このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


Title: 嵐の本州最南端 (和歌山県串本にて)
0.はじめにごごう〜〜〜ごごぅぅ〜 吹きすさぶ風の中 こんなはずじゃなかった そう思っている 男達がいた  
1.発端今回の旅行は2人旅である。 ひとりで移動することの私にとって、これは大変に珍しい状況だ。 私の移動スタイルがこうなってしまったのには、理由がある。 気楽であるのはもちろん、私は予定を立てない。立てないからにはどうなるか 結果もよめないし、無事帰ってこられる保障もない。 故あってのひとり旅行なのである...たぶん。 しかし今回の旅を通して、友人や知人との旅の面白さを発見したと思う。 何しろ私を虜にしてやまない「ハプニング」が、そこここに待ち構えていたからだ。 出発の前日のことだ。 同行の友人が私に訊ねる。「目的地はどこ?」 今回行き先として私が考えていたのは "三重" だけだ。 それ以上も以下も考えてはいない。 そこで彼の提案により、今回の旅は「本州最南端・串本」と取り決められたのだった。  
2.博物館と鳥と夕日と...久しぶりの会合もそこそこに、我々は1つの施設を訪れた。 三重県は度会郡にある大宮町昆虫博物館である。 ここ3年ほどのことであるが、毎年1回ずつ通っている。 華々しくもない小さな建物だし、なにやら失敗しちゃった地方活性化の結果の ようにも感じなくはないが、いやいやどうして。 昆虫だけではなく地元の自然紹介を基本スタンスとして、世界各国の昆虫標本を 展示している。 また常設であるこれらとは別に、紙細工の昆虫がパネルを飾っている部屋も 設けられている。 また来年も訪れよう。今年もそう思う。 ただ惜しむらくは、入館回数に応じてプレゼントを貰える「お楽しみカード」の 持参を毎度忘れることだ。 おかげでいっかなスタンプがたまらない。毎年新しいカードをもらうはめになる からだ。かなしい。 さて我々は昆虫博物館を後にし、今晩の晩飯を調達しつつずんずんと南下す。 どうやら今夜はキャンプの様子だ。 聞けば友人は、きちんとテントも用意しているらしい。 私にはできないまねだ。準備とかってのは。 尾鷲。熊野。新宮。佐野。どんどんと進む。 すこし風も出てきたのか。 河にかかったアーチ橋を越えていると、一心不乱に風に立ち向かい宙にに浮き続ける トンビが目に入る。 橋はゆっくりとだが確実に高度をある。トンビは空中停止を続ける。 橋を駆け上がる私と彼の(彼女の?)距離が徐々に縮まる。 「そりゃっ!」 突然下から伸ばされた腕にびっくりしたのか、とても故意とは思えないバランスの 崩し方で翻るトンビ。 ふふ。次は逃さねぇ。 すて台詞もほどほどに終点の串本はもうすぐ。 右手に見える山は、天を藤に裾を紫に。夕陽と梅の花に彩られた山の緑。 まだ褐色を多く残した名も知らぬ山は、私たちの心を包み込んでいた。 串本についたときには既に闇がそこまで迫っていた。  
3.設営...んだが風呂がない前夜の睡眠をクルマの中でとった私のために、友人は温泉の場所も調べてあるという。 やはり私にはできないまねだ。できた男だ。嫁にするにはばっちりか。 さて、彼の指示のもとテントを設営。味噌煮込みを食う。 腹も落ち着いた我々は、いそいそと風呂へ。 迷いながらもたどり着いたそこで我々が目にした事実とは、 「本日お休み」 ガガーン。 メンテナンスのための臨時休業。 既に時刻は9時に近づこうとしている。近場には他に風呂はない。 しかたなく風呂順延としてテントへと戻る。  
4.無重力体験!? い−や違う。ピーナッツ(千葉県名産の半立なる種)やボンボンを食いながら、夜の帳に沈もうと した我々を何かが襲う。 嵐である。 時折雨を交え、終夜吹きつづけた強風は、私たちに未知なる体験をくれた。 吹き付ける風にテントは翻弄され。 びゅううぅぅぅ。 敷いたマットと地面の隙間に入り込む、「えぐるように打つべし」風が私を持ち上げる。 あわわ〜わわわ〜。びゅうう!! ついには地面へ固定したピン(ちゃんとした名前忘れた)までもが抜け始め。 あ〜〜〜〜あ〜〜〜〜あ〜〜〜〜!!! びゅぅ〜〜〜〜〜〜ぅぅぅぅっ〜〜〜〜〜!!! 私は浮いた。 その右を上にした斜めの浮き方には、やや不満も感じないではない。 が、その時はもちろんそれどころではない。 必死である。しかし同時に「わはははは〜」と笑っている自分が少しいじらしかった。 困ったもんである。 この風は翌日まで続いていた。  
5.天気雪 vs.伝説の傘快晴! 強風はいまだ吹き荒れるけれど、天気のほうはすこぶる良い。 テントをでてみて自分がどんな所で寝ていたか分かる。 芝で覆われた地面が50mも伸びた先が「本州最南端の地・潮岬」であった。 テントが完全に地面と離れた我々を想像して...笑えない状況だったのだなと 初めて気づいたものだ。 途中で樹に引っかかるか、でなければゴロゴロゴロである。 太平洋はまだ冷たかろう。 帰路、なぜか天気雨が続く。 ゆけどもゆけども天気雨である。 しかも時折雨が低温の空気にぶつかったせいか、天気雪にまでなる始末。 風雅であった。 ウミガメの博物館を訪ねたり、尾鷲のお土産屋で「伝説の尾鷲傘」に触れたり、と 旅路は続く。 ちなみに尾鷲は日本の降水量 No.1 だと習ったが、その傘は耐久性向上のため 通常よりも多くの骨を持った頑丈な傘であった。 値段はゼロが4つもつく。(※1) さすがに傘までローンで買えない、と微笑をたたえた友人の姿がそこにはあった。 もちろん私も笑っていた。    注記:(※1)... 後に「河合屋」様よりメイルを頂きました。          それによれば私が見かけたものは「河合屋」製尾鷲傘の          模造品だったようです。尾鷲傘は「河合屋」にて手作り          製作されており、価格も私が見かけたものよりも遥かに          低く設定されています。詳細は「 河合屋HP 」まで。  
6.鳥羽港殺人事件そして、私はすっかり失念していたのだが、帰りは高速を使わずフェリーで知多半島 に渡ることになっていたらしい。 向かう先は伊勢方面、鳥羽港定期フェリー乗り場である。 急ぐ彼を追いかけながら、ひとつ分かったことがある。 どうやら出発の時刻が近いらしい。 ぶっとばす我々。 急ぐ我々。 結局、乗り場にたどり着けたのが出発5分前。それから車検証を見せたり、乗船チケット 求めてエスカレーターを駆け上ったりと大忙し。 なんとかチケットを得て、再び階下へダッシュ。車を船に乗せるのである。 ブオー。 はらほろひれはれ。出発間際のギリギリセーフであった。 アリバイトリックを駆使する犯人に言いたい。やめたほうがいい。 しかしそれでも達成感はあるようにも思う。 ちなみに本当に殺人事件が起きたわけではない。  
7.荒れる・もまれる・ウッとくるところで友人はきつい連日の仕事で疲れている。うえに昨夜のテント浮遊事件である。 疲労はピークを迎えていた。 船酔い入門である。 外洋の比でないとは言え、船の前縁が突き破る波で前が見えなくなるほどの揺れである。 ぐらんぐらん。客室フロントガラスにまで波で洗われていた。 フェリー経験の浅い私は、珍しさから来る興奮や天性の鈍さも手伝ってかノー・プロブレム。 船酔いなりかけで眠りに就いた彼を残し、あちこち見てまわる私であった。 ゆったりとした入港のシーンには、とても感慨深いものがあった。 ああ。やってきたんだな、と。(いや、なんとなくね、なんとなく)  
8.風呂彼の案内で海辺の温泉に入る。 湯が少ししょっぱい。天井に小窓のついた「もと露天風呂」にも入る。 打たせ湯などもあり、気持ちの良い時間。 しかし同時に旅の終焉を予感させる湯でもあった。  
9.味噌煮込み ごぅごぅ!ここで改めて解説しておこう。 昨夜の私の食事は、名古屋名物の味噌煮込みであった。具はオリジナル。 朝一番の食事も同様。 お昼はフェリーにておそまきの焼き蕎麦を食べる。 そして晩飯である。 旅の最後を飾る食事だ。 しかし体内に変化でも起きたのだろうか、私は再び「味噌煮込み」に手を出してしまう のであった。きっと健康診断では発見されない変化だ。 でも美味しかった。  
10.生還週明けから東京で仕事がある彼を乗せ、私の車は一路東へと突き進む。 何回かの小休止を経て道は首都高速へ。 地図を見てもらいながら、なんとか彼の宿泊するホテルへと到着。 午前1時前だ。 長い旅もここまでか。 そう思ったのも束の間。例によって私はすぐさま道に迷っていた。 気がつけば先ほどのホテルの前を走っているではないか! しかし、こうして旅日記を書いているということは、無事つけたのだろう。 家の布団はせんべい布団。 おやすみなさい。                              -Over-
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