このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
★★★特急「月光」リバイバル運転情報★★★   運転日:7/28、列車番号9003M 主な停車駅:新大阪・大阪・三ノ宮・姫路・徳山・小郡・下関 停車・出発時刻:(運転停車も含む)向日町操車場2122→新大阪⑱番2147−2225→大阪2230−32→三ノ宮2253−54→姫路2337−59→岡山105−07→倉敷121−58→糸崎254−56→三原③番300−43→広島①番446−517→岩国553→ 大畠612→柳井619−41→徳山709−11→戸田721→小郡749−806→厚狭840→下関912  運転編成:青森車9両編成 新大阪側からクハネ583・モハネ583・モハネ582・サロ581・モハネ583・モハネ582・モハネ583・モハネ582・クハネ583 ★★★写真の方はもう少々お待ちください★★★


新大阪〜下関間完全乗車 特急「月光」リバイバル運転完全追跡!


7月28日午後9時45分、特急「月光」号に乗車する団体はまず新大阪駅1階の団体コンコースに集合をした。 そこでTisより乗車の手続と乗車記念のオレンジカード(7/14広島地区で発売された物と同じ物)と月光号の 記念乗車券が配布された。同じ頃、新大阪駅⑱番線ホームには多数の一般人・報道陣が殺到。そんな中、 向日町操車場から青森車9両編成特急「月光」号が入線した。午後9時52分、私たちグリーン車に乗る一行が プラットホームに到着。583系の人気のすごさとその車両に感激する。寝台車にはすでに寝台の用意がなされていた。 サボは1968年頃使用された月光のサボを復元。行き先表字幕は、月光 下関と表示されていた(その時は、 4月末に東北方面でリバイバル運転された思い出の583系はつかり号と同様あいているところにわざわざ 月光 下関と入れているものと思いきや、後にリバイバルはとと同様シールを単に貼っている物と判明)のでますます感動した。 電光掲示板にも「月光」2225 下関と表示されていた。午後10時をすぎた頃ホームでは出発式典が催されていた。 午後10時6分、隣⑰番ホームに特急「雷鳥48号」大阪行きが入線。国鉄時代よく見られた国鉄色同士の停車が”実現” した。午後10時25分新大阪駅駅長の合図と同時に583系「月光」は、ホームを滑るように出発した。新大阪駅を出発 して1回目の車内放送がかかる。期待はずれだったのはメロディが「鉄道唱歌」ではなかったことだった。車内放送を聞きながら 窓の外を見てみるとまず「白馬アルプス」「銀河」などが次々と新大阪に向かって走行していた。22時30分、1つ目の停止駅の 大阪駅に到着。ホームには僅かではあったが鉄道ファンがカメラを持って月光号を撮影していた。22時32分、出発。 列車は一路三ノ宮に向かって走行をする。22時53分三ノ宮到着、54分発車。この頃からグリーン車内でも仮眠をとる人が 出てくる。午後11時37分、姫路駅に停車。ここで1回目の写真撮影の時間がとられる。ここでも電光表示に月光23時59分  下関と表示されていた。停止中グリーン車内では、スリッパが配布されていた。午後11時46分、月光号停車の隣ホームに ムーンライト八重垣が到着、息つく暇もなく2分後に一足早く姫路駅を後にした。ムーンライト八重垣は、他のムーンライト山陽・九州 とは違い行き先表字幕にはただ「出雲市」としか表示されてなく時刻表などを見なければあれがムーンライト八重垣と分からない。 午後11時59分出発。出発と同時にグリーン車内でも電気が少し暗くなされた。大半の方は、ここで睡眠をとるようになったが、 いつも寝るのが午前2時半頃の自分にとっては、到底睡眠をとることも出来なかった。そこで今日、大阪の旭屋書店で 購入した「JR・国鉄名列車辞典」を1つ1つ読んでいた。そうこうしていたら列車はあっという間に岡山に到着した。ここでア然とする 事が発生した。岡山には、午前1時5分に到着したのだがホームにはカメラを持ったカメラマンが多数いたことだった。恐るべき鉄道ファンの 意地をかい間見たようだった。2分後岡山を発車した。その後、倉敷・糸崎に運転停車していった。さすがに福山を通過した頃から睡魔が 襲ってきて仮眠を取るようになった。三原に午前3時、③番線に到着した。さすがに大阪に行くときとは違いホームには電灯も消されホームにも 車掌以外は居なくてカーテンを被って寝ようとしたのだが、突然プラットホームの電気がパッと点灯した為に寝るに寝れなかった。 次の睡眠を取ったのは、入野を通過した頃だった。しかし広島で再び目が覚める。外を見るとだんだんと明るくなってホームにもカメラマンと 始発の列車を待つ一般客の姿を見るようになった。広島で約30分余り停車の後、下関に向け出発する。横川を過ぎてから再び仮眠を取った。 だが、なかなか思うように寝ることが出来ずに柳井で再び目を覚ます。柳井では、東京発の「さくら・はやぶさ」が月光を追い抜くのを見ることが出来た。 午前6時41分柳井を出発。ここから徳山までは仮眠を取らずに車窓を眺めていた。実は、この旅行に行くまで三原〜海田市、岩国〜下関間を乗ったことがなく 初めて見る車窓ばかりだった。右に周南コンビナートが見えてきたら徳山に到着。徳山で月光のリバイバル運転を記念した特製弁当とお茶が 積み込まれ徳山発車後に1つ1つ配布された。列車は、周南地区をどんどん突き進み車窓にスーパーおきなどの車両が見えてきた午前7時49分小郡に停車した。 ここでC・Dプランの山口きらら博とSLやまぐち号の乗客が下車、同時に本日最初の写真撮影が催された。ここでも電光表示がちゃんと表示されていた。 小郡を発車すると特急「月光」は、下関に向けラストスパートをかける。宇部に近づくにつれ右の車窓には、瀬戸内海が広がり、左に目をやると カメラマンが草むらに次々と陣取って撮影をしていた。その他にも畑で農作業しながらもの珍しそうに見る人などがいた。そんな光景を見ていて あらためてゴッパーサンの存在性の大きさに驚いた。そんな感動を胸に列車は午前9時12分、下関に到着した。

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