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北海道旅行記・2004年9月24〜25日


9〜10日目の行程
8日目函館→(特急白鳥18号)→竜飛海底→(特急スーパー白鳥24号)→青森→(寝台特急日本海2号)→京都

1.函館→竜飛海底

9時過ぎにホテルを出た。小雨が降っている。朝市を見て回り、色々と購入。2店舗で買い、2店舗目で両方の商品をクール宅急便で送ってもらった。そして市場内の店でいくらと鮭の「親子丼」を食べた。

10時過ぎに函館駅へ行ったら乗る列車に改札中のランプがついていたので入った。乗るのは八戸行きの特急白鳥18号。列車は485系。いわゆる普通の「特急型電車」だが、外見も室内も大幅に改造されており、一見新しい電車に見える。定刻の10時40分に函館駅出発。函館駅構内にJNR(日本国有鉄道)マークつきのボンネット型キハ183系が留置してあった。その他にも五稜郭駅付近にはキハ56形急行列車(3年前に廃止)が留置してあった。

津軽海峡を見ながら北海道最後の景色を楽む。江差線との分岐駅である木古内の手前で停車した。先行の普通列車がトタンに挟まれて急停車したためらしい。15分ほど停車して、再び動き出した。木古内までは昔からの路線である江差線を走るのであまり速くないが、木古内からは青函トンネル開業時にできた線路を走るのでスピードが上がった。木古内を出ると青函トンネルに入るのは11時44分頃だという放送が入り、その後車掌が青函トンネルの説明をしていたが音量が小さくて聞こえなかった。

予告どおりの時間に青函トンネル突入。さらば北海道。ここから吉岡海底駅までは下り坂なので時速140キロを出すらしい。しかしよく考えてみれば新快速プラス10キロなんだな…。吉岡海底駅は11時51分通過、そして12時過ぎに竜飛海底駅に着いた。この駅では2号車のドアしか開かないので、駅に着く前にきちんと2号車のドア付近で待っておかねばならない。

2.トンネル見学・青函トンネル記念館

列車から降り、奥の作業坑へ入った。ここで荷物をロッカーへ入れ、ゆっくり歩きながら係員の人の話をきいた。ロッカーに荷物を入れている間、けたたましい警報音が鳴っていたが、これは駅から2キロ以内に列車がいたら鳴るらしく、列車が竜飛海底駅から2キロ以上離れた時点で止まった。

トンネル内はやはりじめっとしており、横の溝を水が流れている。しばらく歩いてトンネルのジオラマが展示してあるところへ着いた。緊急時には避難所となるようで、緊急用トイレもあった。オレンジカードの販売所もあった。この先に大きな扉が2つ続けてある。トンネル内で火事が起こった場合はこれを両方あけると風速20メートルの風がトンネル内に吹き付けるらしい。だから片方を閉めてからもう片方を開ける。この扉の少し先に斜坑ケーブルがあり、それに乗った。トンネルは列車の通っている本坑、我々が歩いてきた作業坑、現在は排水と喚起のために使っている先進導坑がある。また、竜飛海底駅と吉岡海底駅の付近に地上に出られる斜坑があり、そこをケーブルカーが通っている。

10分弱でケーブルカーは地上に到着。地上には青函トンネル記念館がある。ここで一旦解散して自由行動。しかしここから竜飛岬の近くまで係員の人が案内してくれた。そこで解散。某演歌が延々流れている岬の石碑には目もくれず、その奥にある階段国道へ行った。ここには全国で唯一の階段状の国道がある。写真がこれ。まあGoogle検索すれば相当たくさん出てくるが…。竜飛岬の石碑があるのは階段の上で、そこから362段を一気に駆け下り、写真を撮ってまた駆け上がった。ここは相当数の観光客が訪れているらしい。階段国道は一度行ってみたかったので、思いがけず念願の場所を訪れることができた。

時間があまりないのでまた急いで青函トンネル記念館まで戻り、館内を見学。青函トンネル建設の苦労はプロジェクトXでも伝えられたので広く知られているが、何度も事故を繰り返し、その教訓が立派なトンネル作りに役立ったようだ。あと我が国では昔からトンネル内での火災が多く発生し、多数の死者を生んできたのでその対策も青函トンネルでは講じられている。当初の計画では下北半島回りの青函トンネルも考えていららしい。

上にいたのは1時間ほどで、また下へ降りていった。竜飛海底駅から青函トンネル記念館を見学するコースは11月までで、その間使われるケーブルカーと、冬季に係員が使うケーブルカーは別物のようだ。このケーブルカーは竜飛海底駅のコースだけでなく、直接青函トンネル記念館を訪れても乗ることができる。

ケーブルカーを降りてから資料室(実際にトンネルを掘るのに使った道具が展示されていた)を通って駅へ戻った。竜飛海底駅の様子はこんな感じ。線路を見ると、新幹線の線路を固定する穴が用意されている。ここを新幹線が通るのはいつのことになるやら…。

3.竜飛海底→青森

竜飛海底駅14時51分発の特急スーパー白鳥24号に乗って青森へ向かった。こちらは東北新幹線八戸延伸開業時に投入された新鋭789系。特急白鳥は大阪−青森と福井−青森の1日2往復という時代もあったが、私が物心ついてからは1往復で単に「特急白鳥号」という表記だったので、白鳥○号という言い方は未だに違和感を覚えるし、ましてやスーパー白鳥などありえないといった感じを持つ。それ以前に特急白鳥が北海道へ行くというのが変な感じ。小さい頃に図鑑で見た、昼間に(大阪から)青森まで行く特急というのはすごく特別な感じを受けた。中学の頃は、この特別な白鳥号に乗って北海道に行ってやろうと思っていたのに、その夢はかなわなかった。

なお、北海道新幹線建設の際には竜飛海底駅・吉岡海底駅が資材置き場として使われ、海底駅見学はなくなる恐れがあるらしい。ぜひとも続けてほしいものだ。新幹線事業といえば無駄な公共事業として挙げられることが多いが、八戸まで延びた東北新幹線も今年中途半端な状態で開業した九州新幹線も乗客数は予想より多く、九州新幹線は開業から4ヶ月弱で利用客が100万人を突破した。これは当初予想より1ヶ月以上早い。様々な公共事業において、甘い利用者見込みをしている中、新幹線はこれほどの利用者数を誇っている。ぜひとも早く建設してほしいものだ。東北新幹線の盛岡−八戸間も開業直後の利用者数を未だに維持している。

定時の15時44分に青森駅到着。駅のアナウンスや発車メロディーがJR東日本独特のもので、本州に帰ってきたんだなあという気になる。よく東京に行く私としてはJR東=東京だからなあ…。青森駅はかつては青函連絡船への乗換駅だったので、行き止まり式の駅となっている。車止めと反対側にしか改札がないのだが、かつては行き止まり側に青函連絡船の乗船口へとつながる出入り口があった。その連絡階段は現在取り壊し工事中だった。多くの人が様々な思いを抱いて昇り降りした階段がなくなり、青函連絡船の名残がまた1つ消えていく。

青森駅の改札で寝台特急日本海の車内販売について聞いたら、何もないだろうと言われたので、駅前の朝市に行った。そこで色々見て回り、数の子の漬け物を買った。あと日本酒をいくら買おうか迷い、結局300mlのびんと200mlのびんを買った。あとはほたて釜飯を購入。

4.青森→京都

16時15分頃に特急日本海の改札が始まったので改札に入り、日本海の入線を待った。他客時には客車12連になるのだが、今日は7号車から10号車はつながれていなかった。6号車は秋田までは座席車であるが、その他は青森から寝台車。夜行列車は今回の旅行で4回目だが、「寝台車」に乗るのは今回が初めて。今回乗った開放型のB寝台は寝台列車の主流で、現在でもほとんどの寝台特急や夜行特急につながれている。これまた小さい頃から図鑑で見てきたのですごくうれしい気持ちになれた。だが、このような開放型寝台車は今の時代には合っていないのは明らかである。寝台特急が復権するには全車個室を基本としたサンライズ瀬戸・出雲のような列車にしないといけないだろうな…。あと、開放型寝台の寝台料金が6300円というのは高いと思う。

その代わり寝台料金を払っているだけあって、シーツや枕、浴衣がついている。シーツは自分で敷かないといけないが。寝台の幅は70cmで狭いが、座席としてみたらかなり広い。寝台料金は占有できる面積の分かもしれない。

定刻の16時46分に青森駅発車。私の乗った5号車は3人しか乗っていなかった。夕方からこうやって寝台列車なんかに乗ると酒を飲むしかすることがなく、すぐになくなってしまった。よって秋田駅の数分の停車駅を利用して追加の酒を購入。酒田を過ぎたあたりでベッドの上のライトが消え、明日朝の京都到着30分前まで放送が入らないという連絡があり、廊下の電気も暗くなった。鶴岡で私の寝台の向かい側の人が乗ってきた。私の車両はこれで下段の寝台がほぼ埋まっていたが、上段は空いていた。

横の人がやって来てからカーテンを閉め、浴衣に着替えた。このようなことができるのが急行料金しか払っていないはまなすカーペットカーとの違い。カーテンを閉めると意外とプライバシーを保てる。あつみ温泉駅到着時に外を眺めたが、行きの時におこなっていた塗装工事が終了していた。ここらで就寝。

途中、富山で目が覚めた。久しぶりにJR西日本の駅名標を見た。次に目が覚めたのは6時前。起きた直後に「あと30分で京都に到着します」との案内放送が入った。コンタクトを入れたり歯を磨いたりする。窓を開けたら琵琶湖が見えた。いよいよ京都が近づいてきたんだなと思った。 東山トンネルを抜けると京都タワーと鴨川が見え、そして定時に京都到着。けっこう降りる人がいた。長い旅が終わった。

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