このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ブル−トレイン

〜 青い流れ星の今 〜

2002.9.14 UPDATED



  ブルートレインと言えば、かつて「走るホテル」と呼ばれ、豪華な寝台車や食堂車を連結した列車として、鉄道ファンのみならず、一般の方々にも知られた存在でした。ところが、近年は空路の発達や新幹線の整備により、一部の列車を除いて縮小傾向にあります。もちろん、「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」といった、列車の旅そのものを楽しむスタイルの列車もありますが、本来の長距離都市間連絡という使命は失われつつあります。
 とは言うものの、首都圏〜九州・関西〜九州間では、昔ながらの「ブルートレイン」が今なお何本か残っています。
 今回は、そのブルートレインをいくつか取り上げてみます。


← 早朝の東海道を上る「出雲」。牽引するのはJR東日本田端運転所のEF65 1110号機。
同機は、元々ブルートレイン牽引機であったEF65 500番台P型の置き換えを目的に製造されたもので、新製時からブルトレ牽引一筋の生え抜き組である。


「出雲」は1972年3月改正で、急行からの格上げによりブルートレインの仲間入りをした。1978年10月改正時に同じブルトレであった「いなば」の米子〜出雲市間を延長、吸収して2往復となったものの、1998年7月改正時に1往復が電車化され、元の1往復に戻っている。


ところで、このカマ、どこかで事故に遭ったのか、3位側スカート下部とステップが変形してしまっていた。


2002.6.8 6:11 東海道線 藤沢〜辻堂 8レ(A55仕業明け)
→ 機次位に「レガートシート」車を連結して京都を目指す「彗星・あかつき」
牽引するのはJR西日本下関車両管理室のEF66 43号機。


「あかつき」は1965年10月、「彗星」は1968年10月のダイヤ改正時に新設されたブルトレであり、最盛期にはそれぞれ7往復・5往復を誇った。


元々「あかつき」「彗星」ともそれぞれ単独運転であったが、2000年3月ダイヤ改正で、現在の姿に改められ、牽引機もEF66となった。


かつて長編成のブルトレが何本も上ってきた頃を知る私は、まるで浦島太郎になった気分だった。

2002.8.14 6:46 山陽線 須磨〜塩屋 34レ(A7仕業明け)
← 通勤時間が一段落した頃、山陽線を上ってくる「なは」。牽引機はJR西日本下関車両管理室のEF65 1135号機。


「なは」は、1970年10月ダイヤ改正で、京都〜西鹿児島間に583系電車で新設された「きりしま」の運転区間を、新大阪〜西鹿児島間に改めて1975年10月に登場した。その後、1984年2月ダイヤ改正時に24系客車化され、現在に至っている。


4両目にある一段背の低い車両はオハ24形式300番台「レガートシート」車である。同車は、夜行高速バスに対抗するために、3列独立シートを備えた車両で、編成のアクセントになっている。


2002.8.14 8:45 山陽線 須磨〜塩屋 32レ(A21仕業明け)

撮影後記

 ブルートレインと言えば、私の小さい頃など、鉄道ファン憧れの的として燦然と輝く存在であったものですが、前述の通り競合相手に対し決定的なアドバンテージを持てぬままに、凋落の一途を辿り、近年は寂しい編成で東上西下しています。私自身は、ここのところ、旅客列車に目を向けることがほとんどないのですが、あらためて「ブルトレ」の「今」を見るにつけ、悲しくなってしまいました。
  そこには、かつてのように食堂車や個室車両を連結して長編成で颯爽と走る姿は無く、外装がくたびれた客車のショート編成を、これまたくたびれた機関車が牽いて、通勤電車にさえ遠慮して走っているように見えます。
  いずれ「ブルートレイン」という言葉も死語になってしまうのでしょうか。



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