このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
沖縄の鉄道 | ||||||||
日本に鉄道がないのは沖縄県だけだ。しかしモノレールが平成15年に那覇空港・首里間に開通が予定されている。天久のおもろまち経由で駅が15駅も設置されるので、いずれは乗ってみたいものだ。 さて、戦前、沖縄には客を乗せる鉄道が県営鉄道3本と馬車軌道2本、それに電車軌道が1本あったのだ。 馬車軌道は時代遅れになり衰退し、電車はバスの出現で客を奪われていく。県営鉄道は営業成績が良く、陸上の貨客輸送の要だったが、戦災で消滅し、けっして復活することはなかった。 県営鉄道は、狭軌の軽便鉄道で「ケイビン」という愛称で親しまれ、1日10往復程度運転され、活況を呈していたという。その3本の線は①与那原線(那覇・与那原間9.4キロ)、②嘉手納線(古波蔵・嘉手納間22.4キロ)、③糸満線(國場・糸満間15.0キロ)であった。 ちなみに嘉手納線の那覇・嘉手納間を1時間15分で走っていたので平均時速は20キロメートル弱になる。 沖縄県営鉄道を唄った「軽便鉄道節」というのがあった。 軽便(けいびん)汽車乗(ぬ)てぃ まーかいが 那覇(なーふわ)の市(まち)ぐわぬ 樽皮屋(たるがーやー) 買(こー)てぃ戻(むど)やい 砂糖代(さーたーでー) だてーん儲(もう)きてぃ 家(やー)ふちゅん シタイ! あひ小(ぐわー) ちばりよー 鳴(な)ゆる汽笛(きてき)ん アフィー! アフィー! 蒸気機関車がサトウキビ畑の間を走っていたのだ。三十の駅、百十八台の車両、三百人余の従業員がいたのだ。 最近、交通渋滞の緩和のため、モノレール以外の鉄軌道建設が望まれている。沖縄列車の旅ものんびりできて面白いと思う。 参考資料:「失われた鉄道を求めて」:宮脇俊三、文春文庫 | ||||||||
Copyright ryukyunesia 2001 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |