このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


列島巡り〜 「四国へ行こう!」


[紀貫之邸はコスモスに囲まれていた]

食後のコーヒーを味わいつつ手元の地図を眺めていて、この近所に紀貫之が勤務した屋敷の跡があると記載されている事に気づいた。

奈良だか平安の頃、土佐に赴任してきた国司の一人が紀貫之だ。歌人としても高い名声を持つ貫之さんは、都へと帰る道すがら、土佐での思い出や分かれた人々の事をおもい一冊の書を残す事となる。それは「土佐日記」である。

え〜、すべて受け売りで、ワシは未だ読んだ事がないんじゃけどね (^^;

案内板によれば「延喜八年(930)1月、土佐の守に任ぜられた貫之は、当時 60 歳すぎでありましたが、都では既に王朝屈指の歌人として、その名を馳せており、三十歳代の若き日に、醍醐帝の勅令による古今和歌集の選者・序文の筆者としての栄光を担っております。
四年間の国司の任務を無事に果たして、承平4年(934)12月には、今日の都へ立ちますが、その時の船旅日記を綴ったのが、かな文字による日記文学として、後世に風〜を残した紀貫之の土佐日記であります(以下略)」とのこと。

いつか読んでみようと思い今日まで...だからな〜。


[紀貫之邸跡]


[土佐といえば竜馬さんがお出迎えじゃ]

旅路はもう少しで高知市へ。

案の定坂本竜馬さんのイラストが我々を出迎えてくれる。

今夜の宿をどうしようか。
ここで高地見物もいいなぁ、なんて思いつつ、結局ネットで検索して予約したのは、まだまだ 100km 近く先の中村。

「あれ? 高知城とか、はりまや橋は?」

自分で予約しつつ、素通りする高知市内の光景に、「ダメだなぁ、ワシ」と突っ込まずにはいられない。どうして、こう自分にも天の邪鬼なんだろう。

市内まっただなか。カラフルな路面電車が沢山走っていた。

思えば広島でも、あとどこだっけな、結構路面電車って各地に残っているような気がする。でも慣れていないだけに、この車線だか線路だかわからないところは、今走っても大丈夫なのか...と、ドキドキもん。

徐々に混雑緩和とともに、市内を離れて行く。ああ〜高知。今度はゆっくり観光したいぞぅ。


[路面電車わかる?]

[夕暮れ刻。海を眺めて暫し休憩]

ガソリンスタンドで給油し、更に先へと突き進む。目指すは中村、(地図で確認してて気づいたが)四万十川のすぐ傍の街のようだ。明日は四万十川か?

四万十川をイメージしてみる。
「・・・」

でもワシ天の邪鬼じゃけぇなぁ。
明日は明日の風が吹く。


今日のまとめ

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