このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


3日目 〜ようこそ番外地へ〜

30.健さん!

正門前には強面制服の男性と、日本の脱獄王こと白鳥由栄の像が立つ。ここは網走「博物館網走監獄」。

野付半島を戻り、再び北上のドライブは続く。山中を標津町から斜里と越え、小清水町で海辺に出ると、そのまま海伝いに網走市へとつながる。中規模の街で、網走湖からの網走川が海に注ぐ港町でもある。しかし網走と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは番外地。網走刑務所である。

『網走刑務所の外塀に沿って流れる網走川に架かる橋を、収容される時,出所の時必ず渡らなければなりません。「川面に我が身を映し、襟を正し、心の垢をぬぐいおとす目的で岸に渡るようにと」誰言うとはなしに鏡橋と呼ばれるようになりました』

復元されたその橋を渡り、チケットを買う。この門を潜れば、貴方はもう愛の俘囚ならぬただの囚人である。


[博物館 網走監獄]


[家族との分かれ]

31.網走

そもそも北海道が未開の地というイメージ濃い時代。本州側から見れば、その北海道の裏側に網走はある。最果ての地という響きに、収監される人たちも残される知己も、「生きてまた会えるのか」心配でならなかったに違いない。

明治時代。今日我々が思うだけの単なる犯罪者以外にも、思想犯と見なされた者達もここへ投監されたのではないか。そんな想像も脳裏を過る。館内には家族との別離をはじめとした様々な光景が置かれてあり、彼らが実際に労役に使用した工具・農具も展示されていた。

32.労役

シベリア鉄道も同じか。
北海道の今日の道路の礎の1つとなったのは、こうした懲役囚の開墾労働によっている。

また北海道各地の刑務所を競わせるようにして、原野を切り開かせ道路を作らせたため、かなり厳しい環境で労働を強いたようだ。命令する側から見れば、悪い事をした囚人なのだから、少々の事は何をしても構わない感覚があったのだと言う。

移動小屋(右の写真)の再現したものが敷地ないに展示されてあるが、はっきり言って恐い。
ここを訪れていたカップルは、女性が「恐い!」と、これに決して近付こうとはしなかった。人形が良く出来過ぎている。鬼気迫る秀作。そして小屋のなかにはくぐもった録音の声が、何度も繰り返し響いていた。
「異常無ぁ〜し・・・異常無ぁ〜し・・・」


[山中行軍のジオラマ]


[道路工事用の移動小屋 就寝の光景]


[何だろう、この感覚]

33.不思議な美しさ

網走刑務所も年代を経るごとに、大きく頑健なものへと移り変わっていったようだ。

敷地内には、そんな各時代の牢獄が復元されており、懲罰の為の狭い暗闇だけの獄もある。唯じっと真っ暗やみのかなで座りつづける。食事はほんの少し。自分に耐えられるだろうかと、いつしか問うてみる。
「い、いかん。それより、こういう場所に入らんようにしなくては!」
ちょっと自分にカツをいれる。

しかし左の画像にある獄舎は、こんな表現は許されないのかも知れないが、摩訶不思議な美しさがある。幾何学的なもの+監獄と言うイメージのない交ぜ。

とは言え、ここに収められるような人生は歩まぬようにせねば...再び己にカツを入れた。

 ⇒ 旅は続くよ士別まで


今回の旅のトップへ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください