ワシが生まれ育ったの、茨城県は水戸。大変よく泣く赤ん坊だったらしい。その頃はおばさんも一緒に住んでたんで、母や彼女が可愛い可愛いワシを常磐線の線路脇まで連れてってくれまして、そのキッカケは未だに不明なものの、とにかく列車見せてれば機嫌が良かったそうでおます。とは言え、すぐそばに線路があるわけじゃなく、距離で言えば当時茨城交通赤塚線ってのがもっと近くを走っちょったんですよね。ンだけどこちらはめったに列車が来ないんで(笑) そんなこんなで、言葉も喋れんうちから鉄ちゃんぶりを発揮しまくってたことは間違いない、と。長じて小5の時、ようやく親父から許可をもらい、使わなくなった方のカメラを借りることが許される。どこのメーカ製だったか忘れたけど、レンズんとこがジャバラんなってましたっけ。フィルムも35mmでわありませなんだ(ちなみに中学時代、分解してみたら元に戻せなくなってしもた...爆)。その翌年、キャノンのカメラを買ってもらう。ンで元々時刻表を見てるのも大好きだったんで、以降しばらく撮影行脚と時刻表の空想旅行にどっぷりだったけど、まだ当時は現像プリント代が高くてねぃ、比重的には時刻表読書のが多かったっす。専門雑誌を熟読することもしなかったから、車両形式は未だにあんまり興味ナシのままで現在に至る、と(^^; |