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【設 楽 貞 雄 】 設楽貞雄は、元は二本松藩(今の福島県の一部)の代官の家の出身。 父を戊辰戦争で失い、郷里で代用教員をして資金を貯めて、工手学校(今の工学院大 学)の第1期生となる。 卒業後、日本土木や宮内省の仕事(京都帝室博物館の現場監理)を経て、大阪の桑原 政事務所にいた山口半六の部下となり、後に山口が独立するとそれに従い山口事務所の 支配人として活躍。 山陽鉄道会社に移って、沿線の施設建設に携わったあと、明治40年に神戸で「神戸 建築工務所」を設立。独立自営の建築家として出発。 尚、貞雄の養嗣子・貞三は、京都帝大建築学科第一期生で、武田五一の教え子である。 ___関与作品___ 【東京時代】 ・華族女学校 ・東京郵便電信局 等 監督 【京都(宮内省)時代】 ・帝国京都博物館 等 監督 【桑原政工業事務所(大阪)時代】(明治29年〜) 【山口半六事務所支配人時代】 ・百三十銀行 ・日本貯金銀行 ・日本火災保険会社 ・毛斯綸紡織会社 ・日本精糖会社 ・浪速銀行堺支店 等 設計監督 【山陽鉄道会社 建物掛長時代】(明治33年〜) ・釜山連絡待合所 ・下関山陽ホテル ・下関鉄道旅館 ・下関工場 ・鷹取工場 ・姫路停車場 他、全線の一切の建築物を主宰 (明治40年、山陽鉄道国有化) 【神戸(後に設楽)建築工務所所長時代】(明治40年〜) ・鳴尾速歩競馬倶楽部 ・日本毛織株式会社本店 ○日本毛織加古川工場 ○日本毛織印南工場 ○日本毛織加古川社宅 ・鐘淵紡績高砂工場 ・網干セルロイド人造絹糸株式会社 ○ダイセル化学姫路工場・外国人技師住宅 ・大阪堂島米穀取引所 ・近松座 ・新世界(通天閣、ルナパーク、劇場街など) ・聚楽館(新開地) ・乃木神社 ・有沢眼科医院(大阪北浜) ・兵庫県立農工銀行(T5 武田五一設計、神戸栄町通) ・内田汽船ビル(T6 神戸居留地) ・江商ビルディング(T13 武田五一顧問) ○長瀬産業ビル長瀬産業ビル(S3、大阪新町) ・岡崎邸(大正7年、東須磨) ・自邸(大正10年頃、須磨上天神) ・沢野邸(大正13年、須磨離宮道) ・旧内田邸須磨御殿 ○旧西尾邸(須磨)(大正9年、須磨、離宮西) ○旧武田邸(塩屋) など 多数 _________○印現存 (文章・中尾/HAZEL)
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