このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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特急「とき」
「はくたか」「いなほ」「とき」・・・上越新幹線が開通するまで東京・上野から新潟方面を結ぶ列車としてもっとも列車として有名なのは、「とき」である。ときの名前の由来は絶滅保護種の野鳥「朱鷺」から来ている。朱鷺が初めて登場したのは、昭和37年6月10日の信越本線の新潟電化が完成したまでさかのぼる。当時は、1県1駅停車としたダイヤが組まれ話題となった。しばらくは、1往復で運転されていたが、昭和40年3月25日から、1往復増便と編成の増強が図られた。また新たに水上・越後湯沢が停車駅に加わった。翌年41年10月1日からは、1往復が増便となった。昭和42年10月1日の「ヨン・ニー・トウ」ダイヤ改正からは下りが約15分短縮の4時間30分、上りが約10分短縮の4時間35分で結ぶようになった。また同日からは、東海道新幹線との利便性向上のため1往復が東京へ延伸されるようになった。昭和43年10月1日、戦後最大の「ヨン・サン・トウ」ダイヤ改正で全国の主要幹線で特急・急行の増発やスピードアップが図られ上野〜新潟間も120㎞/h運転が開始されさらに30分短縮された約4時間で運転された。ときはその後、昭和45年10月に6往復、昭和47年の山陽新幹線岡山開業のダイヤ改正から7往復、同年10月からは10往復、翌年10月からは東北特急「ひばり」と同数まで膨れあがって上越方面の主要列車としてその名を知らしめた。昭和49年、とき5号の故障をきっかけに181系から新車両への移行が開始され同年12月28日に3往復、翌年10月のダイヤ改正からは4往復、3年後の昭和53年10月2日からのゴー・サン・トウのダイヤ改正からは14往復まで増強された。その4年後、11月15日在来線ときは、名称が新幹線のときとなり、在来線からは絶滅した。
以降は、新幹線として東京〜新潟間の新幹線として活躍したが、平成7年の12月には、8往復に整理され、運転区間も東京〜越後湯沢間に短縮されてしまった。平成9年10月1日、北陸(長野行き)新幹線の長野暫定開業に伴い、新幹線「とき」もついに姿を消す。今回「とき」は、上野〜新潟間を4年ぶりに走破する。
★★「とき」関係情報★★
・懐かしの特急とき号・(3枚1組3000円、記念カード)10/13発売 新潟・新津・長岡・越後湯沢の各駅
・特急とき号A、B・(2枚1組2000円、イオカード)10月上旬発売。[バラ1万枚、台紙1500組。台紙は10/13・10/14のイベント時限定販売]
上野・大宮・西日暮里・鶯谷・田端・日暮里・尾久の各駅
★★回送列車運転時刻★★
10/12 回9368M〜回9569M
津田沼1122→御茶ノ水1153−1154→新宿1204−1207→赤羽1226→大宮操車場1243−1331→
大宮1336−1338→東大宮操車場1344
回9570M〜回9571M
東大宮操車場1401→大宮1407−1412→上野1438−1450→尾久1500
10/13 9003M
尾久732→上野740
10/14 9004M
上野1551→尾久1601
10/15 回9567M
尾久1319→赤羽1325→大宮1338−1339→東大宮操車場1345
回9568M〜回9369M
東大宮操車場1406→大宮1412−1415→赤羽1430→池袋1440−1442→新宿1449−1451→御茶ノ水1501−1503→津田沼1530
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