常陸青柳以降、線路はしばらく北へ北へとほぼ直進。風景は青柳のあたりからずっと一面田園地帯で、田植え前の時期とかいい写真撮れそうですの〜。国道を進んじゃうと常陸津田も後台も見落としちゃう可能性大だけど、でもまぁそこはやはり国鉄の駅。案内看板はちゃんとあったように記憶してます。 後台の駅もかなりさびれた、小さい小さい無人駅。当時のダイヤでは、主に大子・郡山方面へ行く列車は水戸を出ると常陸青柳、下菅谷のみ停まって上菅谷へ向かい、太田行きの列車が上菅谷までの各駅を受け持つパターンになってたのね(今は全列車停車が基本だす)。ちなみに'76年の時刻表を繰ってみると、常陸津田、後台、中菅谷に停車する列車は1日下り12本(通過は12本...急行除く)、上り10本(通過13本...同じく急行除く)だから、上下で通過する方が多いわけだ。 当時はマイカーがどこの家庭にも1台あるってほどは普及してなかったと思うけど、それでもそういう時期に入りつつあったし、まして農家ならまずクルマあったと思っていいんで、駅もさびれるし、ますます通過列車が増える悪循環になっちゃうわけだよねぃ...。 |