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2003年10月12日、横浜中華街へ行きました。

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生まれて初めて横浜中華街に行ってきた。ここのところ、三国志がマイブームだったりするので。
もともと横浜自体に滅多に行かないくらいなのでね、京浜東北線に延々乗り続けてよくわからない石川町ですよ。
駅周辺地図とか全然調べないできてしまったけど、駅前にいきなり門があって、わかりやすかった。っていうか、人の流れがほとんど、中華街へ向かっているのでね。



善隣門石川町から、延平門(西門)をくぐって、西門通りを歩いていくと、この善隣門。延平門は撮影する人少なかったけど、ここでは撮影者が多かった。ここがメインって感じなんだろうか。



善隣門善隣門を裏から。




関帝廟善隣門から続く中華街大通りを進み、中山路へ入っていくと、関帝廟に到着。
三国志で有名な関羽雲長が商売の神様となって祭られている。関聖帝君と呼ばれている。
僕は横山光輝のマンガの三国志しか読んだこと無いが、関羽は好きな登場人物の一人。ゲームでも好んで使う。知力高いし、武力も高いし(笑)



関帝廟この間帝廟は、なんと4代目。
関東大震災、太平洋戦争の大空襲、不審火と大変な目に遭いつつも、こうして中華街の人々のよりどころとして復活を遂げているあたりはすごいなぁと思う。



関帝廟中に入って、関聖帝君。
向かって右が、義理の息子の関平で、向かって左が関羽の腹心の周蒼。
給料が上がるようにお願いした。果たして!?



関帝廟横浜間帝廟の由来が書いてある。

初代関帝廟は横浜在住の華僑の心のよりどころとして、一八七三年(明治六年)先僑の発願に依り、建立されたものです。それが、一九二三年(大正十二年)の関東大震災で倒壊し、再建された第二代も、一九四五年(昭和二十年)に戦災で、又第三代は、一九八六年(昭和六十一年)に、不審火で共に焼失されました。現関帝廟は第四代で一九九〇年(平成二年)八月十四日に落慶したものです。主神の関聖帝君は三国志で有名な武将関羽です。関羽没後、歴代の朝廷がその精忠守義に感動し、関聖帝君の諡を授け護国の神として祭られたものです。

あとは、参拝の方法などなど。



景徳鎮昼飯。
四川料理の 景徳鎮 というお店へ。
3000円のコース+麻婆豆腐を頼んでみた。
  1. 怪味鶏   蒸し鶏、四川風辛子ソース掛け
  2. 金醤牛肉  牛肉細切り味噌炒め
  3. 白果鶏丁  鶏肉と銀杏炒め
  4. 乾焼蝦仁  芝海老のチリソース煮
  5. 搾菜肉絲湯 ザーサイと肉のスープ
  6. 生菜炒飯  レタス入り、チャーハン
  7. 甜心一道  デザート




怪味鶏蒸し鶏、四川風辛子ソース掛け
怪しい味の鶏と書いてあるのだが、別に怪しくなく、とてもおいしかった。



金醤牛牛肉細切り味噌炒め
チンジャオロースウ、みたいな?肉ばっかりだけど。これもまたうまい。味噌がいいね。



白果鶏丁鶏肉と銀杏炒め
銀杏がふんだんに。普段、茶碗蒸しにひとつ入ってるか入ってないかぐらいのレベルでしか見たこと無いからびっくりした。
しかも、銀杏はあまり得意ではないのだが、まぁ、いけた。



乾焼蝦仁芝海老のチリソース煮
よく見かけるチリソース煮。全然辛くないぞ。でも、海老がぷりっとしてうまい。



搾菜肉絲湯ザーサイと肉のスープ
普通にうまい。



生菜炒飯レタス入り、チャーハン
ごく普通のチャーハン。中華料理屋に行くと、レタスだね。レタスってあんまり火を通さないイメージがあるんだけどね。僕だけか。家で作るチャーハンにも導入してみるか、レタス。



麻婆豆腐麻婆豆腐
辛いことで有名な四川の麻婆豆腐だ。見た目もそうだけど、においからして辛そう。
山椒が効いているんだね。いやー辛い。でも、いやな辛さじゃないねぇ。汗がすごい…。



横山三国志中華街内を散策していると、横山光輝三国志のフィギュアが、5体セットで売られていた。
左から、張飛翼徳、関羽雲長、



横山三国志劉備玄徳、諸葛亮孔明、曹操孟徳である。
蜀の4人+曹操のセットなのはなぜだろう?他の店でもこれを見つけたんだが、やっぱりこの5体だった。蜀だったら趙雲とか、魏だったら司馬懿とか夏侯一族、呉だったら、孫権とか周瑜とかあるだろうに。
ちょっと、これ欲しかったけど、1万以上するのでやめておいた。



中華街、初めてだったけど、なかなか楽しかった。食うもんばっかりだったけどね(笑)


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