このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
【対談:『自然と人類の共存の模索』】#4 男の言う通りかも知れない。あの目隠しは背中に乗った男が「自分のケツを叩いている」と 気付かせぬ為のものだったのか。勉強になる。 私は今日の対談を、少しだけ見直しつつあった。 時は過ぎ去り、終了の時刻が迫る。まとめに入ったか、男はこう切り出した。 「人類と他の生物との共存は一時の流行りではなく、文化のレベルにまで高めるべきです」 「文化というと...」 彼によると文化の根幹は「排泄と葬儀」だった筈。それとどう繋がるのか。 「世界で一番文化が進んでいるのは、どの国でしたか?」 対談のなか、世界中を旅して回った経験があると言っていたのだ。さてどの国を挙げるか。 「日本です」 迷うことなき答えに、再び問い掛けてしまう。「何故?」 「博士は "みたらし団子" って漢字でなんと書くか御存じですか?」 「え〜っと、たしか」 「御手洗団子ですよ。御手洗なんです。食べるものにまでその名をつける日本人は、世界で 最も文化の進んだ国なんです」 そんな文化いらない。混乱する私の頭脳を、更に飛躍した男の論理が襲う。 「ただその日本にも気になることがあります。性欲、食欲ときて排泄欲という概念が無い点 ですね」 誰もこの男を止められないのか。日本どころか、どこの世界にそんなものがあると言うのだ。 「これだけ文化の進んでいても、排泄欲の概念が欠けているのが、とても残念です」 「すまない。排泄欲というのは寡聞にして、初めて聞いた言葉なんだが・・・」 「いいですか、食欲との違いは食べ物が入ってくるか出てゆくかの違いだけですよ。排泄し たくないなんて人はいないんです。もしも排泄したくない人がいたら、それは病気です。 TV−CMを御覧なさい。あれほど便秘薬のCMをやっているじゃありませんか。 薬の需要があるということは、悩みを持っている人達がいるということ。すなわち、 "皆出したがっている" んです! これが排泄欲でなくて何でしょう」 少なくとも私にはこの男を止められない。なぜなら、少しだけ納得してしまったからだ。 合点の行かぬのは1つだけ。御手洗団子の御手洗ってお寺の境内なんかにある「手を洗う場所」 だと思うのだ。別におトイレ団子ってつけたわけじゃぁない、そう思うんだ。やっぱ。 [ 続く ] |
Home へ戻る
ついでに感想なんぞを送ってみるもヨシッ!!
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |