このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
昭和44年に登場した、本当の意味での新性能車 カルダン化は昭和38年登場の601系で達成していたが、 在来車との連結を考慮したためにブレーキが在来車と共通であった。 101系は在来車との連結を考慮せず、 抑速ブレーキを備えた電気式ブレーキとなった。 そのための識別の意味もあり、塗装が黄色とベージュのツートンに 変更になった。社内ではAS(オールラウンドサービスカー)と 呼びたかったようだか、全く浸透せず、黄色い電車と呼ばれた。 赤い電車の中にあって、黄色の電車はまさにスターであった。 幼い頃の自分に夢を与えてくれた電車であった。 |
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新旧101系の並び
トップナンバー1101とラストナンバー1226の運転台
クハとモハの旧形式表示プレート
ひばりヶ丘−東久留米間で
同じ場所で、雪の後 所沢行きの連結器には扇風機のカバーがかかっている
急行灯をつけて池袋に到着した101と快速小手指行 池袋のガード下から
80年頃のひばりヶ丘 西友の看板が古いですね 懐かしい急行西武秩父行
80年代 いつでも撮影できた101
夕方のひばりヶ丘−東久留米間を走る101 今はマンションになってしまった
上の写真の反対側 この雪の原が今はマンションに
オリジナルの奥武蔵 所沢−秋津
旧入間川鉄橋をバックに、新らしい鉄橋をいく101
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