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粉体系タンク車の仕分線-2番線
【第7種タンク車】液体以外の粉体その他に用いる
タキ1900形セメント専用タンク車

タキ1900形 タキ21921【第7種】

わが国を代表する40トン積みセメントタンク車です。昭和39年に川崎車両が開発 し、日車ホキ5700形、日立タキ19000形、富士重タキ12200形といった 対抗形式がありましたが、結果的に本形式は 1729両と他を圧倒し標準車として他メーカーでも製造されました。 タキ3000形に代り私有貨車の最高両数を占めました。
時代、所有会社、メーカー手法で相当のバリエーションがあり、 写真の車は台枠側梁の溝形鋼が250mmと大きい初期形で、東藤原で使用されて いたが廃車、三井鉱山セメントに移って残った同一ロットの仲間も、平成16年 3月に輸送廃止で本ロットも消滅しました。
★030808修正:三井鉱山同一ロット車に言及
★030824訂正:製造初年誤記訂正:43年→39年
★040621訂正:三井鉱山鉄道輸送廃止のため書替え
2001.02

タキ1900形 タキ21928【第7種】

平成15年現存していた三井鉱山タキ1900の最若ロット(R18/タキ21921-21933)の1両。明星からの移籍車で、 奇しくも以前掲示したタキ21921(明星社紋:東藤原)と【新製時発注】同一ロットである。 しかしながら配転によって、後天的改造が行われ、全くの別ロットに見えてしまう。 これも、貨車探求の醍醐味であろう。台枠側梁は250mm溝形鋼で、一見して太いのがわかる。
ブレーキシリンダ径も254-356でこれは初期車の特徴の一つでもある。 銘板は「昭和42年川崎車輌」で、受け台に付いている。
2003.07 金田
タキ1900形 タキ41956【第7種】
中堅ロット(R29/タキ41955〜41959)の1両。やはり明星からの移籍車で、 東藤原に移って活躍していたタキ41959と同一【新製時発注】ロットのS44「川崎重工」製である。 台枠側梁は200mm溝形鋼。ブレーキシリンダ径も254-305に、前のロット(R28/住友向けタキ 41925〜41954)から変っている。
後方に見える脚はクリンカをホッパへ運んでいたコンベアの 支柱である。
2003.07 山元
タキ1900形 タキ91937【第7種】

「エアースライド」方式の粉体タンク車の代表タキ1900形の内、日立セメントの 所有するタキ1900です。日立セメントは日立製作所のセメント部門ではなく、 別会社。日立にセメントプラントがあり、隅田川等へ輸送しています。同社のタキ1900形は 昭和45年のタキ71955以降の3ロットは、それまで日立オリジナルのタキ19000形を採用していた つながりからか、全て日立製。昭和49年タキ112475〜80、 56年タキ112689〜98(本形式の最終ロット)では川重製となり、その後三菱マテリアルより移籍した車も加わっています。 タキ1900形の導入は日本セメント・電気化学工業・敦賀セメントと略同じ、やや遅めの方でした。
この写真はわずか6両の日立製第49ロット(タキ91933-91938)で昭和46年11月30日車籍編入。
2004.06

タキ1900形 タキ112104【第7種】

これは三井鉱山セメント所有車の内、元東北開発の移籍車中、 古い方のロット(R71/タキ112100〜112134)である。
東北開発出身車の特徴である、独特の4個の積込み・集塵口が残っている他、 社紋板も東北開発時代の矩形をそのまま引継いでいる。ハシゴは金田仕様で 妻側に移設されている。
S48川重製で、台車は従来のTR41Cからレジンシュウ付きTR41Gに変ったが、 ブレーキシリンダ径は旧来のまま(254-305)で、これは本ロットが唯一の 組合わせである。そのため、台枠側梁下に見えるブレーキシリンダ取付、 後方に伸びる「積空ブレーキ」の構造が、他のロットと異なっていることに注目されたい。

2003.07 山元

タキ1900形 タキ112494【第7種】

これも三井鉱山セメント所有車の内、元東北開発から移籍中新しい方のロット(R87/タキ112481〜112503) でS50川重製。
ブレーキシリンダはR72/タキ112135〜より180-254に縮小された。 これに伴ってか、ブレーキシリンダの取付や「積空ブレーキ」の構造が古い ロットと共通に戻っている。 台車もTR41E13になっている(タキ1900としてはR77/タキ112306〜)

2003.07 山元
タキ1900形 タキ112654 【第7種】

タキ1900形のうち秩父セメント向けに製造された唯一のロットです。秩父はホキ3100形の後、ホキ5700形を 大量増備し、タキ1900には目もくれませんでしたが、それも昭和48年を最後に製造終了、 以後はタキ1900形が標準形式となっていたため、昭和53年に本形式での増備になったものでしょう。 電車からスム、テキ、ワラ(アルミ車)、ホキと脈々と続いた ご縁からかメーカーは日車。本形式の第93ロット/タキ112628-112667で、 仕様的にはTR225-1台車を履き、タンク補強環は内部 と当時の標準設計で、投入口と集塵口が寄ったタイプ(ホキ5700にもあり)でした。 なかなか写真が撮れなかったのですが、リストラで貨車が減少した最近、皮肉にも 容易に撮ることができました。

2004.05 武州原谷(秩父鉄道)
★不正確な記述がありましたので修正しました。
タキ1900形 タキ112692 【第7種】

エアスライドセメントタンク車の雄、タキ1900形の最終ロットです。 昭和56年川崎重工で日立セメント向けに上記のタキ12729〜12733と同年に製造されました。 タキ1900形としては設計が標準化された後ですが、台車はTR225-1からTR213Cとなり本形式中唯一です。
現在は日立〜隅田川間で運用されていますが、日立〜荒川沖にも使用されているかどうかは わかりません。
2004.05 小名浜


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