと状況を見て、私は西千葉駅に向かいました。あいにくの雨の中、西千葉駅に到着すると恐ろしいまでの人だかり。113系も撮影しておこうと考え、駅のホームで準備をしていると・・・ご自身の撮影した写真を自慢げに開陳される方、更にはありがたいことに先達としての意見や知識を御披露されたがる中年の方に絡まれ、撮影は中断気味(弱)。

 どうにかそれでも気を取り直してカメラを構えて待っていると・・・。

 クリーム色の見なれた顔が、土砂降りの雨の中をぐんぐんとスピードを上げて近づいてきます。子供の頃から何度も見てきた、懐かしい急行電車の最後の張れ舞台です。最後だからと取り付けられた大型のヘッドマークはいただけませんが、それでも今日、この日しか走っているチャンスを見ることは出来ないでしょう。私はタイミングを考え、まず1枚撮影した後、すぐに振り向いて後追いで1枚撮影し、千葉へと向かう各駅停車に乗り、「なのはな」号を追い掛けました。

 千葉駅では外房線用6番ホームに入線していたため、撮影は簡単に済ませました。遊びに行っていた前夜からの疲れにもはや耐えられなかった私は、雨の中をひた走るE217系に揺られ、自宅へと戻りました。

 そしてその日の夕方、自宅近くの線路端で、私は半島を一周してきた「なのはな」を見送りました。編成として走る姿を見るのもそれが最後となりました。房総急行時代も、団臨として走る姿も、そして「なのはな」として走る姿も何度もずっと見てきましたが、房総急行の最後の生き残りだった「なのはな」の走る姿をいつも見ていた場所で見送る事が出来たのは、本当に幸運だったと思います。この時、結局持っていたカメラを使うことはありませんでした。最後の時ぐらい、ファインダーからではなく、自分の目でしっかりと記憶に焼きつけておきたかったからです。

幸いにも解体を免れ、譲渡を待つクロ165-1

実車は、現在千葉市内の某所に保存されています。

 その後、房総半島一周で向きの逆転した編成を元に戻すため、外房・東金線を回送で走行したのち、9月上旬にはクロ165-1を残して、5両が廃車回送されました。この時幕張に残されたクロの去就が注目されましたが、何とこのさよなら運転に乗車した方が引き取り保存される事になったそうです。かつての房総急行の栄光を過去に伝える車輛だけに、末永い保存を願って止みません。

 現在、かつての房総急行用車輛は、主に「ムーンライトえちご」用のものが数本残っています。

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