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★★★特急「しおじ」リバイバル運転情報★★★   運転日:7/30、列車番号9004M 主な停車駅:下関・宇部・小郡・徳山・岩国・広島・西条・三原・岡山・三ノ宮・大阪・新大阪 停車・出発時刻:(運転停車も含む)下関⑧番線923→宇部957−58→小郡1019−22→徳山1056−58→柳井1123→岩国1147−1203→廿日市1230→広島⑦番線1250−59→瀬野1313→西条④番線1328−31→三原④番線1404−04→糸崎1408−10→福山1440→ 岡山1536−47→瀬戸1600→上郡1630→姫路1700−04→大久保1730−37→須磨1750→三ノ宮1759−59→大阪1825−32→ 新大阪1836−42→茨木1850−59→向日町操車場1915 運転編成:青森車9両編成 新大阪側からクハネ58 3・モハネ583・モハネ582・サロ581・モハネ583・モハネ582・モハネ583・モハネ582・クハネ583 ★★★写真の方はもう少々お待ちください★★★  ▼リバイバル「しおじ」号の運転を記念し、パシナ倶楽部が今回運転された「しおじ」の全面展望ビデオを10月中旬発売。運転室や 車内の様子、停車した駅での様子などを収録。しおじに乗車できなかった人は必見の1本です。 ◆◆◆しおじで出題されたクイズ◆◆◆  1.日本で最初に食堂車と寝台車を連結した車両が運転されたのは、山陽鉄道である。 2.しおじは臨時も含めて 最盛期には6往復走っていた。 3.リバイバルしおじの座席数は全部で500席ちょうどである。 4.山陽本線が全線が電化開業したのは、昭和39年である。 5.リバイバルしおじが運転する区間で昼行特急の数は、全部で21ある。 6.山口きらら博のマスコットは全部で5つである。 7.倉敷チボリ公園は、スウエーデンの コペンハーゲンにある公園のミニチュアである。


下関〜新大阪間完全乗車 特急「しおじ」リバイバル運転完全追跡!


7月30日、天候は快晴。いよいよ今日は、特急「しおじ」の運転日だ。午前8時50分下関駅1階改札口に集合をした一行は、 手続き終了後、各自でホームの中に入場した。改札口にある電光表示にはアーバン地区でのようなちゃんとした表示ではなく、 電光表示の下にプラカードがあり、特急「しおじ」 新大阪という紙切れが貼られていた。何か期待外れの幕開けとなった。 プラットホームに上がってすぐだった。⑨番線横の側線に「しおじ」号が入線してきた。もちろんホームに居た鉄道ファンは次々にシャッターを切る。 側線にはそんなに長くはとどまらずにすぐに幡生方面へ出発していった。その2分後だった。下関駅⑧番線ホームに「しおじ」が入線してきた。 今日もしおじは、月光のときと同様にシールでしおじ 新大阪と貼られていた。午前9時20分、しおじの停車している隣ホームに国鉄色の 特急「いそかぜ」が入線してきた。さらにしおじの発車間際には、昨日小倉駅で見た国鉄色の近郊型電車が⑥番線に入線してきた。物すごいシュチエーションに 歓声をただ上げるばかりだった。そんな中、午前9時23分特急「しおじ」は下関を発車した。新下関を通過して少しして東京からの寝台特急である「あさかぜ」と すれ違った。列車は、グングンとスピードを上げていく。そしてここでも鉄道ファンの恐るべき行動を見てしまう。宇部に到着する前、瀬戸内海沿岸を走ったのだが、 その防波堤にカメラマンがよじ登っていて撮影をしていたし、トンネルに入る前に海の方に目をやってみると岩礁の部分にもカメラマンが居て撮影をしていた。 列車は、午前9時57分宇部に到着。58分に発車した。その後も快調にしおじはスピードを上げていく。実は下関〜岩国間は、列車の運転本数が少ないのでスピードを 緩めたりすることなんか無かったのだ。小郡到着前の事だった。山口県観光協会の主催でジャンケン大会が開かれた。景品は、山口県ガイドブック800円分相当と萩焼きの湯飲み、 山口県の名産などだった。もちろん1回か2回くらいで会えなく撃沈だったが、一緒に旅行したT氏が山口の名産をゲットすることができた。午前10時19分、小郡に到着した。 ここでC・Dプランの乗客が乗り込んできた。左ホームに目をやってみるとSLやまぐち号が発車を待っていた。て午前10時22分、しおじは次なる停車地である徳山に向け出発した。 小郡を出てすぐにスーパーおきを再び黙視することが出来た。列車は快調に周南地区を突き進む。午前10時56分徳山着、58分徳山発。列車はさらに突き進む。しおじは11時47分、岩国に停車し、本日最初の写真撮影の時間がとられた。ここでは、デジカメと家庭用カメラで岩国での光景を納めた。 岩国出発後、昨日の「月光特製弁当」と同様に「しおじ特製弁当」とお茶が配布された。しかし昨日の弁当とは異なり、おかずがメインの弁当になり、まともに食べれるおかずも少なかった。ので広島到着前にはもうすぐにおなかがすいていた。列車は広島に近づくにつれてどんどんスローダウンすることが多くなった。 岩国〜白市間は、10分間隔で列車が走っている為にそのダイヤの間を縫うようにしおじは走った。広島には、午後12時50分に停車した。広島でもしおじの後部部分などの撮影をした。ここでジュースを買い込み再び車内へと戻った。広島には、9分停車し午後12時59分に発車した。いよいよ列車は、セノハチ越えへと挑戦する。 セノハチは、山陽本線でもっとも急勾配で有名な区間でもある。午後1時13分、瀬野駅を時刻通り通過。いよいよ山陽本線で一番の難所へさしかかる。列車は写真撮影で有名な川上トンネルへ。その上の部分を見てみるともう大変なことが起きていた。なんと所狭しと鉄道ファンがトンネルの上に陣取っていた。その数数十人は軽くいた。 それからすぐの近くの場所の山陽道志和インター付近の橋の上でも多数の鉄道ファンを確認することができた。列車は、八本松を通過。西条に午後1時28分停車、31分に発車した。西条を出てすぐ、いよいよ豪華景品が当たる特急「しおじ」車内クイズ大会が始まった。問題数は全部で9問。簡単なものもあったが、座席数の問題としおじが通る区間を走る昼行特急の種類の問題に最後まで手こずった。 午後2時4分に三原に停車、息つく暇もなくすぐに三原駅を後にした。尾道をすぎてから車内放送で岡山県の観光協会の人が倉敷チボリ公園と岡山県の観光PRをしていたが、聞き取りにくく僕は放送そっちのけで車窓をずっと眺めていた。午後3時を回って列車は岡山県に突入し、岡山駅に、午後3時36分に停車した。 ここで本日、3回目の写真撮影が行われた。今回は、昨日乗車した7号車のグリーン車の側面と先頭部分の撮影をした。颯爽と写真撮影を済ませて僕は、車内へ戻った。岡山を発車して車内クイズ大会の解答と豪華景品の当選者の発表が行われた。 残念ながらここでも僕は9問中たった6問しか正解せず、プレゼントをもらうことが出来なかった。岡山を発車してからまもなく2日間乗った583系との別れが、どんどん近づいてきた。 クイズ大会が終わって今度は、アンケートとRailstarの扇子が一人一人に配布された。アンケートには今度どんな列車を走らせてほしいかという質問があったので、 山陽新幹線開業まで、それ以降も583系で山陽路を駆けめぐった「金星」「明星」「つばめ」「きりしま」などの名前を記入した。親友T氏は、僕の倍、(リバイバルしてほしい特急列車の)名前を挙げていた。 一部のファンからは、早くも3月のダイヤ改正で惜しまれながら廃止されていった特急「白鳥」のリバイバル運転をやってもらいたいと話しているのが聞こえてきた。もしこのリバイバル運転が去年実施されていたらもしかしたら僕は、土曜日に大阪行きの「白鳥」を見ることが出来たのだ。 そういう意味で3月の廃止はデカかった。アンケートはすぐに回収された。アンケート回収後、車内放送でとてもいい情報を聞いた。鉄道ビデオ販売をしているパシナ倶楽部という会社が、このしおじの運転室の全面にビデオカメラを設置しそれを10月中旬に販売するというのだ。 それを聞いて僕は即決でそのビデオを買うことをT氏に漏らした。ところでそのチラシが配布されてからもう一つ別の情報を入手してしまう。チラシの橋の部分に「おそらく最後となる583系国鉄色での山陽本線上の走行」との記述が。 もうこの名車は、二度と山陽路を走ることなんかないのだろうか?そんなのは絶対いやだー。僕の心の中にはその思いで一杯になった。それは親友のT氏も同じ気持ちだったと思う。 列車は、知らぬ間に兵庫県内に入っていた。そして陽がだんだんと傾いてきた午後5時、しおじは兵庫県内最初の停車駅である姫路駅に停車した。ここで姫路駅で下車する人たちもいた。 それを見ていて「僕も間もなく降りるんだな」と思った。列車は次々と駅を通過する。30分後の午後5時30分、大久保で運転停車。ここで車掌の交代が行われその7分後に出発した。 しおじはその後、三ノ宮に停車した。いよいよ新大阪まであと35分強の旅となった。神戸を出てから快速列車としおじが追い抜いたり、追い越されたりする光景も何度か見られた。広島や山口ではあまり見られない光景なだけにさすがアーバン地区だな〜と感心してしまった。 大阪到着間際、特急はまかぜ5号鳥取行きとすれ違う。だが、岡山や下関で見た国鉄色とは異なり、見るも無惨な変な塗装を施した車両は、西の方へ走っていった。そういえば、いそかぜタイプのディーゼル車も今では、JR西日本にしかないみたいなのだ。 しかし7月のダイヤ改正でその運用は、また減ってしまった。山陽本線がまだ全盛だった頃は、「かもめ」や「旧いそかぜ」などが国鉄色で駆けめぐっていた・・・。新しい物が出たら古い物はなくなってしまう。 そういう意味で時代の流れというものは、怖い気がした。午後6時25分、大阪駅にしおじが停車する。本来ここでは写真撮影の時間は取られていなかったが、7分停車ということで電光表示と側面を再びカメラに納めた。 大阪を出発するとしおじはいよいよ終点、新大阪に向かう。長かった3日間の旅の終焉はそう長くは続くことなく4分後の午後6時36分、しおじは新大阪駅に停車した。 しおじが向日町まで引き上げる間、最後の写真撮影が行われた。ホームは、しおじから降りた人、しおじに乗れなかったカメラマンなどでごった返していた。 ここでもしおじに乗車した車掌さんは、カメラ小僧の注目の的になり、いろんな人が次々と来ては、カメラに写っていた。午後6時42分、3日間乗ったリバイバル特急「しおじ」号は静かに向日町車両所に引き上げていった。

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