このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


さよなら351系のページ




平成2年のとある日、拝島線に乗って玉川上水にさしかかり、何気なく車庫を見ていると、
ヘッドマークをつけた351が停まっていた。ヘッドマークをよく見ると、そこには「さよなら」
の文字が・・・   ついにその時が来たかという思いであった。
家に帰って新聞を見ると、さよなら351のことが記事としてでていた。
数年前からもうすぐ351が引退とささやかれ、引退前にと何回か写真を撮りに多摩湖線に
いったが、いよいよ小さい頃から慣れ親しんだ赤電が西武線から消えてしまう日がやってきた。
80年代、釣り掛けの赤電が次々と廃車になり、カルダン車は冷房化されて黄色くなって
いった。17mということが幸いして多摩湖線に最後まで残った351であったが、国分寺駅
の改修の完了で4両編成が入れるようになったのだ。
501、451、551などがひっそりと消えていったのに比べて、351は西武本線を走る形式
としてたぶん初めてさよなら運転を行ってもらった形式だと思う。
さよなら運転の後には、玉川上水で撮影会まで行われた。
思い出に残るイベントであった。




    
 
さよならウイークに乗車するともらえた、乗車証


  
多摩湖線各駅にはさよならの垂れ幕が掲げられた。
最終列車は萩山→国分寺→萩山のノンストップ運転だったと思う。


   
17m×3両なので、さよなら運転の車内はけっこう混み合っていたと思う。
   


さよなら運転の次の日、玉川上水で撮影会が行われた

 

    
編成ごとに違ったヘッドマークがつけられていた。

  

  


  
マニアが持ち込んだ旧種別札が掲げられた。現在のヘッドマーク、行き先、種別大会のルーツである。


  
3編成を揃えたり、ずらしたり、サービス満点であった。
超低速での調整で、床下からはすごい音がしていた。


  


Nゲージで351を作るときの参考にしようと、撮影した床下
  

  

  


 



  


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください