このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


【 北海道的地名 】

今回のドライブ旅で気付いた事が有りました。それはやたらと「〜別」という地名が多かったという事です。そんな見かけた地名で、ちょっと考えてみました。


今回の道すがら出会った「別で終わるもの、若しくは別の文字を含む」地名/河川名

久根別(久根別川),貫気別川,伊達もんべつ(漢字忘れた),登別,別々川,入鹿別川,門別(門別川),向別川,幌別,門別川(2つめ),二雁別川,歌別(歌別川),,紋別川,直別(直別川),尺別,和天別(和天別川),姉別,別海(西別川),春別橋,糸櫛別,止別,湧別(湧別川),愛別,士別,温根別(温根別川),徳志別川,上幌別/下幌別,豊寒別,浜頓別,知来別,遠別(遠別川),初山別(初山別),茂築別川,築別(築別川),古丹別川,朱文別(朱文別川),箸別(箸別川),群別(群別川),毘砂別(毘砂別川),余別(余別川),尻別(尻別川),幌別川(3つめ),後志利別川,臼別橋,当別

※上記は大体通った順番に列挙してあります。


備考:

  • そう言えば他にも、捫別ってのも見たような気がします
  • 〜別ではないが標津は音的に「〜ベツ」である
  • サロベツやルベシベツのカタカナ表記もある
  • 今回通過しなかった地名のなかからメジャーなものに紋別,芦別,江別などあり

〜内(〜内川)という地名も多かった

静内,厚内,神恵内,岩内,知内ほか

厚という字が使われた地名も同様に

厚内,厚岸,厚床,厚田,厚苫,厚沢部

幌の文字も同様

幌別,浦幌,尾幌,幌加内,羽幌,そして言わずと知れた札幌

美の文字

美幌,美深,美成,美国,美瑛もそうですね

他には歌や苫も

歌:島歌,歌登,中歌,歌棄(歌葉だったかも知れない),原歌
苫:苫小牧,苫内,苫前,厚苫

その他

  • 「〜っぷ」とつく地名:音威子府や丸瀬布...これの流れでハスカップも地名だと思っていたら違うんですね (^^;
  • えさしってのも複数ありました。江差に枝幸、そして江刺...っと、これは岩手県でしたね。

では何故「〜別」が多いのか?

当初感じたのは「川が多い?」というものだった。

単純に漢字のイメージからゆけば「別=陸が別になっているところ=川」という連想も可能だが、語感的に現代標準語で聞かれるものではないようだ。平均的歴史知識から言っても、アイヌ語をソースとしているのは想像に難くない。

だからと言って「川=ベツ」と決めつけるのは早計である。
たまたま沿岸部を走り続けただけで内陸部の状況は不明であるし、地名と川の名前が一緒であるのは一般的ですらある。付近の町の名前+川というケースだ。

更に突っ込んで考えれば、川であっても河口というニュアンスを含んでいる可能性すらある。川がアイヌ語でベツなんだと、何の資料もなく断定する事は出来ない。何しろ運転中の思考なので、判断材料に欠けるのだ。家に戻ってきてからも、時折この疑問が思い出される。

『ベツは川関連の単語では無いのだろうか?』

そこでネット上の情報を検索してみると、やはり「アイヌ語」の川がベツ(ベッ)だったからとの説明が多数見受けられた。しかし川と言っても、沢や渓谷、小川に瀬や河口。色んな顔があり名前で表される。これ以上の確認はしていないので、事の真偽やベツの指すニュアンス等は不明である。

そこで手元にある地図から、川の名前を挙げてみる

  • モオタコシベツ川
  • シュマン川
  • ソガベツ川
  • ルデンベツ川
  • ショロカンベツ川
  • メナジュマン川
  • ニオベツ川
  • メナシュンベツ川
  • ラルマナイ川
  • シュオマナイ川
  • オビラルカオマップ川
  • メップ川
  • ハカイカップ川
  • ワッカタサップ川
  • ソーケシシュオマベツ川

この選択は恣意的なものである。明らかにベツやナイで終わっていないものは挙げていないし、そもそも漢字表記は含まれていない。

だがこの名称を見ていると気付く点がある。

  • 〜ベツ
  • 〜マン
  • 〜ナイ
  • 〜ップ
  • 〜マベツ

今回の旅で気になった地名との類似性はかなり高い。マンが川ではないとすれば、マン川はマンベツになり、「もんべつ」という地名が多いことに関連するものなのか。

「ベツ=川」
単純な聞き齧った付け焼き刃の知識で納得するにはいささか不十分な情報が、手持ちの地図の上に溢れていた。

まぁ、ドライブしながら考えられる範囲(資料:北海道道路地図のみ)だし、一気に解答を出す必要もないし。これ以上はアイヌ専門書等を漁るよりないだろう。

余談だが

釧路に大楽毛(=おたのしけ)という地名がある。楽天地にも似て、いかにも楽しそうな地名だなぁと思っていたら、付近を流れる「オビラシケ川」を発見。語尾のシケが一緒だ。これも川に関係した名前なのだろうか。

最後に

ここまでアイヌ語と表現してきたが、ある程度の広範な地域にまたがる言語には必ず方言がある。極端な説明をすれば、その親戚一同でしか通じない言葉や表現もあるのだ。広大な土地にまたがる言語ならば、地方ごとに同一言語系統内での差異が生じるのは必然であると言えなくもない。

ではアイヌ語の場合はどうなのだろうか。今も研究できるほど、多くの言葉が残されているだろうか。地名に関して言えば、北海道全域に渡ってアイヌ民族は生活していたのかどうかによって、地名の語源を考える際の重要なポイントになってくる。
斯様に考えれば考える程答えは出てこない。私の無知は広がるばかりである。

ところで「モヨロ族」なる民族の名を耳にされた事はあるだろうか。
網走川の河口発見されたという、アイヌ人や現存する他の民族とは全く異なる様式の遺跡。約1000年前のものとだそうで、「いい国造ろう鎌倉幕府 1192 年」より前のものという事になる。そこで生活していた人々をモヨロ人と呼んでおり、「忽然と北海道から姿を消してしまった」のだそうだ。どこから来て、どこへ行ってしまったのか。彼等はどのような言語を使っていたのか。他にもそんな民族がいなかったのか。日本考古学上の謎なのだと言う。

考えてみれば、この話は本州でだって同様だろう。単純に縄文弥生という民族・時代の区別はできないのが実情だと思う。色んな民族・言葉があったのではないだろうか。
歴史学上の定説では、日本語が文字を持ったのは中国からの漢字輸入以降となっている。これは「漢字輸入以前の日本語の様子は不明である」という意味である。記録が無いのであるから、研究のしようもない。どこからやってきた言語なのか、歴史を辿れない。お隣の朝鮮語も日本語同様だ。中国語とは異なる語順。周囲の語圏とも異なる言語。起源を探る文字情報の存在していない。

結論:日本語も謎の言語である。

な〜んて事を時折考えつつ運転している。


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