このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

Walrusの鉄道写真とエッセイ
水郡線をチャリで追う(10)...国鉄水郡線(1)
2001/10/26更新(前回10/20)___通算No.064(1976撮影)
常陸太田は、戦国時代、北関東の覇者だった佐竹さんのお膝元として栄えた歴史ある街。江戸時代以降は中心都市の座を水戸に取って変わられたけど、地図を見ると今でも地名、学校名などに佐竹の名が残っています。佐竹さんは関ヶ原の合戦で徳川に破れるまで、その所領は55万石という大々名だったわけで、往時の勢いはすごいものがあったのでしょう。よく言われんのが、佐竹さんが秋田へ転封になった時、常陸の国に住むすべての美人をみんな連れてっちゃったという伝説...これを肯定するか否定するかは、勇気しだいっすねぃ(爆)。

水郡線沿線で、水戸と郡山を除けば、市制が敷かれてるのは(枝線上とは言え)この常陸太田だけ。近年は常磐高速で容易に街へ入ることが出来るようになってるけど、当時は水郡線を使って水戸、或いは東京へ出るのがメイン中のメインルートだったわけです。駅前には2本の国道も交わってるけどね。
だから盲腸線とは言え、さすがに沿線唯一の「市」の玄関として、堂々たる駅舎が建つのは当然でおます。どうです? とっても重厚な雰囲気漂う、立派なものでしょ?

常陸太田駅全景
常陸太田駅全景

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください