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2001年3月

2001年3月31日(土)

プロ野球は開幕しているが、それとは別にJリーグを観にいく。
場所は長居陸上競技場。セレッソ大阪×鹿島アントラーズとの対戦だ。
totoでは鹿島アントラーズに賭けていたが、
totoを買わなかったので、こころおきなく地元のセレッソ大阪を応援。
未だ勝ち星のないセレッソだが、アントラーズには相性がいいみたいだ。
一方、アントラーズは昨年の3冠チームだが、今シーズンはまだ調子があがっていない。
両者ともゴールまでは攻めあがるが、そこからの決定力がない。
セレッソなんかゴール前まできておいてシュート!と思ったら、パスしちゃう。もちろん入らず。
結局、90分では終わらず、延長Vゴールも決まらず、0-0の引き分け。
ゴールが揺れることはなかった。いや、あった。風で。
試合開始直前に雨というよりはアラレが降ってきた。試合中は風で寒い。試合内容も寒かった。
よかったのは日本ハムのシャウエッセン・ナン。おいしかった。がんばれ、日本ハムファイターズ!
これでセレッソ観戦3戦目だが、未だセレッソ勝ち星無し。
前は勝てると思われたアビスパ福岡に負け、この前は川崎フロンターレに敗れる。
この一戦はセレッソが勝てば前期制覇という大事な一戦で、延長Vゴール負けしました。
長居は大阪市立大学から近くていい。行きは電車を使ったが、帰りは徒歩で帰る。
もう近すぎ。これでワールドカップの会場だからなあ。すごすぎ。
でもフーリガンは襲ってこないでね。

2001年3月20日(火・祝)

湯〜とぴあ宝を離れて、熱田まで。笠寺からは1駅。
熱田神宮公園野球場は愛知県営で、確か愛知県大会決勝をこの野球場で行うはず。
しかし、こういう野球場はただ外からしか見るしかない。
結局、外観を見ただけで終わった。何しにいったんだろう?
この後、私用を済ませ、M2の澤端くんと合流して、カフェ、そして味噌カツ屋へ。
健康ランドでも夜に田楽定食を食べた。もう味噌最高。名古屋の味噌文化、万歳。
ちなみに朝はモーニング。これも名古屋の文化。
味噌煮込みうどん、味噌おでん、天むすも食べたかったが、味噌カツで腹いっぱい。
ういろう、なごやん、きしめんパイ、納屋橋饅頭などを買うこともなく大阪へ。
大阪はクイダオレとかいいうが、豚はまずいし、ソバもまずい。ここがいかん。
もうまずくて倒れそう。うどんはおいしい。

2001年3月19日(月)

名古屋まで出かける。まず延長した地下鉄を乗りつぶす。大曽根−砂田橋。
途中1駅しかないが、これが「ナゴヤドーム前矢田」。「大阪ドーム前千代崎」みたい。
ナゴヤドーム前矢田では降りず、砂田橋まで行き、そこから歩き。
遠くからでもナゴヤドームが見える。大阪ドームもそうだが、ドーム球場は異様だ。
東京ドームみたいに遊園地内にあればいいのだが、独立してあると場違いのような気がする。
ナゴヤドームへ着く。なんか「アジア・太平洋蘭博覧会」みたいなものをやっていた。
そういやナゴヤドーム前矢田で降りた客層はおばちゃんが多く、野球にしてはおかしいと思った。
別にそこには入らず、グッズコーナーへ。
ドラゴンズコーヒーカップ、シャオロンキーホルダー、ナゴヤドーム型キャンディーボックスを買う。
シャオロンはかっこいい。大好き。少なくともドアラよりはよっぽどいい。
ナゴヤドーム型キャンディーボックスもなかなか。そういや優勝決定試合はここで観戦したなあって。
一塁側内野席の通路出入口の上にいました。
午後3時についてすでに並んでいたが、それでも早かった方。あとから続々来たもんなあ。
で優勝が決まった瞬間、客がグラウンドになだれ込む。レフトポールにのぼっていた人も。
もちろん私…はなだれ込みませんでした。そんなことできすか。
ナゴヤドームを離れて近くの六所神社へ。
ここはドラゴンズが落ち込んでいた時に、球団社長(だったと思う)が訪れたら3連勝、
また落ち込んでいた時にまた訪れたらまた3連勝、計6勝とまさにろくしょ神社という伝説が。
鳥居の横には「ようこそナゴヤドームへ」「がんばれ!ドラゴンズ」ののぼりが。
社務所ではシャオロンが書かれた絵馬が売ってある。800円だったかな。
この時はちょうど正午頃で昼食をとっていたためか、買うことができなかった。
待つのもイヤだったので大曽根駅まで歩く。スガキヤで卵入りラーメンを食べる。300円。安い。
次は地下鉄で圦中へ。実は圦中−八事あたりが野球どころ・名古屋を象徴する一帯であります。
まず中京大中京高校へ。選手権大会3連覇を成し遂げた名門校であります。
高校の近くまで行くと練習の歓声が。やってるやってる。でもグラウンドが見えない。
高校をぐるっと一周して、ようやく一周ってところで門からやっと見えた。
地図ではわからないが、実は高校は丘の上にあり、グラウンドももちろん丘の上。
これでは見えない。しかも柵と鉄条網。これは当たり前か。
結局チラッと見ただけで次へ。今度は八事球場跡地へ。
選抜大会の第1回目の開催球場だが、今は取り壊されて記念碑が建っている。
ここには以前来たことがあるのでよかったが、いきなり来ようというのはちょっと無理。
というのは奥まったところにあるからです。豊中球場跡地よりよほど難しい。
最初ここに来ようとした時はほんと参った。近くのロイヤルホストに車をおいてきました。
記念碑には2000年の優勝校、東海大相模まで刻まれてありました。
2001年はどこが刻まれるか。あと3週間もすればわかるかな。
ここの記念碑には大きく「センバツ発祥の地」と刻まれてある。
近所の住民にも親しまれているらしく、この記念碑=センバツとなっている。
ガキンチョが「センバツ行こ!」とか行って記念碑の上で遊んでいたのには笑えた。
次は中京大グラウンド。ここも以前は野球場があったが、今は中京大学法学部棟が建っている。
で面白いのが建物の配置。なんと内野スタンドと同じような形態で建てられている。
つまり「へ」の字のトンガリがちょっと平らになったような形。これには驚いた。素晴らしい。
次は幻の野球場。何が幻かというと、ちゃんとした記録がみられないからである。
この野球場は昭和9年頃発行の都市地図には「野球場」と載っているが、実際のところよくわからない。
天白区弥生が岡がこの野球場跡地にあたる。しかし面影もない。本当にあったのだろうか。
圦中からここまで歩いたのだが、地図上ではわからないが、実際は起伏が激しい。
登っては降り、登っては降りの繰り返し。徹夜明けで来たのでめちゃくちゃ疲れた。
次は八事から伏見へ。白川公園へ行くため。白川公園には大須球場があったと思われる。
大須球場は中日球場ができてからもパ・リーグの試合などで用いられていた野球場だが、
その所在地が今の白川公園だと思う。
まず、大須近辺には白川公園くらいしか野球ができそうな広さの土地がない。
そして、白川公園を上から見る、いかにも野球場という形の広場がみられる。地図上もそう。
白川公園に行くと、噴水が。そしてホームレスが。名古屋も多いなあ。
広場を歩いていても野球場があったような気がしない。でも形はやはりそう。
「野球・ソフトボール禁止」の立札が。隔世の感がする。
19日はここまで。1泊して翌20日は熱田神宮公園野球場に。
ちなみに泊りは笠寺駅前にある健康ランド「湯〜とぴあ宝」。

2001年3月16日(金)

今年初めての、21世紀初めての野球観戦。
場所は西京極球場。読売ジャイアンツ×中日ドラゴンズのオープン戦。
1999年、2000年とセ・リーグの覇権を争った両チーム。それだけにオープン戦でも注目されるカードである。
私はこれまで西京極球場には行ったことがなかった。
本拠地球場の大阪ドーム、甲子園球場、グリーンスタジアム神戸にはもちろん行ったことはありますが。
京都で野球観戦するのも始めて。衣笠球場の跡地は見たことがありましたが。
いくら好カードでもたかだかオープン戦だから…とタカをくくっていたが、
実際、阪急電車から見たら、内野スタンドがすでにほほ埋まっていた。
試合開始が13:30で、だいたい12:50くらいかな。行ったのは。
でダフ屋をすり抜けてチケット売場へ行ったらすでに閉まっていた。要するに外野席完売。
しかたないのでダフ屋から外野席券を1,500円で購入。
ダフ屋は1,000円で余った券を買っていたので、差し引き分は500円。
なんかもっとふっかけてもよさそうな気がしないでもないが。実際はいくらだったんだろう?
ちなみに買った券は「外野ご招待[非売品]」。読売新聞社か伊藤ハムが販売拡販のために配ったのかな?
応援するチームはもちろん中日ドラゴンズなのでレフト側へ。今回は巨人のホームゲームです。
満員なのでどんどん3塁側方向に。
本当はバックスクリーン(西京極にはない)横で見るのが一番好きなのだが、
空いているはずもなく、応援団をとおりすぎ、甲子園球場なら内野自由席にあたるところまで。
ここは割とすいている。レフトポールより左なのでホームランボールは飛んでこない。
後ろをみると、格子の外から見学している人がいる。ここは外野の外野からでも見えるんだね。
隣に座ったおばちゃんがそれを見て「まるで監獄みたいや」と言った。
スタンドを監獄にたとえる人はいるが、監獄の外にまた監獄があるといったところか。
スタンド外にいたおっちゃんがやたらヤジを飛ばしていた。どうやら南海ホークスファンみたいだ。
ヤジは野球につきものだが、全く関係ないヤジ、それも外野の外野からなのでうるさいだけだった。
別にたいしておもしろくもないし。外野も立見になってきたので、外野の外野からは見えなくなったのだろうか。
ヤジは試合開始すぐに消えた。また木に登って観戦する人もおり、警備員と喧嘩していた。
西京極球場は土のグラウンドで、外野が天然芝だった。
外野スタンドも前5列ほど階段席があるだけで、あとは天然芝。なかなか心地よい。
地方球場なので当然かもしれないが、人工芝が旺盛のプロ野球にはめずらしい感じがする。
甲子園球場といい、グリーンスタジアム神戸といい、ちょっと離れているが広島市民球場といい、
関西の野球場は天然芝のグラウンドが多くていい。チームは弱いけどね。
試合経過としては、5回表まではひきしまった投手戦を展開していた。そこまでは1−1。
5回裏から今中投手が出てきて、巨人打線につかまり、というか自滅で5−1。
はっきりいってここでもう諦めた。ところが6回裏に4点返して追いつき、7回表には逆転。
しかし小笠原投手が右打者に打たれて再逆転を許し、8回裏終了時点で10−7。
レフトスタンドのファンはパラパラと帰りはじめた。私も帰りたかったが、まあオープン戦だしと残っていた。
そしたら9回表に一挙8点を入れて再々逆転(本当は再々々々逆転)。10−15。
巨人ファンはこれで帰るかな?と思って一塁スタンドをみたが、ほとんど帰らない。
巨人ファンは往生際が悪いが、その往生際の悪さがメークドラマを起こすんだろうなとも思った。
ほんとうは9回裏が高橋由、松井と続くからみたいだったが。9回裏は3連続ゴロで試合終了。
巨人の中継ぎ投手は悪いときいていたが、これほどまで悪いとは。
はっきりいって5回裏以降は観る価値はありませんでした。
試合が終わっても電車が込むだろうと思い、球場正面入口へ。ドラゴンズの選手がバスに乗っていた。
そこをこえて陸上競技場まで。京都パープルサンガのホームスタジアムである。
しかしずっとそこにいても仕方がないので、列を待ち切符を買って帰った。
今回驚いたのは、人の多さ。好カードとはいえオープン戦なのに。
まあ私が大阪市からわざわざ来たことを考えれば、別にこんなことをいう筋合いはないのだが。
帰りの客からみた感じでは、梅田方面よりも河原町方面へ帰る人が多かった。
だから大阪から来た人よりも京都から来た観客が多かったということだろう。
京都は人口140万人くらいの大都市であるが、プロ野球チームの本拠地にはなっていない。
以前は京都をフランチャイズにしていた球団もあったが(太陽ロビンス、大陽ロビンス、松竹ロビンス)、
これはもう50年くらい昔のことである。オープン戦でもプロ野球を観にくるのはわかる気がする。
予想では3万人の客入りであった。しかし、観覧収容数は2万人とあるので、それはない。
(翌日の新聞では16,000人。しかし、実際はそれよりも多く感じた)

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