藤井厚二 略歴
藤井 厚二(ふじい・こうじ)
●京都帝国大学教授。近代住宅確立のために、自邸を実験的にいくつか建てた。
【武田五一との関係】
竹中工務店にいた藤井を、武田が京都帝国大学に呼び寄せた。竹中時代に、武田が顧問となった朝日新聞社などを担当していた。武田とは同郷(福山)というところ共通点もあった。
明治21 | 1888 | 12月 | 8日 | 福山に生まれる |
大正2 | 1913 | 7月 | | 東京帝国大学工学部建築学科卒業、竹中工務店に入社 |
大正8 | 1919 | | | 竹中工務店を退社 |
大正8 | 1919 | 11月 | | 欧米諸国巡遊 |
大正9 | 1920 | 8月 | | 欧米から帰国 |
大正9 | 1920 | 12月 | | 京都帝国大学工学部講師嘱託 |
大正10 | 1921 | 5月 | | 京都帝国大学助教授 |
大正15 | 1926 | 4月 | | 工学博士 |
大正15 | 1926 | 5月 | | 京都帝国大学教授 |
昭和13 | 1938 | 7月 | 17日 | 逝去・51才 |
学位
●工学博士
主な建築作品
●朝日新聞社(大阪・竹中工務店当時)
● 賀屋邸(京都・RC) ● 齋藤邸(京都)
● 森田邸(京都) ● 濱部邸(京都・RC) ● 戸田邸(京都) ● 久保邸(京都)
● 太田邸(京都) ● 三戸邸(京都)
● 奥村邸(京都) ● 喜田邸(京都)
● 杉本邸(京都) ● 大澤邸(京都・RC)
● 山田邸(京都・RC) ● 濱口邸(京都・RC)
● 本庄邸(京都) ● 清野邸(京都・RC)
● 貴志邸(京都) ● 高木邸(京都)
● 田中邸(京都) ● 汐見邸(京都)
● 小松邸(京都) ● 小川邸(京都)
● 岩本邸(京都) ● 堀野邸(京都)
● 八木邸(京都) ● 中田邸(京都)
● 清野邸(京都) ● 山中邸(芦屋)
● 有馬文化村(有馬) ● 永井邸(大阪府山田村)
● 八木邸(香里) ● 喜多邸(香里)
● 島津邸(廣島) ● 大覚寺心経殿
● 藤井厚二墓標
著作
●聴竹居図案集
参考文献
○「故正員 藤井厚二博士を弔う」『建築雑誌』1266(1938.11)
など
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