このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ジャパン・スーパークロス観戦の旅

1982年11月22日〜24日

当日のパンフレット(今でも持ってる)

日本にスーパークロスがやって来る!
スーパークロスとはスタジアム(主に野球場)に大量の土を運び込んで、
モトクロスコースを作り、レースをするというもの。
アメリカで生まれたもので、一気にメジャースポーツとなり
今や全米選手権にもなっている。
ロサンゼルスのオリンピックスタジアムで開催されたこともあるのだ。

知り合いにオフロード系の人が多く、存在は知っていたのだが、
それが日本に来るとは思ってもみなかった。
狭いスタジアム内でレースをするため、トリッキーなコースになり
ジャンプも飛距離より高さを求められ、結局それがショー的要素になり、
見せ場となるため観客にも分りやすくなった。
それに対応するテクニックも特殊なものとなり、
結果アメリカンライダーは世界的にも強くなった。

ちょっと前にオフロードスクールに参加したときにも、
その凄さを聞いていてどうしても生で見たくなったのだ。

で、後先考えずにチケットを取ったものの、会場は後楽園球場。
日帰りできるようなスケジュールじゃないので最低でも東京で1泊が
必要になるが、貧乏学生にはそんな余裕はない。
どうしようかと思っていたが、大垣発の東京行き夜行列車、
通称『大垣夜行』が有るのを思い出した。
おぉ、これなら運賃だけで東京往復できるし宿も要らないわ、
と言うことで解決。自分が我慢すりゃいいだけだ。
それでは行ってみよう。

11月22日(月)
さぁ出発だ、昼過ぎに家を出る。
最初の国鉄の駅で東京までの往復切符を買う、往復割引があるのだ。
大阪駅を出て、京都・米原で乗り換える。
小さい駅で列車待ちをしたくないのだ。

20時過ぎに大垣駅に到着、早めに並んだほうがいいと思って来たのだが、
すでに並んでいる人も居た。
それでも十分早かったおかげで、列車にはかなり前の位置で乗れた。
車両の一番後ろの座席に座る、固定シートは硬いが仕方ない。

出発して、名古屋駅に着くとビックリするぐらい人が並んでいた。
乗り込んでくるともう満員、通勤列車の一面もあるんだな。
それも日付が変わる頃には随分まばらになった。
リンジー・バッキンガムのアルバムを聞きながら眠る。

11月23日(火)
途中何度か目が覚めたものの、わりと眠れた。
東京駅には定刻に到着。

時間はタップリあるので、まずは東京駅の散策でもするかと歩いていたら。
『ちょっといいですか』と警察官に話しかけられる。
早朝に若い奴がウロウロしてるので家出少年ではないかと思われたらしい。
今日レースを見に来た事を説明し、念のためにチケットを見せたら納得してくれた。

さていろんな路線に乗ってみるか。
東京に親しい知り合いもいないし、遊べる余裕もないもんな。
山の手線を回ったり千葉の方を回ってたら以外に時間を食ってしまった。
最後に中央線で吉祥寺まで行ったところで引き返す。
そろそろ後楽園球場に向かわないと・・・

球場に着いたが、まだゲートは開いていないもののすでにエキゾーストノートが聴こえている。
球場まわりをウロウロしてたら、おぉっジョニー・オマラが歩いてる。
声掛けるにも英語話せないもんなー。
他にも外人ライダーがチラホラいるんだけど、普通の人たちにはただの外人に見えるんだろうな。

ゲートが開いて入場、席は2階の前方だったのでコース全体が良く見える。
うおぉっ凄い、こんなの見たことない!

予選が始まると、みんなブッとんでしまった。
休む間もなく盛り上がり、一気に決勝まで。
もうまわりの連中とあらん限りの声を上げて観戦する。
残念ながら応援していたブロック・グローバーは惜しくも2位。
熱かったレースは21時頃に終わった。
余韻も冷めぬまま、さぁ急いで東京駅に行くぞ

東京駅で大垣行きの列に並ぶ。
今度も早めに来ていたので座席に座ることが出来た、来るときよりも空いているかな。
定刻通りに出発、もう寝るだけだ。

11月24日(水)
やっぱり途中で何度か目が覚めたが、ちゃんと起きたのは名古屋に着く手前だった。
けっこう人が乗っていたが気にならなかった。

終点の大垣からは米原で乗り換えて一気に大阪へ、
家に着いたのは昼前だった。
あぁ、面白かったけど疲れた・・・

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