このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

郡上八幡女二人きまま旅

JRが発行している「青春18きっぷ」をご存じですか?
春・夏・冬休み限定の当日利用のみの格安旅行券です。
5枚つづりで11.500円。
一人5回旅行するのもよし、5人一緒に一日旅するもよし、
途中下車も自由です。
しかし、良いことばかりではありません。
利用できる電車は新快速までで、急行はダメ。
でも、各駅停車にゆられて、見知らぬ町でブラ〜と過ごすのは
最高の贅沢です。
今回は友人と二人で郡上八幡を訪ねました。

8月23日(土)快晴

行程
JR王寺発7:12→大阪→米原→岐阜→美濃太田着
長良川鉄道に乗り換えて美濃太田発11:13→郡上八幡着12:30


岐阜県郡上八幡町は四方を山に囲まれた緑豊かな町です。
今は「郡上踊り」の真っ最中で、駅の提灯が観光客をあたたかく迎えてくれます。
私たちは残念ながら日帰り旅行なので、踊りの輪には加われませんが…。
町の真ん中を吉田川と小駄良川が流れ、長良川に合流しています。
町なかを流れる吉田川の水は碧く透き通り、鮎つりをする人、川遊びをする子どもたちがたくさんいました。

私の町の竜田川や大和川と、ずいぶん違います。
写真では分かりにくいのですが、突き出た岩から女の子が三人、吉田川に飛び込んでいます。
奥の新橋からは男の子が勇敢ににジャンプしていました。高さは12mあるそうです。

郡上八幡の子どもたちは、ここでたくましく成長していくのでしょう。
私たちの子どもには、こんなすばらしい環境を与えてやれなかったことが大変悔やまれます。
駅から八幡城に向かう通りには、昔の造りの商店が沢山残っていました。
道の両側には幅の広い用水路があり、きれいな水が流れていて軒下に引いた囲いの中には大きな鯉が泳いでいました。
お店のおかみさんが用水路の蓋を開け、ひしゃくで水をすくい、道路に打ち水をしていましたが、とてもなつかしい風景でした。
郡上八幡城は戦国時代末期の永禄2年(1559)遠藤盛数が砦を築き、稲葉貞道、遠藤慶隆の興亡を経て大普請され、寛文7年(1667)六代城主遠藤常友の修復によって幕府から城郭として認められるに至りました。

明治4年(1871)の廃藩置県とともに廃城となった城は、石垣を残してすべて取り壊されました。
現代の城は昭和8年(1933)再建されました。
町の中央をつらぬく吉田川の清流や、背後にそびえるカルスト台地の鍾乳洞から湧き出る豊富な地下水は、城下町に張りめぐらされた用水路を流れて町並みを潤し生活用水として今も人々の暮らしと水とを繋いでいます。

写真は路地を流れる「いがわこみち」の共同井戸。
壁には使用者登録の木札が並んでいて、昔ながらの生活が続いていることを感じさせてくれました。
いがわこみちの鯉たち。

水は清く、水量はたっぷり、ここの魚たちは幸せですね。

数箇所に、ゴミや落ち葉をすくい取れるように金網のフェンスが貼ってあり、路地に住む人たちのご苦労が偲ばれました。
私たち観光客も、水を汚さないように、しっかり心がけなければ。
やなか水のこみち。

郡上八幡の上水道は犬啼谷の湧水を水源にしておりいわば、天然のミネラルウォーターが町中で飲めるというわけです。

散策に疲れたときは、ここでホッと一息。
郡上踊りは7月上旬から9月上旬まで町内の氏神様の縁日ごとに 31夜にわたって続くそうです。

宝暦8年(1758)の郡上一揆などにより荒れ果てた郡上の地を復興する一策として、城主が以前から行われていた盆踊りを積極的に取り入れました。
どんな身分の人でも一緒になって楽しめるようにして士農工商の融和を図り、自由で開かれた郡上踊りとなったそうです。

「水とおどりの城下町」を誇りとし、守り育てる人々の心意気を感じた奥飛騨の旅でした。

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