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★★都営地下鉄の変遷と今昔★★
<1号線(浅草線)>
○京急 1号線(浅草線)系統は京急側でしか撮ったことないです。
これらの写真は昭和54〜55年に撮りましたが、この頃は羽田空港には乗り入れしてなくて、浅草線は昼間のダイヤパターンだと列車間隔は5分で1本は京急車の
特急三崎口(三浦海岸)直通、1本は都営車の急行川崎行き、1本は京成車の西馬込行き、1本は都営車の西馬込行きの、20分サイクルでした。
現在と比べるとシンプルですし、パターンで車両も決まっていたから、今の入り組んだ運用とはワケが違ってます。北総(開発)鉄道はなかったので、今と比べる
と車両形式も少ないです。編成も6両がほとんどで8両は平日朝に京急車が少しあっただけでした。
この頃は京急川崎まで古い車両が来ていました。確か朝だけと思いましたが420形や500形などの急行です。逗子海岸発で品川には乗り入れしてなかったです。
420形は大東急時代の名残りといえる車両です。車体が東急旧型車に似ています。運用番号が13D、15Dとなっているので今の新逗子発エアポート急行と同じですね。
上5枚 京急川崎にて
六郷土手にて(ケツ撃ち)
600形・快特 神奈川新町にて
800形は登場したばかりでした
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