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北海道旅行記・2005年9月29日〜30日


本日の行程
京都→(急行きたぐに・車中泊)→新潟→(快速きらきらうえつ)→酒田→(特急いなほ)→青森→(急行はまなす・車中泊)→ 2日目

1.京都→新潟

29日午後11時25分頃に京都駅前到着。京都タワーに「行ってきます」と軽く一礼してから駅へ入る。キオスクで酒を買い、わざと自動改札ではなく、駅員さんに切符を見せ、はんこをおしてもらう。

北陸方面へ向かう優等列車が発着する0番ホームは、列車の時間まで30分ほどあるためか、誰もきたぐにを待っていない。多くの通勤客が0番ホームの奥にある嵯峨野山陰線へ向かうのと対照的である。日常と非日常のコントラストを感じながら列車を待った。新潟行き急行きたぐには定時の午前0時1分に入線し、翌0時2分に発車した。列車は10両編成で、寝台は5両だけで、あとはグリーン車(1両)とボックスシートの自由席。禁煙自由席の2号車で、今回共に旅をするHisakazuと合流。

すでに午前0時を過ぎており、車内は静かだったために話はほとんどせず、発泡酒を飲みながら夜の景色を眺める。車内検札で車掌さんに切符を見せると「お気をつけて」と言われた。「京都市内→中小国」という周遊きっぷのゆき券を見れば、私の旅が長旅になるのは一目瞭然。だから車掌さんはこのように声を掛けてくれたのだろう。たいしたことではないが、嬉しかった。米原を出て、長浜のデッドセクションのあたりはもう夢うつつとなっていた。

途中、金沢と富山で目が覚めた。富山の手前で車内が騒がしくなった。こんな夜中に喋るなよと思っていたら、喋っていた人たちは富山で降りた。関西と北陸は雷鳥・サンダーバードが1日25往復運転されているが、急行きたぐには北陸への終電の意味があるようだ。その次に目が覚めたのは新潟の親不知子不知。平地がない場所なので、海の上を高速道路が通っている。その高速道路が通っているのは白い日本海。青海駅の付近に化学工場があり、青海駅には多くの引き込み線があった。

青海駅を通過した後、列車は静かに糸魚川駅に入る。糸魚川の次の直江津まで車内放送が入らないためだ。糸魚川駅には綺麗な赤レンガの車庫があり、築90年にもかかわらず亀裂一つないとか。北陸新幹線建設に伴い解体が予定されているが、保存運動が起こっているらしい。糸魚川から分岐している大糸線のキハ52が止まっていたが、タラコ色に塗り直されたものが止まっていた。

糸魚川を過ぎると直流電化に戻る。直流区間の方が車内の音が静かになる。直江津で30分近く停車するので、改札外にあるコンビニでパンとコーヒーを買った。早朝のすがすがしい雰囲気が、夜行列車で朝を迎えたことを感じさせる。直江津発車後、柏崎あたりで再び就寝。目が覚めたのは新津の手前。列車が快速となる新津以降は、車内は大半の通勤・通学客の間に一部の場違いな貧乏旅行客が混ざるという異様な雰囲気となり、夜汽車で遠くまでやってきたという情緒が一気に吹っ飛ぶ。そして列車は定時の8時半に新潟駅到着。

2.新潟→酒田

新潟駅に到着後、万代口から外に出た。そして駅前のなか卯で朝食。朝食後は駅の東側自由通路を通って反対側へ行き、ワシントンホテルのトイレでコンタクトを入れて歯磨き・洗顔。高級ホテルのロビーのフロアにあるトイレはきれいなので、夜行列車を使った時には役に立つ。宿泊客から怪訝な目で見られても気にしない。それからセブンイレブンへ行った。地酒・朝日山のワンカップがおいてあったが買わず。郵便局で金を下ろして駅へ戻った。

駅へ戻るとすでに6番線に快速きらきらうえつが入線していた。快速きらきらうえつは485系を改造した専用車で走る。列車の外観や運転席の写真を撮って、座席につく。発車直後に車掌さんから案内放送があり、検札に来たが、新潟弁を無理矢理抑えているようなしゃべり方。検札に来た時の話のネタも面白くなかったが、これも田舎の列車ならではの雰囲気を醸し出す。検札後、車内売店へ行き、「日本酒三種飲み比べ」というものを注文した。飲んだ酒は越乃寒梅・出羽の雪(純米)・大山(特別純米)の三種類。越乃寒梅が一番うまかった。日本酒を飲んでけっこう酔ったので、その勢いでエチゴビールという地ビールを飲んだ。これは日本初の地ビールらしく、チェコのアロマホップを使っているとのこと。たしかに普通のビールとは違う味がした。

快適な列車で旨い酒を飲み、まだ北海道まで何百キロも離れているのにすでにいい気分。新潟から酒田まで2時間半ほどの道のりだったが、すぐに着いた。酒田では風呂に入ろうと思い、酒田駅の観光案内所で温泉がないか聞いたら、案内所の態度が悪くて興ざめ。駅から少し離れたところにあるかんぽの郷酒田というところへタクシーで行った。平日の昼間なので温泉はすいていた。温泉はごく普通の内容だったが、「箱蒸し」という、顔だけ出すサウナのようなものがあった。

風呂から上がって、ロビーへ行くと外にバスが止まっている。酒田駅行きと書いてあるので急いで乗ろうとしたら、このバスは酒田市内をぐるぐる回ってから酒田駅に行くので、30分後のバスがいいと言われた。これだけの内容だが、運転手さんの方言がきつくて、なかなか聞き取れなかった…。というわけでロビー時間をつぶし、3時発のバスで酒田駅へ。バスの車内ではずっと寝ていた。

3.酒田→青森→(函館)

酒田駅に着いてから、食事をするところを探して30分ぐらい歩いたが見つからず。どうやら町の中心でないところばかりを歩き回っていたようだ。結局駅前の立ち食いそばの店でうどんを食べたが、うまかった。それからは駅の待合室で寝たりして時間をつぶす。

午後5時半ごろに青森行きの特急券を買い、40分に改札が始まるという放送が入ったのでホームに入った。定時の午後6時ちょうどに青森行き特急いなほ7号が入線してきた。いなほの車内はすいていたので、椅子を反転させてボックスシート風にしてみる。Hisakazuと延々話をして過ごしたが、秋田を過ぎたあたりから寝て、鷹ノ巣あたりで目が覚めた。弘前を出た後、車内を少し探検。自由席車内はすいているとはいえある程度は乗っている。しかし指定席はほぼ空車だった。Hisakazuも寝ており、聞こえるのは規則正しい線路の音と時々鳴る警笛の音。かつて夜行の青函連絡船と接続していた列車もこのような雰囲気なのかと、真っ暗な外を眺めながら考えていた。

青森には定時の午後10時2分に到着。かつての青函連絡船への連絡階段はリフレッシュ工事か何かをしており、取り壊されていなかった。去年から工事が始まっており、様々な人がそれぞれの思いで渡った連絡船への通路がなくなっていなくてほっとした。連絡船の階段と反対側にある階段を渡ってホームに下りると、ちょうど急行はまなすが入線してきた。

自分たちの取っているカーペット車の席に大きな荷物をおき、買い物。酒は津軽の清酒じょっぱり。急行はまなすは7連での運行だが、本日は高速軌道試験車マヤ34が機関車と客車の間に連結されていた。これは走行しながら軌道の狂いなどを測定する車両。窓がついているので車内の写真を撮影したりした。

列車は定刻午後10時45分に発車。車内は、禁煙の自由席は混んでいたが喫煙の自由席はすいていた。指定席もそこそこ席が埋まっているが満席ではない模様。カーペット車はほとんど全部埋まっていた。青森を出ると同時に、指定席車の端にあるミニラウンジで酒盛り。列車は蟹田駅で運転停車したが、順調に進み、午後11時34分頃に青函トンネルに入った。午後11時43分頃に竜飛海底通過、0時1分頃に吉岡海底通過。竜飛海底を過ぎたあたりで酒もつまみもなくなったので撤収。歯を磨いて床についた。青函トンネルを出る前後あたりで寝てしまった。

北海道旅行はまだ始まってすらいない。

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