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1997/8/24-30 の間、実家のある広島へ相棒・紅F君と共に帰ってきました。 その時のエピソードを少々。 では。
第1章 『大阪奮戦記』1. 「お初でございます」「わっくわっくさせてよぉ〜ん♪ ふふふふんふふん どっきどっきさせてよぉ〜ん...」 全てはこの鼻唄が始まりだったのかも知れない。 彼はおカネに対して良縁薄く、今回も下道である。 折り返し地点である広島へ向け順調にコースを消化し、彼の紅Fは既に大阪にまで 到達していた。千葉を出発したのが前日の午前9時(*1)。22時間が経過している。 前夜は鈴鹿で仮眠をとり、快調な旅を続けていた。 まれにみる快調さであった。これでは鼻唄の1つも出よう。 京都から大阪へと国道1号線をひた走る...つもりが月曜朝の通勤渋滞にはまり動けなく なる。辛抱し続けるうちに、やがて頂点をきわめた渋滞も徐々に解消。大阪守谷へと 差し掛かり、その頃には車の流れはかなりスムースになっていた。 快調! 快調!! とばかりに進んでいると分岐の車線選択を誤り、コースアウト。 「たはたは」 意味不明の言葉を呟くうち、ほどなくどこへ向かっているのやら分からなくなる。 突き進んだ先は左側車線だけの大混雑。最初はマネしてその車線に並んでいたが、 しびれをきらし「行っちゃえ、ゴーゴー!!」直進。 かくして彼は生まれて始めて阪神高速に乗ったのだった。 「あ〜れ〜...」 注: (*1) 予定では4時半起床だったのだが、前夜のはしゃぎすぎからか 起きてみれば花より男子(8時半放映開始)が流れているではないか。どひぇ〜である。 おかげで「箱根で会えたらいいっすね」と言っていた chihiro さん(MG-F Volcano 乗り♂) には会えませんでした。うむむ残念。彼もわたし同様に壊れているのに...。2. なけなしののゼニやで〜実は彼は今回の往路でもう1つミスを犯していた。 首都高速大黒SAで長旅用缶コーヒーを購入し、ついでに幌を開けオープンに。 さあ出陣...が大黒SAの出口を誤り再び都内へと戻る。(*2) おカネのない彼の所持金は、この時点で約 2000円 ほど。途中の首都高料金は車中に たまたまあったプリペイドカードで。これ以上の出費は「痛いっ」ので、都内より 再び下道を迷走する。途中横浜新道で 200 円を消費。無事コースへ復帰。 阪神高速の看板を目にした彼が最初に行ったのは、所持金の計算であった。 途中での食糧補給のため、既に残りの所持金はわずかに 1000 円を越える程しかない。 「あわわわわわ」 すっかり動転している彼は料金表をみてびっくり。 「1000 円 !?」 それは大型の...。普通車の 600 円を支払い通過。 この時点での所持金残高チャリーン 500 円弱。 「ワシにもメンツってもんがある。高速なんぞのってられるかい! こーなったら、すぐにでも降りて元の道へ合流してやるっ!!」 そう意気込んで臨んではみたのだが、哀しいかな肝心の出口が見当たらない。 そして阪神高速はゲキ混みへと突入する。 勘弁しいやー!! 注: (*2) これと同じミスを以前やらかしている。スパオフ2の時だ。学習能力がない わけではない。学習内容は2ヶ月でリセット。それが仕様なのである。 よってこのミスは人為的なものではない。3. 大阪と言えば「サカイの商人」?「あーっ」 ようやく発見した出口ではあったが、紅Fの走っている車線が出口側ではなかった事 から通り過ぎてしまう。ひどい。カーブを抜けた瞬間に出口だもんなー。あれじゃ車線 変更する暇ナイヨ。(*3) やがてすっかり解消された車の流れは、彼を大阪中心部へと導いて行く。 つぎに彼が気が付いた時には環状線を走っていた。 環状線といってもどこを走っているのやら...あっ!!「神戸方面こっち」の看板! 見えただけだった。ぶぅ〜ん。通過。 このまま走っていても仕方ないので、知っている地名がでてきた段階で高速を降りる。 「境」と書いてある。 予想していた事だが、どこだかさっぱりわからん。 しかたなく太陽の方角を元に北へと向かう。 正解。国道 43 号線にぶつかる。これで神戸へ行ける。「やっほぅぃ!!」 しかし喜んだのも束の間。かれは新たなる発見をする。 燃料がない。 注: (*3) もしこの出口で彼が降りる事ができていたとしよう。激しい迷走状態に陥って いた事は想像にかたくない。土地勘の全く内状況での大阪、しかも地図等は もっていない。人に道を聞こうとしても「国道1号線はどこですか?」って トンチンカンな場所では、ちょっとねー...。4. レッドゾーン針は既に赤い部分に入っていた。 「大丈夫。大丈夫。クルマってのは Empty のランプが突いても 50 km くらいは走れ るように数リッターくらいは残されてるもんだよ」 友人の言葉を思い出しながら、ひとり「大丈夫、大丈夫」と呟いてみる。 しかし一方では、 「Fのメモリだぞ。はっはっはっ。信用できると思ってんのー? ははん。」 悪魔だか天使だかわからない声が...ああ...。 たしかに燃料計の針って1目盛りや2目盛り戻ることはざらなのだ。(*4) あせる気持ちをよそに、針だけは快調に赤い荒野をずんずんひとり旅。 ここで再び渋滞にはまる。 注: (*4) あくまでも私の紅Fの場合である。 今までで最大の戻しは3目盛り(1目盛り進んでは戻りを3回繰り返した) である。その時は本当に GS に遭遇できず、とっても恐かったのを覚えている。5. 垂涎今回の渋滞はハンパじゃなかった。 全く動かない。動いても「1メートルと進んどんかい?こらぁ!!」くらい。 そして暑い。だがどんなに暑くてもエアコンはかけられない。燃料がないのである。 すでに燃料計の針は、赤い部分の半分をとうに過ぎ去っている。 ここでアイドリング・ストップ運動も検討してみたが、保留。もう少しがんばってみる事に。 ガソリンはカードで入れられるコスモ GS のみだ。んが、それ以前に GS が全く見られない。 おまけにやたらと高架に登らされる。 大抵高架上に GS はないものだ。それに渋滞のため坂道発進の連続だ。かなりつらい。 やがて熱により脳味噌が沸騰して来る。 「ふぅん。グラニュー糖って比重が 0.77 なんだー。10240 kg のグラニュー糖って...」 と目の前のグラニュー糖運搬中のタンクローリーに感動したり、 「武庫川かぁ。そういえばやっぱ十兵衛よりも兵庫助の方が強かったのかな...」 等と訳のわからない連想をして柳生一族に思いを馳せる有様。 今はそんな事を気にしている場合ではないのに...。 あああっ。ハリが〜!!! ... GS を見て涎が出たのは、生まれて初めてです。パブロフ。パブロフ。
第2章 『付録(他に起きた出来事)』う〜ん。前章を改めて眺めてみると「大阪でガス欠の心配をしちゃった」ってだけだな。 ははは、まぁいい。それでは最後にその他のエピソードもご紹介して。 ではでは。- 先導に恵まれず復路にて。 西ノ宮ではバイクの集団走行。箱根ではかっとびスターレット。 と2輪/4輪の先導を受けたのですが、前者は信号無視&Uターン、後者はカーブを 直進ズッコーンと、あまり役には立ちませんでした。 気をつけよう...以前に、こんな奴等について行ってはなりません。 当たり前ですね。- 職務質問?どこかよくわかんないけど路肩に車を止めて寝ていたら、 "警察" と名乗る方々に 起こされた。 路肩はかなり広く、事実上パーキングエリアでした。止めていたくるまも私の他に 3〜4台ありました。 眠ったばかりだった私のFの窓をコツコツやられ、なにやら免許証の番号を控えて いったようです。 彼らは「警察だけど...」と名乗っていました。 ひとりは30代後半、もうひとりは40代半ばか。二人ともスポーツウエアというか ジャージっぽいのを着ていた(ように思える)。 「習志野っていうとあっちの方だよねー。寝てたの? それとも病気かなんかで やすんでたの?」 「んあ?」 「警察なんだけど免許証とかあるかなー。見せて」 「んあ。」 文字通りろくに目も開けられない状況でした。 普通の小判のメモ帳に免許の(おそらく)番号を控えて、彼らは行ってしまいした。 車はシルバーの4ドアセダン(2ドアかも...)です。ファミリアくらいでしょうか。 すいません。寝惚けててよく覚えていません。 他の車はほったらかしていたようです。 あれは何だったんだろう?-Over-
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