このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


05/03

「さらば九州、大橋そして萩」

05/03


豊浦,長門と走り抜ける。
「長門といえば、40 センチ砲を主砲とする戦艦。同じく 46 センチの大和が出てくるまで連合艦隊最大の主砲を誇っていた。
小学生の頃に仕入れた知識が甦る。

伝統的に戦艦の命名としては旧國名が用いられていた。大和や武蔵も然り。有名な例外に信濃がある。実は信濃は空母なのである。
戦艦が國の名であるように、空母には空を飛ぶものとして龍や鳳,鶴が用いられていたのだが、信濃は当初戦艦大和型の三番艦として建造されたために、空母でありながら國名を持つに至ったのだ。海戦における航空戦力の必要性から空母へと変更されたのだとか。その他にも蒼龍,飛竜と共にミッドウェイ海戦に臨んだ赤城,加賀も、同様の経緯から国名を持つ空母達だった。

なぁ〜んて記憶をほじくり返しているうちに、黄昏れ手前の萩へと到着した。


[山口県萩市にて]


[山口県萩市にて]

町をあげて旧い街並を残す努力をしている。観光資源だからだ。もしここを訪れるなら、点在している史跡も合わせて見学したほうが、より楽しめると思う。町の中心に残された歴史的な街並だけだと、そんなに大規模なものではないからだ。

徐々に陽が傾き始めた街の中、黒板でできた壁の前を歩いていると、自転車で通り過ぎる女の子が、
「こんにちは〜」
庭でボール遊びをしていた男の子が、
「ち〜っす」
と挨拶をしてくれる。古い建物よりも、実はその事のほうが新鮮だった。
「ティ〜ッス」
思わず挨拶を返しながら、ふと気づく。この町は単に建物だけを残しているのではないのだと。

お土産にと萩焼を買った。

どこの神社だったろうか。上の画像をよく見ると、
「高杉伊藤両公幼年勉学之所」
とある。高杉晋作と伊藤博文の事だ。どちらも維新と明治時代の立て役者だ。

頭に浮かぶまでは全く気にならなかったものが、ひとたび不可思議に思った瞬間から、どうにも気持ちの悪くなる疑問を持った経験は誰しもがお持ちだと思う。
「薩摩と長州」
明治政府の運営が維新に貢献した薩摩と長州に偏っていることを形容する際にしばしば用いられるものだが、何故「薩摩を薩州と言わず、何故に長州だけ州をつけて呼ぶ」のだろうか?

甲斐は甲州,信濃は信州。「〜州」って、その国の別称ではないのか。ならば薩摩や長門という表現、もしくは薩州長州という言い方になりそうなものだ。いわゆる数学で言う単位が揃っていないのだ。あ〜、気持ち悪い。何で?


[山口県萩市にて]


「おぁ、これが萩のお城...んんん?」
手前右に見える車のテールランプからお分かりのように、実はこれミニチュアである (^^;

ぐるぐると脳内に渦巻く疑問を抱えつつ、再び車へと戻り萩市内を抜け出す。まぁ、考えて答えの出る問題でもない。頭を切り替えるために視線を上げると、道路脇に地ビールの看板が立っていた。

『ちょんまげビール』

わはははは。頭どころか気持ちも切り替わったとこで、今夜の宿を目指すとしよう。
「もう日没の時間かぁ。
 ほんまに今日中に米子へ着けるんか?
 (計算中・・・計算中・・・)やっば〜っ!!」
こりゃ島根県内は走り通しだなぁ。


[シリーズ夕暮れ:山口県萩市にて]

「じゃけ悠長に夕陽とってる場合じゃないって!」...宿に着いたのは 11 時でした (T.T)


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